エドとアルが部屋から出なくなって一日が過ぎた。一度はルームサービスを注文したようだが、ろくに手をつけていなかったとボーイから聞き出し、マリアは深い溜息を吐いて口元に手をやり、つぶやいた。
「なまじ真実に近づいた分、ダメージは深刻ね」
「俺だって昨日はあんまり寝れなかったっすよ。なんか……へんな夢ばっかり見て」
 眠くは無いが回らない頭に顔をしかめるブロッシュ。
も朝から顔を見せないし、動くことも出来ないし……」
 こんな事態の想定はどのマニュアルにも無く、二人にできることはただ待つこと。それだけで。セントラルは今日も快晴だったが、いっそ重苦しい雨でも降ってくれたほうがうっそうとした気分を盛り上げてくれるだろうに、なんて考えが頭をよぎる。
「国家錬金術師の長期にわたる研究は、当然軍も関知してるわよね」
「地方でひっそりと活動してるわけじゃなさそうですよね、第一図書館に保管してたぐらいだし」
「どこまで関知、関与していたのかが……問題よね」
「――そうっすね」

 エルリック兄弟の護衛という役目があるため所属部隊の部屋――定期報告以外で軍部に戻ることはしばらく先でよいが、戻ったとき、果たしてまともな目で同僚や上官を見ることができるだろうか? 疑心暗鬼にかられ、人間関係に破錠をきたすか、先に審問を受けるか。

「ティム・マルコーっていう国家錬金術師は、どんな人なのかしらね」
「アームストロング少佐も名前とそこしか教えてくれませんでしたからね。――調べてみましょうか。糸口をつかめるかも」
「でも」

「それは危ない橋だと思うが?」

 唐突にドアが開き、が言を継ぎながら入ってきた。

「立ち聞きしてたの?」
「まさか。偶然だよ」
 ドアを閉めながらは苦笑し、二人を交互に見やって言った。
「アレックスが情報を出さないんじゃない。出せないんだとは思わないか」
「知ってるの?」
「いや。ただ、知らないほうが幸せだろうなー、とは思う」
「どういうこと……」

「エドとアルが複写を見たとき、『これ持って逃亡は無理だね』って言ってただろう?」

「――――あ」
「…………言ってた」

「国家錬金術師が逃亡。この二つで充分怪しいだろ。しかも研究書は置き去りにせざるを得ない状況……アレックスもそれとなく調べてるかもしれないが、下手には動けない」
「だから……エドワードさんも聞かなかったことにしてくれって……」
「…………いい大人が、情けねぇな……あんな子供に気ぃ使わせて」
 つぶやきと同時進行でへこみゆく二人には言う。
「で、護衛とはいえ軍人が何日もカンヅメってのも身体に悪いだろうし、ひとつ手伝って欲しいことがあるんだが?」




「これが……手伝って欲しいこと?」
「ただのドライブじゃない」
 しかもただひたすらセントラルの街中を走るだけの味気ないドライブを、運転手のブロッシュは無論、助手席に座るマリアも呆れ顔で言った。

「そう見えるようにしたいんだなこれが」
 後部座席のはのんびりと煙草を咥えながら、通りかかりの建物を見やって軽く目を凝らした。するとの目にしか映らないが、建物の基礎部分が一瞬オレンジに光って、すぐに消えた。
「今度は東の地区を流してくれ」
「へいへい」










 突如発生したイーストシティのガス爆発――とは公式の見解で。瓦解の連鎖がないと判断されて現場検証を始めてすぐにそれは見つかった。特徴のある鉄製の輪がアクセントになっている、血まみれの革の上着は――――

「傷の男が着ていた物に間違いないと思います」
 あの雨の日、エルリック兄弟を追い詰め、出自を軍部に晒した男のものだった上着を掴み、リザ・ホークアイ中尉は上官のロイ・マスタング大佐にそう報告した。マスタング大佐は部下の言葉に同意の頷きをして、もう一人の部下、ジャン・ハボック少尉に声をかけた。
「死体は出たか?」
「捜索はしてますが、あのガレキの下を全部確認するとなると……何週間かかるやら」
 二次災害を防止しながらの撤去作業は、少しずつ進めるしかなく、長期戦を覚悟するしかない。
「どのみちこの出血量では無事ではいないでしょうけれど……」
「うむ……しかし、奴の死亡を確認するまで油断はできん――ハボック少尉!」
「はい?」
「お前の隊はガレキの撤去作業を進めろ。昼も夜も休みなしだ! なんとしても奴の死体を引っ張り出せ!」
「うへぇ。カンベンしてくださいよ。俺らを過労死させる気ですか」
「うるさい! 奴の死体をこの目で見るまで、私は落ち着いてデートもできんのだ!」
「あぁそうですか」




 そんなヒトのやり取りを、彼女たちは少し離れた崩壊間際の建物の上から見やって、グラトニーの鼻でも追えなくなったことで、ラストは結論を口にした。
「……逃げられちゃったわね」
「食べそこねた……」
 幼子のように指をしゃぶるグラトニーを見てたしなめるように言う。
「はいはい。また今度ね――――ま、あれだけやっとけば、やつもしばらく動けないでしょ。私はまた中央に戻るわ。お父様に報告しておかなくちゃね」








 エドとアルは部屋から一歩も出なくなって二日目の夜。今日もまた意味不明のドライブから戻るとも部屋に引っ込んでいた。満月にほぼ近い月明かりだけの室内で、ベッドに寝転んでワイズの言葉を待った。水霊から直接、水分を供給してもらったため、ある異変に気付いたはワイズに身体を調べてもらっていた。

『……おまたせ。やっぱりそうだったみたい。そこだけ、時間が止まったみたいに動かない』
『そうか。心因的なものもあるとは思うが……なんか変だな。機能が停止してるって』
『世界とのずれで完全じゃないのかな?』
『多分ね、そこ以外は正常だったか?』
『うん。大丈夫』
 上体を起こし、ひとりごちる。

「――――楽っちゃ楽だわな」






 翌日――――アレックスが様子見を見に来たとき、出迎えたのはマリアとブロッシュだけだった。

「何? エルリック兄弟は今日もまた部屋に閉じ篭っていると? それにも?」
「ええ、今日は食事もまだのようです」
「むう……疲れが溜まっているのだろうか。ここのところ、根を詰めておったようだしな」
 アレックスの言葉に、二人は目線だけで会話をして、小さくつぶやいて。
「なんだ?」
「いえ、なんでもありません」
 目ざとくアレックスが問うので、慌てて訂正する、が。

「あやしい」
「ひ――――!!」

 上半身の筋肉剥き出しでポージングのアレックスに詰め寄られ、口を割るのは時間の問題だった。



 相変わらず鍵を掛けたまま、エドはソファで虚空を見つめ、何かしたいと思いながらも何もしたくない惰性との相殺は、また一つ嘆息を室内に生み出した。

(なんでもするって言った……)
 ――――まるで、願えば身体も差し出しそうな眼差しをしながら、家族と変わらぬ感情を持つと。矛盾した言葉を投げかけられて、どうしたら良いのか。
(――言ったらどんな顔すんだろ)
 実戦経験は無いが手段は知っている。暝い考えが頭をよぎると、アルが声をかけてきた。
「…………兄さん、ごはん食べに行っといでよ」
「いらん」
 素っ気無く答えれば、妄想も形を無くして、また捉えどころの無い感情が身体を支配し始める。

 時計も無いこの部屋では、街のざわめきが何もしない二人を干渉するでもなく、突き放すのでもなく、ただ包んで。世界は黙っていても未来へ進んでいて。

「……しんどいな」
「……うん」

「なんか、こう…………手の届く所に来たなと思ったら逃げられて、それの繰り返しで」
 右腕を上げれば外郭部分が擦れる音を部屋に響かせ、指を開けばジョイントもいくら滑らかに仕上げても音を上げる。
「やっとの思いで掴んだら、今度は掴んだそいつに蹴落とされてさ……」
 握った拳のまま、二の腕で瞼に日陰を落とす。体温の無い鋼が、肌を冷やした。
「はは……神サマは禁忌を犯した人間をとことん嫌うらしい」

 赦されないというのなら。

「オレ達、一生このままかな」

 いますぐ。

 ――――でも、本当は。


「――なぁ、アル。オレさ……ずっとおまえに言おうと思ってたけど、怖くて言えなかった事があるんだ……」
「……何?」

 ――――じゃないのかって。

 言いかけて、これは贖罪でもなんでもない、ただのエゴだと言う自分と、赦されたいと思う自分がせめぎ合い、言葉を音にできずに躊躇った。

 そこに、豪快な足音とマリアの逼迫した声が聞こえた。
「ちょっ……お待ちください!!」
「二人とも休んでいるところですので…………」
 ブロッシュの慌てて止めようとする声も聞こえ、怪訝に思ったエドが状態を起こしたとき。
「エルリック兄弟! 居るのだろう? 我輩だ! ここを開けんか!」
 ドアが割れそうな勢いの振動と音とアレックスの声がドアの向こうから聞こえた。
「う・わ――――」
「どどどどうする兄さん!」
「シカトだシカト! 鍵かかってるし居留守決め込むぞ!」

「むん!」

 がきょ。ぼりん。

「聞いたぞ! エドワード・エルリック!!」
 ドアを破壊してアレックスは開口一番に言うが、

 聞かなくていい――――!!

 そう叫びたかったが、涙が溢れて言葉にできなかった。
 ついでに、力なく涙するブロッシュにも同情を禁じえなかった。 


「…………何の騒ぎだ?」
 ようやくが顔を出したときには、アレックスの熱い抱擁にエドワードが骨砕きになり、再起不能寸前であった。




「何たる悲劇!!」
 溢れんばかりの漢の涙を流し、アレックスはの魔術でよみがえったエドとアルに言う。
「賢者の石にそのような恐るべき秘密が隠されていようとは! しかもその地獄の研究が、軍の下の機関で行われていたとするならば、これは由々しき事態である! 我輩黙って見過ごすわけにはいかん!!」
 マリアとブロッシュを見れば、気まずい表情で突っ立っていて。
「……………………」
「ごごごごめんなさい……」
「あんな暑苦しい人に詰め寄られたら喋らざるを得なくて……」
 青筋を立てて無言で抗議するエドに対し、二人とも視線を合わせることができなかった。どうにかエドの威圧から逃れようとブロッシュは視線を泳がせていると、エドの右腕に初めて気がついて声をかけた。
「……あれ? 右手、義手だったんすか」
 室内だったので上着を着ていないエドは慌てて答えた。
「ああ……えーと、東部の内乱のときにちょっとね」
「そそ。それで元の身体に戻るのに賢者の石が必要でして」
 アルのナイスフォローにブロッシュは気の毒そうに言った。
「そうですか……それがあんなことになってしまって残念ですね」
 まだ泣き止まぬアレックスが言を継ぐ。
「真実は時として残酷なものよ」

 アレックスの言葉に、エドは引っかかりを覚えて反芻した。
「真実……?」
「どうしたの兄さん」

 賢者の石と、研究書と――――

「――マルコーさんの言葉覚えてるか?」
「え?」
「ほら、駅で言ってただろ……『真実の奥の更なる真実』…………そうか……まだ何かあるんだ……何か……」

 口の中で呟くと、疑問は確信に変わり、何かが吹っ切れた。

「おっさん、地図持ってるか?」
「地図?」
「ああ。セントラルの。できれば建築物もわかるぐらい詳細なもの」
「どうする気だ?」
「何でマルコーさんは逃げなきゃいけなくなったのか、調べてみたいんだ」
 いち早く合点がいったブロッシュがエドに言う。
「それなら、隣にあるので自分が取ってきます」
「頼む」
 ブロッシュがノブの取れたドアの向こうに消えて、エドはアルにドアノブを押さえてもらい、壊されたドアは錬成で修復した。
 その様子を壁にもたれて見ていたのところへ、マリアがやってきた。
「……顔色悪いけど、大丈夫?」
「ん、ちょっと疲れが出たんだろ。寝ても寝足りなかった」
「生理?」
「いや、まだ先だよ」
「そう。無理しないでね、一番家事しててくれてるんだから」
「……ああ」

(なんでもいい。そこに至るまでに、自分なりの解を得ておけば……潰されやしない)

 生殖機能が停止した身体。禁断のアーティファクト。存在しない技術。自分が代償になれば、術は成立する。

(喚ばれたのは――――このためか)

 四年前のあの日、どれだけ彼らは願ったのだろう? ひとの想いはなにもかもを突き抜けて。弾き出された答えに、は心のタガが少し、壊れた感触を覚えた。



「持って来ました」
「うむ」
 テーブルの上に地図を広げ、アレックスは口を開く。
「軍の下にある錬金術研究所は中央市内に現在四ヵ所。そのうちドクター・マルコーが所属していたのは第三研究所。ここが一番怪しいな」
「うーん……市内の研究所は、オレが国家資格とってすぐに全部回ってみたけど、ここはそんなに大した研究はしていなかったような……」
 第一研究所は軍部に一番近い地域にあり、徐々に中心地から遠ざかっている配置になっていたが、地図に大きく×マークがついた割と大きな施設が目を引いた。
「これ……この建物、何だろう?」
 付属の建築物の概略を記したブックレットを見て、マリアが答える。
「以前は第五研究所と呼ばれていた建物ですが、現在は使用されていないただの廃屋です。倒壊の危険性があるとかで立ち入り禁止になっていたはずですが」
 地図を凝視し、エドははっきりと言った。
「――これだ」
「え? 何の確証があって」
 ブロッシュの言葉にもすぐに応えた。
「隣に刑務所がある」
「えっと……」
「賢者の石を作るために生きた人間が材料として必要ってことは、材料調達の場が要るってことだ。たしか死刑囚ってのは処刑後も遺族に遺体は返されないんだろ? 表向きには刑務所内の絞首台で死んだ事にしておいて、生きたままこっそり研究所内に移動させ…………そこで賢者の石の材料に使われる――そうすると、刑務所に一番近い施設が怪しいって考えられないか?」
 理論立てた話し方でも、内容が内容で、マリアは苦虫を噛み潰したような表情でつぶやいた。
「囚人が材料……」
「嫌な顔しないでくれよ。説明してるこっちも嫌なんだからさ」
「刑務所絡みって事はやはり政府も一枚噛んでるって事ですかね」
「刑務所の所長レベルか政府レベルかは解らないけどね」

「…………なんか……とんでもない事に首を突っ込んでしまったような気がするんですけど…………」
 青ざめるマリアとブロッシュにアルは呆れて言った。
「だから聞かなかった事にしろって言ったでしょう」
「うむ。しかし現時点ではあくまでも推測で語っているに過ぎん。国は関係なく、この研究機関が単独でやっていた事かも知れんしな」
「うん」
 アレックスの言葉にエドも同意を示すと、アルは彼に訊いた。
「この研究機関の責任者は?」
「名目上『鉄血の錬金術師』バスク・グラン准将という事になっていたぞ」
「じゃあそのグラン准将にカマ掛けてみるとか」
「無駄だ。先日、傷の男に殺害されている」
「…………な」
「傷の男には軍上層部に所属する国家錬金術師を何人か殺された。……その殺された中に真実を知る者がいたかも知れん。しかし、本当にこの研究にグラン准将以上の軍上層部が関わっているとなると、ややこしい事になるのは必至。そちらは我輩が探りを入れて後で報告しよう」
 地図を丸め、席を立つアレックスは更に言う。
「それまで少尉と軍曹は他言無用!」
「はっ」
「はい!」
「エルリック兄弟も大人しくしているのだぞ!」
「ええ!? ――ぁ」
「――――」
 それまで大人しく見守っていたは微かな溜息を吐いた。
「むう! さてはおまえ達! この建物に忍び込んで中を調べようとか思っておったな!?」
 思ったことを真っ直ぐに言い当てられた兄弟は身を竦めてしまい、そのリアクションがアレックスの感情に火をつけてしまった。
「ならんぞ! 元の身体に戻る方法がそこにあるかもしれんとはいえ、子供がそのような危険なことをしてはならん!!」
 暑苦しい上に憤怒の形相は周囲の体感温度を五度は上げた。
「わかったわかった!!」
 必死になってエドは訂正した。
「そんな危ない事しないよ」
「ボク達、少佐の報告を大人しく待ちます」
 アルの言葉にようやくアレックスは怒りを収め、ホテルを後にした。去り際にマリアとブロッシュ、そしてに厳重警戒を依頼して。


 エドも、アルも、そしても、落ち着きを取り戻したように二人の目には映って見えた。



「――――なんつってな」


ヒメマスの蒸し焼き、カシューナッツ、小松菜と牛の細切りの炒め物、蕪のスープ。簡易キッチンでは到底不可能な料理を魔術で補うことによってが作り上げ、大満足のうちに夕食を終え、一休みしてからに型の鍛錬を見守ってもらい、当面の間だけだといわれては強くも出れず、就寝時刻になるころ、ドアの前でマリアとブロッシュに見張られることになって。錬成すれば音でばれてしまうし、も助けてくれないので――――ベッドの脚にロープを巻きつけ、エドとアルは夜のセントラルの街に降りた。


に気付かれるかと思って冷や冷やしたね」
「ああ、それが心配だった」
「……なんか、具合悪いみたい」
「……こっち着いてから休み無しだったからな。疲れが出たんだろ」
「そうだね」
「――オレ達がこんな身体になっちまったのも、オレ達自身のせいだ。だから、オレ達の責任で元の身体に戻る方法を見つけなきゃならねーよ」
「…………そうだね」

 走っていくと意外に近く、第五研究所の敷地である高い壁が街灯に浮かび上がった。
「ふーん……使っていない建物に門番ねぇ」
 丁度街灯が当たらない壁の影から正面入り口に立つ、煙草をふかし機銃を下げた門番を見やってエドはつぶやいた。
「入り口、作っちまうか?」
「それやると錬成反応の光で門番にばれちゃうかも……」
「――となると」
 背もたれにしていた高い壁を見上げ、アルと示しあう。アルに手を組んでもらい、足を乗せて――高く放り上げられたエドは塀の鉄片に設えてあった有刺鉄線を右手で掴んだ。
「哀しいけどよ、こういうときは生身の手足じゃなくて良かったって思うぜ」
 有刺鉄線をほぐし、ロープのようにアルの元に垂らす。
「はは。同感」
 ラプンツェルの髪のように長く垂れた鉄線を掴み、ゆっくりとアルも塀を上ると、塀に足をかけたところでエドは敷地内に降り立っていた。

「うげ。入り口もがっちり閉鎖かよ」
 まるで篭城を決め込んだ城のように、乱暴に板を打ち付けられた入り口を通り裏手に回ると、金網のかかった通風孔を見つけた。外してみると以外に整えられた内部が見えて。
「……奥まで続いていそうだな……ちょっと見てくるから、ここで待ってろ」
「え? 一人で大丈夫?」
「大丈夫も何も、おまえのでかい図体じゃここ通れないだろ。んじゃちょっと行ってくる」

「…………好きででかくなったんじゃないやい」





 通風孔はどこまでも続いていたが、破損箇所も特に無く進むことができていた。ただ、エドの身体でもやっと通れるぐらいのせまさで、蜘蛛の巣が容赦なくエドの全身にかかろうとするので、その都度払いのける必要があった。

「思ったより狭いなちくしょー……こりゃ、普通のサイズじゃ通れなかったな。身体小さくて良かっ…………ぁぁあああ」
 自分で小さいと言ってしまい、ダメージは誰も恨めない分でかかった。
 悲しみに浸りながらも健気に前進を続けていると、下――通路の上に設置された金網が見えた。左足の踵で打ち付けると簡単に金網は外れ、エドは通路に降り立った。

(足元がわかる程度に明かりがついてる……)

 常夜灯が灯るということは通電しているということで、無人の施設にそれは不要なはずで。
「何が現在使われておりませんだ。ビンゴだぜ」








 ベッドに横たわり、この前の失態と、昨夜の事実がどうしても頭から離れずにぐるぐると巡っていた。
 過干渉の裏返しは、いびつな愛情が潜んでいて。

 このまま、力を取り戻したとき――――自分はどうしているのだろうか?
「決まっている……元の、世界に還るんだ」
 わざと声に出しているのに、ひどく空虚に聞こえて仕方ない。
「……エドと、アルの身体を」
 半端なままの自分で?
「――――私が」
 どうすると?
 真理に触れた者に、何ができる?

「なにもできやしないくせに」

 どうして。こんなにも。

(これは……好きとか、そんなんじゃ、ない……)

 何故、焦がれるのだろう?

 生殖機能が止まったのは一時的なものだと、そう、思って普通だろう。性交の経験も無く、突如として異世界に放り込まれ、精神的か、肉体的かは不明だが、そのショックが顕れた――それだけだと。

 どうしてそう思えない? 何故、惹かれる?

(同類、相憐れむとでも? ――なんて侮辱……!)

 今すぐ、ここを抜け出してベスビオールに行こうか。ステアに乗せてもらえば、一昼夜あれば足りるだろう。人目を気にしなければ、何でも出来る。エドもアルもアレックスもヒューズも、マリアもブロッシュもユーリッヒも、ピナコばっちゃんも、ウィンリィも気にしなければ。

(エド…………)

 壁一枚の部屋に意識を集中させる。すると、誰の気配も向こうには無かった。
「――――っ!」

 途端に飛び起きて、廊下に出た。
? どうしたの?」
 ドアの前で椅子に座るマリアの問いかけを無視してドアを開けると――――

「やられた……!」
 無人の室内に、開け放たれた窓にかかるカーテンが夜風にはためいていた。


「やけに静かだと思ったら……」
 窓の外、ホテルの一階の庭に続くロープを見下ろしてマリアが唸る。
「あぁあぁぁ、職務怠慢でアームストロング少佐に絞り上げられるぅううう!」
 よほど詰め寄られたのがトラウマなのか、ブロッシュが泣きながら膝をつき天を仰いだ。
「あのガキども……こっちの身にもなれっていうのよ……!」
 マリアの憤慨を聞いて、は迷いを封じ込めた。

『――――ステア!!』

「っきゃ……!」
「うわっぷ!」
 突然、室内に突風が巻き起こり、マリアとブロッシュは顔を庇った。すぐに風は収まったが、目を開けると、そこにの姿は無く、心話が聞こえた。

<先に行く!>


 魔術で風霊に場をつくり、包み込んでもらったはそのまま夜のセントラルを翔けた。

「…………今は考えない。あいつらは……動き出した」

 ならば、ついていくだけだ……!


 の素早い行動に呆然としていたが、窓の軋みで我に返ったマリアは怒りに任せてブロッシュに怒鳴りつけた。
「行くわよ!」
「え、行くってどこへ」
「決まってるわ、元第五研究所よ!」






「兄さん遅いなぁ……迷子になってんのかな、もー」
 立ち上がり、気配を探るが通風孔からも、外にも音は無く、静かな月夜が闇を照らしているだけだった。
「まったく――――!?」
 上空から、何かが降ってきて咄嗟に身をかわす。すると今まで立っていた位置に大きな鉈が食い込み、地を揺るがす轟音が闇に響いた。
「なっ……誰だ!!」
「OK、OK! でかい割りにいい動きだァ。そうでなくっちゃやりがいが無ェ」
 地に食い込んだ鉈を取り出し、それは応えた。
「誰だと訊かれたからとりあえず応えとくかァ――――ナンバー66! もっともこりゃあ仕事上の呼び名だがなァ」
 御伽噺に出てくる竜のような角のある骸骨の面を被り、鎧の上から毛皮を着込む男は更に続けた。
「本名もちゃんとあるけど聞いたらおめェチビっちまうからよォ。とどめ刺す時に教えてやらァ!!」
「……それってボクを殺すって事?」
「げっへっへ。なぁに……きれいに解体してやっからよ。安心して泣き叫べ」
 手にした鉈と牛刀を擦らせると、微かに火花が散った。




 階下に赴くたび、気温が下がっていくのがわかり、最下部の奥の部屋まで来たときには、まるで真冬の寒さが息を白くしていた。その部屋は天井がやけに高く、見慣れない象徴のレリーフが入り口の真上にあり、照明が照らす床にはシンプルな、だが所々で血痕が走る錬成陣が描かれていた。
「……なんだこりゃ……まさか…………賢者の石を錬成するための……」

「その通り」

 ガシャリと、金属製の擦れ、合わさって動く音が闇から聞こえ、鉄仮面をつけ、布で仮面の半分より下を隠した鎧姿の男が現れた。
「どこの小僧か知らんが、石について深く知っているようだな」
「……」
 エドの応えを待たず、男は更に続けた。
「私はここの守護を任されている者。ナンバー48ととりあえず名乗っておこうか。ここに入り込んだ部外者はすべて排除するよう命ぜられている。悪く思うな、小僧」
 手にするのは突起のあるナックルガードつきの軍刀で、刃渡りだけで一メートルを超えていた。
「……そっちこそ」
 手のひらを合わせ、右手の機械鎧を刃に錬成する。
「小僧に倒されても悪く思わないでくれよな」
「ほう! 錬金術というやつか――――どれ」

 音も無く、48はエドの懐に入った。

「手並み拝見……」

(速……!)

 初撃の横なぎの刃を身を低くして躱すが、返す刀で右肩から上腕部を思い切り刃が叩きつけられる。
「っ……」
 服が裂け、機械鎧が外気に触れた。
「肩まで鋼の義肢か。命拾いしたな……だが!」
 切っ先を上に向け、真っ直ぐに突き出す。
「我が愛刀は鋼さえも貫く!」
「冗談じゃねえ! これまた壊したらウィンリィにぶっ殺されるじゃねーか!」
 左手を添えて手甲で受け流し、弾き飛ばすとすぐに軸足に力を入れて胴に回し蹴りを放った。
「む……!」
「!?」
 響く音は、聞きなれた音。
 驚愕が追撃を止め、たまらずエドは言った。

「おいおい……この空洞音……ひょっとしてあんた、その中空っぽなんじゃねーの?」
「――――おどろいたな、よく、気がついた」
「あんたみたいなのとはしょっちゅう手合わせしてるんでね、感覚でわかったよ」
「ほう。表の世界にも私と同じのがいるのか」
「嫌になるね。オレ以外に魂を鎧に定着させるなんて事を考えつく馬鹿がいるなんてよ」
 眼前の48――自分――を睨みつけたのではなく、それを成しえた者を見据え、憤慨する少年の眼差しはなかなか見張るものがあり、48はゆっくり言った。
「あらためて名乗ろう。私の48は死刑囚ナンバー……。生前……と言うべきか、生身の身体があったときは『スライサー』と巷で呼ばれていた殺人鬼だ。表向きには二年前に死刑になった事にされている。『スライサー』の腕を買われて実験材料にされてな、今はここの番犬だ」
「……て事は魂と鎧を仲立ちしてる印がどこかにあるんだな?」
「ふむ……全て説明する必要も無しか。私は錬金術には詳しくないが、血液自体が魂を繋ぎ止め、そして血液中に含まれる鉄分が、鎧の金属部分と同調しているらしいな」
 鉄仮面の下半分を覆い隠していた布をはだけ、仮面を跳ね上げたそこには。
「私の頭部の血印……これを壊せばお前の勝ちだ」
 血で描かれた錬成陣以外は、何も無かった。
「弱点を教えてくれるなんて親切なおっさんだな」
「ふはは。私は戦いに緊張感を求めるタイプなのだ――――それとおっさんではない」
 仮面を下ろし、また布を掛けても声の大きさはアルと同じで変わりはしなかった。

「親切ついでにオレをこのまま見逃してくれないかな――なんつってみたり」

「殺人鬼が目の前の獲物を逃す訳無かろう?」
「――チ」

「いざ、参る! うぉおおおらァッ!!」

 一見、力任せの乱れ斬りだが、返す刀は確実にエドの隙を狙い、剣戟の速さに合わせる数が数十合を数えたとき、振り上げた肩に違和感が走った。
(なんだ……?)

『今回の機械鎧は錆びにくくしたかわりに強度が下がったからあんまり無茶は――』

 そーいえば。
「……っとお!」

 慌てて顔面を狙った刃を避けて、受け流す。

(こりゃ、早くケリつけないとやばいな……!)

 だが、焦りは油断を生み、相手は疲れを知らない魂だけの存在。冷酷無比の剣捌きで振り下ろされた切っ先をとんぼ返りで避けるが、かわしきれずに毛先と左肩を斬られてしまう。
「――ッ」
 態勢を立て直したかしないかぐらいで二撃、三撃と刃が飛んできて、柱まで追いやられてしまう。スライサーは手を休めることなく柱ごとエドに切りかかり、柱を背にして後方をふさがれたエドの眉間めがけて刃を突き出す。前のめりになりながらやり過ごすが、頭皮を微かに切ってしまい、すぐに頭上へと打ち下ろしてくるので片腕だけで後転して、尻餅をつきながら間合いを取って逃れる。
「――ぶはぁっ……はー、はー」
 この冷えた空間で斬撃に息をするいとまもなく逃れ続けた結果、普段よりも体力の消耗が著しく、肩の傷も深くは無いが浅くも無い、長期戦はできない状況に追いやられていた。

「……まるでサルだな」
「んだとコラ!!」
「はっはっは。久しぶりに手ごたえのある、元気な獲物で嬉しいぞ。――だが、その傷と疲労では勝負は見えている。それに、表にいるお前の仲間は今頃、私の連れが始末しているはずだ。助けに来る事はできんだろう」
 スライサーが勝手に喋ってくれている間、片膝をつきながらエドは必死で呼吸の乱れを直していたが、侵入者に対する防御システムはやはり、アルにも襲い掛かっている事が気がかりで。
「……よう、その連れって……強いのか?」
「強いぞ。私よりは弱いがな」
「あっはっは!」
 突然、エドが笑い出したので、スライサーは一瞬気がふれたかと思い警戒した。
「だったら心配いらねーや。オレ昔っから、あいつとケンカして勝った事無いんだ」











 脇を締めてひねり出した拳は、66の頬にクリーンヒットし、吹っ飛んだ。
「でえええええ!」
 顔面から盛大に地面と擦れあった66は、以外に敏捷な動作で立ち上がると、
「にゃろォ〜〜〜〜〜〜」
 再び切りかかってきた。
「ちっとは……」
 鉈も牛刀も刃渡りは五十センチ前後のため、接近戦に持ち込まなければならず、
「おとなしく、切られ」
 体捌きが異様に巧いアルの動きで全て空振りになり、
「やがれってんだ――このデカブツ!!」
 至近距離から牛刀を突き出しても、掌底で持ち手の腕を弾かれ、あっさりと躱されてしまう。
「痛くしねぇからよ!!」
 ようやく当たるようになるが、闇雲に振り回しているだけでは鎧の腕で防御されて肉に届かず。
「んな事言われても……」
 痛くは無い鎧の身体で、アルは呑気に刃をやり過ごしていた。ただ、どうにも腑に落ちないのは、いくら大人だからってずっと武器を振り回して、しかも何度も攻撃を受けているのに、一向に体力が低下したような素振りを見せないことだった。演技にしては巧すぎる、と考えていると、足元の石にすくわれ、バランスを崩しかけた。
「あ!?」
「ラッキ!」
 バランスを取ろうとして広げた右腕の隙間に、66の牛刀がしっかりと食い込んだ。
「肩ロースいただき! ムヒョ〜」
 歓喜の声を上げて66が斬りかかる。
普通の人間なら食い込んだ刃の痛みと恐怖で動けず、ここからは彼の独壇場だった――――普通なら。
 アルはてこの原理で、腕を瞬時に締めることで食い込んだ刃を叩き折り、
「うェ!?」
 驚愕に動きが止まった66のあごを掌底で打ち上げた。
普通の人間なら衝撃が脳に伝わり、そのまま脳震盪を起こして昏倒するはずだった――――普通なら。
 背中から倒れた66の体と、奇怪な髑髏の面がほぼ同時に地に落ちた。
「!?」
「野郎……頭が落ちちまったじゃねえか……」
 髑髏は面と言うよりは頭蓋そのもので、のっそりと起き上がった66の首は、何も無かった。
「その身体……」
「げっへっへ……ちょいと訳ありでなァ……」

 肉体が無いままでも声を発する66は、頭蓋を嵌めなおすと更に続けた。

「――――そうだ、昔話をしてやろう。『――昔、ここ、セントラルシティにバリーという肉屋のおやじがいました。バリーは肉を斬り分けるのがそれはもう大好きでした。でもある日牛や豚だけで我慢できなくなったバリーは……夜な夜な街に出ては人間を解体するようになったのです。やがてバリーは捕まりましたが、それまでに餌食になった人間は二十三人! 中央市民を恐怖のどん底にたたき込んだその男の行き先は、当然、絞首台でした。めでたしめでたし!』――――てのが世の中に出回ってる昔話。ところがこの昔話には続きがあってよォ。バリーは絞首台で死んだ事になってるが、それは表向きの話だ。奴はとある場所のガードマンになることを条件に死刑を免れた……ただし、肉体を取り上げられ、魂のみ鉄の身体に定着させられてなァ――――そう! 今、てめェの目の前にいるこのオレ! バリー・ザ・チョッパーとはオレの事だァ!!」

「誰?」

 ――――頭が真っ白になることって、魂だけでもあるんだなーと66、もといバリーは感じた。

 更に。

「アル! アルフォンス!」
「――?」

 上空から女が降って来たが、真っ白であんまり驚かなくてすんだとも思った。

「エドはどこだ?」
「あ、兄さんならあそこから中に」
 通風孔を指差し、入り口にしたことを示す。は視界の片隅にいる、なんだか灰になりかかってる精神体を見つけてアルに訊いた。
「……なんだあれ」
「なんか、ここのガードマンだって。ボクと同じ感じ」
「そのようだな。……任せていいか?」
「うん。大丈夫!」
「たのむ――『ステア』」
 ふわりと風に乗り、吸い込まれるように通風孔に降ってきた女は消えて、また侵入者のアルとの二人だけになった。
 アルは浮遊するの姿に見惚れたあと、ようやくバリーのことを思い出して声をかけた。

「…………あ、ごめんごめん、何の話だっけ?」
「オレの事だ――――!!!!!」
 肉体があったら溢れんばかりに哭いてるだろうとバリーは自覚していた。
「ボク、東部の田舎の生まれだから、中央で有名だった人殺しの話なんて知らないし」
「ぶあ!! 田舎者!!」
 あれだけ殺しまくって知らない人間が居るというショックは大きかったし、この大男の子供っぽいリアクションも気になるが、今はもう一つ突っ込みたいところがあった。
「知らないにしたってオレのこの身体見てそれなりのリアクションてもんがあるだろォ、ノリが悪いぞおめェ! ――――もっとこう……ギャ――!! とかわ――!! とかなんだその身体は!! とキィ――ヤァ――――!!?」

(…………ノリがいいなぁ)
 アルは自らの頭部を少し浮かし、空洞を示しただけで、バリーが悲鳴を上げるのを見た。

「わ――――!! 何だその身体!! 変態!!」
 人間驚きで、普段は口にしないような言葉を言うことはある。
「うぅっ、傷つくなぁ……」
 ――――同類に言われたくはないが、変態は効いた。

「なんでェ、死刑仲間かよ、ビビらせやがって……ふーやれやれ」
「ボクは犯罪者じゃなーい!」
 ぷんすか怒る反応はどう見ても子供のそれで、バリーはそこがすごく気になった。
「あァ? じゃあなんで、そんなナリしてんだよ」
「ちょっと訳ありでね、生身の身体が全消失したあとに、ボクの兄が魂を錬成してくれたんだ」

 バリーは本当にただの肉屋のおやじだった。
 ただし、軍のお膝元のセントラルで二十三人という連続殺人を達成するぐらいに頭は切れた。

「兄貴! げっへっへっへそうかい兄貴か! げひゃひゃひゃ!!」
 唐突に笑い出したバリーを怪訝に思うが、先が読めないのでアルは素直に問う。
「何?」
「いや悪りィ悪りィ。ところでおめェ……兄貴を信頼してるか?」
「当たり前だよ。命がけでボクの魂を錬成してくれたんだもん」

「おうおう兄弟愛ってのは美しいねェ。たとえ偽りの愛情だとしても」
「…………どういう、意味?」
「おめェら本当に兄弟なのかって事よ」
「む……そりゃ、性格が違いすぎるとか弟のボクのほうが身長高いとか言われてるけどさ……」
「いやいや、そういう意味じゃなくて……おめェよ……」
 わざと一拍おいて、バリーはアルに畳み掛けて言った。

「その人格も記憶も兄貴の手によって人工的に造られた物だとしたらどうする?」
「――」

(おお、素直に引っかかった)
 感情が表に出ないのはこういうとき便利だと思った。肉体がある時にこんな事を言えば、噴飯ものの表情になっていただろうから。

「そっ……そんな事があってたまるか! ボクは間違いなくアルフォンス・エルリックという人間だ!」

「げはははは!! 魂なんて目に見えない不確かなもので、どうやってそれを証明する!? 兄貴も、周りの人間も、皆しておめェをだましてるかもしれないんだぜ!? そうだ! おめェという人間が確かに存在していた証は!? 肉体は!?」
「……じゃあ、あんたはどうなんだ!」
「そこの者動くな!」
 激昂したアルが声を上げると、物陰に潜んでいた門番が銃を構えて飛び出してきた。

「ここは立ち入り禁止になっている! すみやかに退――」
「うるせェよ」
 鈍い音がして、頭を横半分にされた門番は脳漿と血液を撒き散らして倒れた。
「じゃあ、あんたはどうなんだ? だと? ――簡単なことだ!」
 急激にさめていく粘度を持った血溜りを踏みしめ、バリーは言う。
「オレは生きた人間の肉をぶった斬るのが大好きだ!! 殺しが好きで好きでたまんねェ!! 我殺す故に我在り! オレがオレである証明なんざそれだけで充分さァ!!」

 倫理的にも社会的にも抹殺すべき人物だと冷えた頭は理解していても、証立てを声高に叫ぶことができるバリーが、少し、うらやましかった。






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