通風孔も風に包んで運んでもらえば直線は楽に進めるが、曲がり角は肉体がある分だけ減速するしかなかった。思ったより長い時間通っていると、エドが開けたのだろうと知れる、金網が外れた箇所にたどり着いて、下に降りた。廃墟のようなたたずまいではあったが、エドの通ったらしい風の流れの残滓を捉えることができた。
「下に向かったのか……――――っ!」
エドの気配の通り道に、闇の気配が色濃く混ざって、残っていた。それと、かすかに捉えたエドの命が、負傷か疲労かによって少しずつ弱っていると判断できた。
(まいったな……対面するにはエドの身柄を確保してからが妥当だよなぁ)
ステアに建物全体で、階下に、エドの元に通じている別ルートの探索を命じ、風に横座りに乗って導かれるまま、煙草に火を点けた。
「――――たとえ、お前の仲間が私の連れを倒し、ここに向かっていたとしても、この建物は複雑な造りになっている。ここまでたどり着くのにかなりの時間を費やすだろうよ」
「……それはどうかな」
スライサーの背後に見える、この空間唯一の出入り口をちらと見て、スライサーの反応を待ってからエドは叫んだ。
「アル! 今だ!!」
「いつの間――に!?」
振り返って構えなおしたスライサーは身を硬くした。出入り口には何も無く、再度エドを見れば低い体勢から手刀を振り上げるところで、避けきれないと理解したとき、鉄仮面が胴体から勢いよく弾かれていた。
「うぬ……卑怯な」
「ケンカに卑怯もくそもあるか」
スライサーの支配を逃れた胴体は力を無くし、盛大な音を立てて倒れた。
錬成していた刃を元の機械鎧に再構築したエドは、綺麗に転がったスライサーの頭部の傍に寄った。刃を納めたエドに、スライサーは不思議そうに訊いた。
「どうした。まだ私の血印は壊されてはおらん。さっさと破壊し――あ」
仮面の頭頂部につけられた飾り布を掴み、エドは自分の目線よりやや下の位置まで持ち上げた。
「魂がこっちにあるんだから、切り離しちまえば胴体はただの鉄塊だろ。それに、あんたには訊きたい事がある!」
「…………賢者の石についてか?」
「知ってる事、洗いざらい吐いてもらおうか」
「言えんな」
「おいおい。負け犬が気張るじゃないよ?」
「はっはっは! ――――まだ、負けてなどおらん」
スライサーが確かに嗤ったと思うと、エドの背後で動くはずの無いものが動き、左の脇腹を熱と痛みが走った。
「…………バカな!」
身をひねることで致命傷は避けたが、腹圧に耐えかねて内臓が飛び出さないように、きつく右手で傷口を押さえ、鉄仮面を放り投げて後ずさった。
「ひとつの鎧にひとつの魂とは限らねーだろ」
胴体から別な声が上がり、床に放り投げられたスライサーが言う。
「言い忘れていたがスライサーと言う殺人鬼は……」
「兄弟二人組の殺人鬼だったって訳よ」
タイミングよく胴体が言を継ぐ様を見て、エドは思わずぼやいた。
「頭と胴体で別個かよ……反則くせぇ……」
「ケンカに卑怯もくそもあるかと言ったのは誰だったかな」
「そうそう。俺達の仕事は、ここに入り込んだ部外者を排除するのが最優先だ。悪く思うなよ」
胴体が刀に残った血を振り払い、愉しそうに言った。
「さぁ、第二ラウンドといこうぜおチビさんよ? と……その前に、兄者に倣って俺の血印の場所を教えといてやるか」
言って胴体は弟だと判り、弟は鎧の内側に描かれた血印を示して言った。
「いいか、俺の血印はここだ! きっちり狙って壊せよチビ!」
エドは血印のある箇所を凝視するが、膝に力が入りづらくなって震えがとまらなくなってきた。
「――――ってそのふらついた足元じゃ無理っぽいな! うはははは!!」
図星を指され、震えを根性で止めて両手を合わせる。
「なめんじゃ……ねえ!」
「おおっと! 錬成とやらをするヒマは与えねぇ!」
弟は言いながらエドに斬りかかり、遊んでいるのだろう、エドがぎりぎりでかわせる距離で刃を振るった。動けば動くほど淀み始めた血の巡りが、エドの視界を鈍らせた。
(やべ……血ィ出すぎた……マジでくらくらしてきやがった……)
しかもさっきまでは気にならなかった頭皮を切られたときの血が目に入り、その痛痒が判断を鈍らせていた。斬りかかってきた弟の刃の奇跡の範囲外に逃れようとして、身を捻ったときだった。
「ぐっ……は!」
刃そのものではなく軍刀の柄尻で、斬られた脇腹を打ち付けられる。堪らずショックを受けた胃が収縮して逆流を始めようとするが、残った理性がそれを抑え、動きが鈍くなる身体とは裏腹に、神経は破損状態を痛みで訴えていた。バランスを取ろうとして脚が勝手に後ろに下がっていくのを止められない。
(……マジ……やべえ! ここで死んじまうのか)
相手は自分を弄りながら殺すつもりなのだろう、追撃は無いが油断無く立ち、こちらを見据えているようだった。指先は右手と同じぐらい冷え切って、迎撃の意志を放棄し始めていた。
(死ぬ…………死…………)
弟は刃を構えなおし、軽く腰を落とした。次で身体の自由を完全に奪うか、殺しに来るのだろう。
あのときのように。
(――――死!)
あのときのように?
遠くで何かがぶつかった音がして、足が動くのをやめたことに気付くと、柱にもたれている自分を理解した。
「…………あー……くそ……」
まだ、動ける。
エドは両手を合わせて。
「錬成するヒマは与えんと言っている!」
何かが声を上げて向かってくる。
(あいつじゃねえか……もう、負けないって、約束したんだから……)
刃の切っ先も、破壊の右手も同じことだった。
右側のおでこが熱くて痛いと悲鳴を上げるが、無視して右手をそいつにあてた。すぐ後ろの柱に、切っ先がめり込んだのと同時に、エドはつぶやく。
「嫌な奴思い出しちまった」
構成を理解し、分解し、再構築する工程を――――分解で止める。
胴体部分を分解された弟は、力なく上半身と下半身に分離されるまま、床に放り出された。
「う……お……」
「…………なんという事か……」
無理やり身体を捻ったせいで、脇腹の剥き出しになって分断された、いくつかの筋肉と皮膚が内蔵を飛び出るのを抑えていたが、失血はあがなうすべも無く、エドは脇腹を庇いながら膝をついた。
「いっ……てえ……」
「ちくしょう! やりやがったなこのガキ!」
「うえ! 気色わる!」
唐突に弟が腕だけ動かしてがなりたてるので、痛みを忘れてエドはのけぞった。
「兄者〜〜〜〜〜」
「うむ……情けないが我らの負けだ。弟よ」
実に情けない声を上げる弟を見やってから、エドはつま先ですぐ傍に転がる下半身をつついて言った。
「実は三人兄弟でした! とか言わない?」
「言わん」
「言わん」
息のぴったり合った回答にエドが感心すると、兄が声をかけた。
「ふー……見事だ小僧。今度こそ、本当にお前の勝ちだ」
「……だったら今度こそ知ってることを全部話せよ」
「それは言えん。さあ、さっさと我々を破壊してここを出て行け」
(傷の男も、人間だ。こんなに痛くて辛い先に、死しか待ってないのに、はその役を買って出ようとする――――だったら、そうさせないようにするしか、ない)
「…………人殺しはかんべんしろ」
「ふん、甘ったるい事を。こんな身体の我々が、人と呼べる代物か? 殺すのではない。破壊しろと言っているのだ」
兄の言葉に、エドは嘆息してから応えた。
「あんたらのことを人間じゃないと認めちまったら……オレはオレの弟をも、人間じゃないと認めることになる……」
(小僧の……そうか……)
「オレの弟は人間だし、あんたらも人間だ。殺しはいやだ」
「――――ふ……はははははははははははは!」
唐突に兄は笑い出し、弟もその反応に驚いて声をかけた。
「……兄者?」
「はははははは、面白い! 我ら兄弟、物心ついた時から盗み、壊し、殺し、人非人よと鬼畜よと蔑まれ生きてきた。人としての心どころか身体までも捨てた今になって初めて人間扱いされるとは……ふははは! 面白い!」
呆然とエドが見つめる中、ひとしきり笑って気が済んだのか、兄はエドに語った。
「小僧! 石について知りたいと言っていたな」
「兄者! 喋ったら俺達処分されちまうぞ!」
弟の制止をものともせず、兄は言い返した。
「どうせ我々は侵入者を始末できなかった役立たずとして処分されるだろう。それに元より、一度死んだこの身……何をいまさら恐れる必要がある。置き土産だ小僧。全て教えてやる!」
「本当か?」
「ただし私は錬金術については詳しくないと言った通り、賢者の石については何も知らん」
「だぁっ! 話になんねーじゃんかよ!!」
期待を持たせながらもあっさり否定する兄に、エドは憤慨する。
「石については知らんが、それを作らせた者……すなわち我々にここを守るよう言いつけた者の事ならば……」
「それは誰だ!?」
急かすあまり遮るエドの言葉に続き、兄は続けた。
「そいつらは――――がっ……」
しかし、背後から急激に伸びた何かに血印ごと串刺しにされ、続きを言うことはできなかった。
「あぶないあぶない」
「う……お……」
何かは女の爪で、伸ばした爪を兄ごと引き寄せてたしなめるように言った。
「だめよ48、余計な事喋っちゃあ」
「あらら……なんで鋼のおチビさんがここにいるのさ」
女のすぐ後ろから、もう一人、年若い少年の声がして、女の隣に立つと、エドを見やって腰に手を当てて嗤った。
「さーて、どうしたもんかね、この状況」
女はさも残念そうに、驚愕で声が出ないエドを見て口を開いた。
「困った子ね。どうやってここの事を知ったのかしら」
「うが……」
エドに話しかけているのに手にしたそれがしつこく声を出すので、女はそれを消すことにした。
「あまり見られたくなかったけど……しょうがないわね」
爪を引っ込めれば串刺しにしていたそれが宙に舞い、少し爪を伸ばして横なぎにすれば簡単にそれは二つに割れて静かになった。ところが――――
「兄者! 兄者……兄者ぁ!!」
もうひとつが声を張り上げ、また騒がしくなった。少年は床に抜け落ちていた刀を拾い上げ、無様な言葉を聞いてやることにした。
「ちくしょう! 俺達はまだ闘える! 身体をくれ……新しい身体をくれ! 身体を――――」
しかし、すぐに飽きたので……壊すことにした。
「がっ……」
「ぐだぐだとやかましいんだよこのボケが! おめーら貴重な人柱を殺しちまうところだったんだぞ? わかってんのか?」
一言発するたびに切っ先を血印に突き立て、刺し抜く。あっさりと鎧を貫通して、床に刺されば鎧が振動で揺れる。
「おまけにこっちの事バラすところだったしよ、計画に差し支えたらどう責任とるんだコラ! なんとか言えコラ! ああ?」
「エンヴィー。もう死んでる」
「あ? あらー。根性無いなあ。本っ当――、弱っちくて嫌になっちゃうね」
エンヴィーと呼ばれた少年はエドの存在をようやく思い出し、動くに動けないエドの元に歩み寄った。
「あー、そうそう。はじめまして鋼のおチビさん。ここに辿り着くとは流石だね、ほめてあげるよ。でも、まずいもの見られちゃったからなぁ……やっぱりあんたも殺しとこうか?」
気にしていることを何度も言われ、あまつさえ殺すなどといわれては、エドも気合を入れるしかなかった。
「こ……の……」
「お?」
柱にもたれながらも、ゆっくりと立ち上がると、勢いよく右足でエンヴィーを蹴りつけた。
「おお!?」
避けられたのは腹が立ったが、軽く間合いを取ると、荒い息のまま、エドは拳を前に上げて構えた。
「あらー……やる気満々だよこのおチビさん。やだなぁケンカは嫌いなんだよね。ケガしたら痛いしさぁ」
「チビチビとうるせーんだよ!」
また言われてついに我慢できないエドは両の手を合わせた。
「てめェが売ったケンカだろが!! 買ってやるからありがたく」
ゴ キ ン。
「な…………な――――!? こんな時にィィィイ!?」
右手の機械鎧は嫌な鈍い音を立てると、エドの意志から離れ、ただの鋼の装飾品となった。
「……機械鎧の故障みたいね」
女が端的に事実を口にすると、少年は諸手を挙げて喜んだ。
「ラッキー!」
「っ――げふっ!?」
反応が鈍ったせいもあるが、エドの反射神経を超えた速さでエンヴィーはエドの三つ編みをつかみ、スライサーに斬り付けられた脇腹に膝蹴りを放った。
「殺すってのは冗談」
「っげほ……!」
「腕が壊れてよかったね。余計なケガしなくて済んだんだからさ」
言ってエンヴィーは三つ編みから手を離し、モノの様にエドを床に落とした。
「いいこと坊や。あなたは『生かされてる』って事を忘れるんじゃないわよ」
(ち……く……しょォ……)
薄れゆく意識の中、女とエンヴィーとか言う奴の声がやけに響いて――――の声もしたような、気が、した。
「さて……もうここで石を造る必要も無いし、爆破して証拠隠滅してしまいましょうか」
「でも本当にこの子生かしといて、大丈夫かな」
「ここを嗅ぎつけられたのは計算外だったけど、石の製造法を知っただけじゃ何もできないわよ。計画はもう最終段階に入っているのだから」
「なるほど? 廃墟に闇の化身とはなかなか味な組み合わせだな?」
「!?」
「だれだ!?」
二人が気を取られた一瞬の隙に、意識を喪ったエドの身体が宙に浮いて――――
「一人はこの前会ったな。犬は見つかったのか?」
入り口近くに降り立ったの傍に運ばれた。
「おまえ……」
「エンヴィー、知ってるの?」
「ああ、あいつの犬、見つけたから追いかけてた時に、会った」
「そう……今晩はお嬢さん。そして……さよならね」
『防げ!』
瞬時に伸びた女の爪を、魔術でなぎ払う。
「!!」
「ラストの攻撃を……防いだ?」
「おいおい、初対面の人間にずいぶんな挨拶だな? 闇の者はもう少し気位が高いと思っていたが……見当違いのようだ」
とびきり意地の悪い笑みを向けてが言うと、ラストは素直に訊いた。
「私の攻撃をどうやって防いだのかしら?」
「企業秘密さ。――――ふぅん? ずいぶん、溜め込んだものだな。そこまで育てるのに……何人殺した」
「何を言って……」
「おや、違うのか? 髪の毛一本一本にまで、凝縮された命を宿しているモノよ」
魔術師たるには、目の前の存在がどういう類の存在かと看過することはたやすく、故にすぐに口にしたが、言い方が悪かったのか、女――ラストもエンヴィーも驚愕をあらわにした。
「な……」
「てめぇ、なに知ってるんだよ!?」
「なにも? そういうことはおまえ達が一番詳しいのだろう?」
「っざけんなぁあ!」
怒号と共にエンヴィーがに駆け寄り、飛び掛ってきた。
『ステア』
――の頬に触れる直前で、圧縮された空気の塊がエンヴィーの喉下に喰らいつき、そのまま正面の一番奥の壁にまで吹っ飛ばされる。壁に亀裂が走り、振動が内壁のいくつかを崩壊させた。
「……っが……」
「エンヴィー!? ……よくも……」
「やめておけ、闇の者よ。私は単純にエドを連れ戻しに来ただけだ。争う気は無い」
「なんですって?」
「それとも、エドをこんなにまで痛めつけてくれたお礼を……しても良いのかな? お望みならお前達ごとここの証拠隠滅を図っても一向に構わんが」
力は充分でないとわかっていた。だが、――を放っても何の障害もないと感じていた。あとはきっかけを待つだけ。
「計画計画とうるさそうに言う割には、感情に走る駒のようだからな。多少手駒が減っても、トップは惜しまないんじゃないか?」
「うるさい! 何がわかる!?」
普通の人間なら壁にたたきつけられた時の勢いで全身複雑骨折の上、落下時の衝撃でその折れた骨が肉に刺さってショック死しているところを、エンヴィーは瓦礫を除けながら怒鳴ってきた。
「…………今知ったのはラスト、エンヴィーという名前だけだ。――ん? エンヴィー? 嫉妬?」
奇妙な符号に気付いたは、再び意地の悪い笑みを向けて言った。
「これは面白い。ウロボロスの印になぞらえたか。本を読んで知識はためておくものだな。あやかしの類は居ないと聞いていたが……自ら生み出す者は居たか」
「色々……気付いちゃったみたいね……」
これがテストなら満点をあげて、その上で殺しても良いとラストは思い、嘆息した。
「まあな。お前さんたちの反応で」
「…………っ。エンヴィー。引き上げるわよ」
「なんでだよ!?」
「これ以上あのお嬢さんの前にいると、どんどん知られちゃうわよ。それでもいい?」
「――――ちィ」
「ほれほれかーえーれ、かーえーれ」
「うっわむかつく!!」
たった一人の帰れコールにエンヴィーは半泣きになって拳を握り締めた。
エンヴィーの態度に軽いめまいを覚えながらも、ラストはを見据えて言った。
「……お嬢さん。お名前は?」
「おやこれは失礼。我が名は・。以後お見知りおきを」
「覚えたからな! 次にあったときは殺してやる……!」
「喧嘩上等。周囲に被害が及ばなければ応えよう」
まだなにかぎゃーぎゃー言っているエンヴィーを引きずって、ラストは姿を消した。
「――――やれやれ。とんだ対面だった」
息をついて風の膜に護らせていたエドを見つめる。傷口はすぐに魔術で塞いでいたが、喪われた血液は取り戻しようが無く、瀕死の重体と言うほどでもないが、通常よりも体温が低いのは確かで、生命力そのものを回復させる術はあったが、ここでする気にはなれなかった。機械鎧の異常も解ってはいたが、部品が欠如していては手の施しようが無かった。
が辿り着いたとき、丁度エンヴィーがエドを膝蹴りにしていたときで、精神体のガーディアンの抜け殻を見たときは、切り口からエドの行為ではないと判断していた。
「じゃ、戻るか。アルもそろそろカタが着くだろ」
ステアに再び横乗りになり、膜に包んだまま、エドを風の尻尾に繋ぎとめて部屋を出ると、今しがた居たばかりの部屋が爆発した。
「!?『ステア!』」
速度を急速に上げて進むと、通路に面した部屋も次々に爆発を起こし、通り過ぎた箇所は次の瞬間には崩壊と砂塵の連鎖が止まなかった。
「ふん、仕事は義理堅く片付けようってか。涙が出るね」
崩壊する壁や地面に叩き潰されていく命が、天に還るのが視えた。
『エステリアの守人よ――――彼等があなたの元に還る。新たなる生まで安らぎを与えよ』
鎮魂の呪文を口にすると、は地上に抜けるまで口を閉ざした。
(あの時…………兄さんはなんて、言いかけたんだっけ?)
『なぁアル――――オレさ、ずっとおまえに言おうと思ってたんだけど、怖くて言えなかった事があるんだ』
(怖くて……言えなかった事……言えなかった事……)
オマエノソノ人格モ記憶モ人工的ニ造リ上ゲタ物ナンダ――――
「!?」
思いに耽る余裕は無い筈なのに、迷いは動きを鈍らせ、アルの腕にバリーの鉈が深く食い込んで、傷が残った。
「どうしたどうしたァ! 急に動きが鈍くなったぜェ!?」
アルを嵌めることに成功したバリーは嬉々として襲い掛かった。
「げははははは!! 人工的に造られた魂っつっても完璧じゃねェとみえる! これ位の揺さぶりで動揺するんだもんなァ!!」
無論、言葉の端々に適当に毒を織り込んで語りかけることは忘れておらず、術中に陥ったアルは堪らず怒鳴り返した。
「う……うるさい! ボクは……」
「認めちまえよ。楽になるぜ?」
人工的ニ造リ上ゲタ――――
「くっ……」
ためらったその一瞬をバリーは見逃さず、脇腹を打ち付けてアルに初めて膝をつかせた。
「げははははははは!! スキだらけだぜデカブツ!!」
大上段から振りかぶって、兜を真っ二つにしてやろうと握る柄に力を込めた。
そこに、銃声が二つ響き、鉈はバリーの手を離れて地に突き刺さった。
「うェ?」
「動かないで!」
殺された門番と同じ位置に立つのは、マリアとブロッシュだった。
「次は頭を狙います。おとなしく鎧の大きい人をこちらに渡してください」
銃口をバリーの骸骨に向けて、マリアは続けた。
「ロス少尉……」
力なくアルがつぶやくのを見て、バリーは訊く。
「なんだ、おめェら?」
「その人の護衛を任されている者です」
「ああくそっ、護衛風情がいい所で邪魔しやがってよ! 門番の野郎何やって……ああ、オレがぶった斬っちまったんだっけかァ。失敗失敗」
闖入者に興を削がれ、バリーは嘆息してぼやいた。
「ふん…………面倒な事になっちまったなァ……ん?」
言い終えないうちに、微弱な振動が大地から生まれ、それが徐々に大きくなってきた。
「?…………なんの音だ?」
マリアがバリーを見ていることを確認してから、ブロッシュは音と振動の出所を探ったその時。
巨大な爆発音と共に、研究所が爆発した。砂塵と轟音、そして礫が平等に降りかかる。
「な……なんだぁ!?」
「爆発!? ――軍曹! 退避よ!」
ブロッシュに声をかけたマリアは安全確保の命令を下すが、アルが立ち尽くしたまま動かないので怒鳴りつけた。
「何してるの逃げるわよ!!」
「! 兄さんが!!」
「ちょっ……どこへ行くの!?」
我に返った途端、アルは粉塵が舞い崩壊を続ける所内に駆け入ろうとしたので、慌ててマリアは腕をつかんで止めた。
「兄さんがまだ中にいるんだ! はなしてよ!」
「バカな事言わないで! 巻き込まれるわ!」
「だって……!」
「が先に来てたはずよ! 二人で一緒に出てくるわ!」
「でも! そうできなかったら!?」
「それでもよ! あなたにもしものことがあったら、エドワードさんももきっと悲しむ!」
アルとマリアのやり取りをBGMに、バリーは呑気に痒くも無い頭を掻いて言った。
「うーむ。こりゃあアレだな……素直にとんずら!!」
「ま……待て!!」
ブロッシュが慌てて威嚇体勢を取るが、バリーは構わず走りながら声をかけた。
「おめーらも早く逃げねェと巻き込まれるぜェ! げひゃひゃひゃ!!」
「くっ……」
正論に眉をひそめ、ブロッシュは銃を収めて周囲を見た。計算された爆発なのだろう、建物自体は四方に倒壊することは無く、階下を押し潰す様に背が低くなっていった。
「兄さんが……兄さんが!!」
「今はあなたが逃げることを考えなさい!」
地面にへばりついて動こうとしないアルの腕をつかみ、マリアは必死になって説得していた。
そこへ。
「!」
「え?」
「待たせた!」
突風と共に、エドを背負ったが現れた。
「!」
「兄さん!!」
「傷口は塞いだが血が足りん。病院で見せたほうがいい」
「傷?」
「血?」
「あー……まあ、とりあえず、逃げようや」
「ロス少尉、何してるんですか早く! あ、、エドワードさん!」
「軍曹、エドワードさんを!」
「うわ、血だらけじゃないですか!?」
「話は後だ!」
崩壊する元第五研究所から四人が車に乗り込んで逃走するところは、幸い深夜のため人通りが少なく、目撃者は存在しなかった。
『はじめまして鋼のおチビさん』
――……
『やる気満々だよこのおチビさん』
…………れ
「うるせ――――!! 誰が顕微鏡でみないとわからねェどチビだぁあああ!?」
「五月蝿い」
「ぐぇ」
意識を取り戻したエドの開口一番に、は果物ナイフの柄尻でエドを小突いた。
「兄さん!」
「あれ、アル? つうか、ここどこ?」
「病院だよ! 怪我して倒れてたんだって!?」
「怪我…………けがぁああああのやろ――――!!」
「だから黙れ」
「あで」
「ちょっと、やりすぎだよ」
「やかまし。エドが起きたから約束だ。マリアのところに行ってこい」
「…………うん」
力なく頷いて、アルはゆっくりと病室を後にした。
「あれ? アル、どこ行くんだ?」
「そのうち解る」
「何だよそれ……痛て」
起き上がろうとすると、腕に点滴、腹と肩と頭には鈍い痛みと包帯が巻かれていた。
「鋭利な刃物による刺し傷、切り傷、その他打撲諸々。全治一ヶ月!」
「えぇ――――!?」
「だから黙れ」
今度は柄ではなく鞘を抜きかけては小さく言った。
「わわわかった! ……一ヶ月も?」
「失血もひどかったんだ。筋肉や内臓の細胞が壊死してないだけありがたく思え」
内部のずたずたになってしまった組織は修復したが、失血量と帳尻が合わなくなるため、は表面の切り傷は癒していなかった。
「なぁ、治してくれよ」
「ヤダ」
「…………なんでだよ」
「思いっきり嘘ついたじゃないか」
「う……それは」
「だからいい薬だ。頭を冷やせ」
「なんだよケチ……」
「キスさせてくれたら治してやろうか?」
「なんだよそれ! て言うか逆じゃねえかフツー!! ででで」
「ははは――。さて。怪我人のためのメニューを勉強してくるかな」
そういっては病室を出て行ってしまい、残されたエドはいつの間にか綺麗にむかれたりんごが、傍のサイドテーブルに盛り付けられているのを見つけた。
「……ちぇ」
おとなしく齧ると、酸化しない為に塩水にくぐらせたのか、塩味が少しきつく感じた。
りんごを食べ終えてしまうと、手持ち無沙汰になるわ、あのエンヴィーとかいうやつの事を思い出すわ傷は痛むわ腕は動かないわアルもも戻ってこないわで――――エドはあからさまに不機嫌になった。
不貞腐れ度も最高潮に達しようというころ、病室のドアをノックする音と、ブロッシュの明るい声が聞こえた。
「あ、エドワードさん!」
「起き上がれるようになりましたね」
続いて、マリアも笑顔で入ってきた。
「ここは?」
「ロス少尉の知人の病院です。軍の病院だと色々訊かれたときにまずいだろうと判断しまして……ここなら静かに養生できますよ」
全治、一ヶ月。の台詞がにじんで残る。身体の痛みを考えれば事実なのだろうが、気がせいて仕方ないエドは礼を言う前にぼやいてしまった。
「あーくそ痛ぇ……もう少しで真実とやらが掴めそうだったのに……入院なんてしてる場合じゃないよなぁ」
エドの言葉を聞いて、マリアとブロッシュは目配せをして、整列と同時に異口同音に言った。
「鋼の錬金術師殿!」「先に無礼を詫びておきます!」
え、といいかけたエドを見舞ったのは――――マリアの盛大な平手打ちだった。
「あれほどアームストロング少佐が勝手な行動をするなと言ったのに、それをあなた達は! 今回の件はあなた達に危険だと判断したから宿で大人しくしていろと言ったのに!! 少佐の好意を無視した上に、下手したら命を落とすところだったのよ!? まず、自分はまだ子供なんだって事を認識しなさい! そしてなんでも自分達だけでやろうとしないで周りを頼りなさい…………もっと大人を信用してくれてもいいじゃない」
一気に言われて、理解するのに少し時間がかかって、
「以上!! 下士官にあるまじき暴力と暴言、お許しください!」
踵を打ち鳴らして整列するマリアとブロッシュを見上げて、ようやくエドは口を開いた。
「……あ……いや……オレのほうが悪かった…………です」
「……ビンタのおとがめは?」
「そんなもん無い無い!」
何故かマリアの声は震えていたが、エドは気軽に言い返した。
「……は――――ぁ。緊張した……」
「俺心臓止めてた自信あります……」
脂汗を浮かべ、二人は胸を撫で下ろした。
「…………なんでそんなに気ィつかうんだよ」
「一般軍人でないとは言え、国家錬金術師は少佐相当官の地位を持っていますからね。あなたの一言で我々の首が飛ぶこともあるんですよ」
「そんなにピリピリする事ないよ。オレは軍の地位が欲しくて国家資格を取った訳じゃないし。それに、敬語も使う事ないじゃん、こんな子供にさ」
「あらそう?」
「いや――、実は年下に敬語使うのえらいしんどくてさー!!」
「順応早ッ!!」
切り替わりの早さには自信があったが、この二人には適わないとエドは思った。
「そういえばアルは?」
「アルフォンス君はさっきオレがゲンコツかまして同じように説教した! おかげで手がこのザマだけどねははは」
腫れ上がった手の甲を示し、涙ぐむブロッシュがおかしくてエドはようやく笑い声を上げた。
「あいつかてーだろあははは……いででははは……はは……は」
笑いで響いて痛む傷口を押さえようとして、笑みが消え、頭を抱えた。
「……もう一回盛大に怒鳴られるイベントが残ってた……」
「?」
屋上の喫煙所では煙草をふかしていた。不意に出る言葉がどうしても、エドを煽ってしまう自分の心理が、自分自身理解できずにいた。
(キスさせろって……たしかに立場が逆だよなぁ…………)
「てゆーか……年下好きだったのか……私ゃ」
「あら? 好きなら好きでいいんじゃないの?」
「……っ」
「ごめんねー、あんまり深刻そうだったから、つい」
可愛らしく謝ってきた女性は、はつらつとした、嫌味のない色気を持つ看護婦だった。内勤者向けの休憩所だとおじさん医師の相手をしなければならないので、たまに屋上に来るのだという彼女は、ジャネット・ヘミングと名乗った。
「へぇ、好きか嫌いかって言えば好きだけど、恋愛対象じゃないのにからかっちゃうんだ」
「なんというかこー、近所のちびっ子をからかっているというか……でももうちょっと大きくなればそれもアリかなーって……自分でも変だとは思っているんだが……」
「そういうのって男女の区別無くあると思うわよ?」
「…………そうなのか?」
「そうよ。今研修医で可愛い子が来ててね、すっごく一所懸命で、真面目で、可愛くてつい」
内容は語らないが、ジャネットの態度から察するに、自分の知らない未知の世界なのだろうとは思った。
「いいじゃない、迷ってて。本当に好きになったら止められないんだから」
「そうだな。ありがとう」
「んふふー。今度検温にエドワード君のところへ行こうかしら?」
「……ジャネットって何科?」
「小児科兼産婦人科!」
「……ちょっと、頼みがある」
背が大きくなった患者の新しい機械鎧を製作するため、スペア用の木製の義足を仕上げているとき、電話が鳴った。
「はいはーい。今出まーす」
ベルが鳴り続ける時に声をかけても通話は成立しないが、ウィンリィは電話に呼びかけながら、電話の置かれた棚に腰掛けて受話器を上げた。
「はいっ。義肢装具のロックベルでございます」
「あ、ウィンリィか? オレオレ」
どこかの世界なら詐欺の名称にも使われた切り口でエドは話しかけた。
「エド? めずらしいわね、電話して来るなんて」
ざっくりと辛口で言うウィンリィに、エドは意を決して告げた。
「あ――――……あのさ……実に言いにくいんだけど、出張整備してくれないかな――って……」
「出張?」
「いや右腕を壊しちまったんだけどさ……今ちょっと訳ありでそっちに行けないんだ。中央まで来てくれないかなぁ」
「壊れたって、どんな風に?」
「指は動くけど腕が全く動かない。肩が外れた感じだな」
「うーん。やっぱりダメだったか」
「は?」
「いやいやこっちの話。何か重い物持ったとか、必要以上に腕を振り回したりした?」
下手に嘘をついてもすぐにばれてしまい、ひどい目に合わされた過去のあるエドは単刀直入に言った。
「派手にケンカした」
「またあんたは!! 無茶したら壊れるってあれほど言ったでしょ――――!!!」
――――と、怒鳴られるのを、受話器を遠ざけ、条件反射で身をすくめてエドは待っていた。しかし、一向にその気配が無いため、恐る恐るエドは話しかけた。
「……もしもし? ……ウィンリィ……さん?」
「…………しょうがないわね、セントラルのどこ?」
「へ?」
「出張整備引き受けたって言ったのよ。どこに行けばいい?」
「……なんかおまえ、今日はずいぶんやさしくねぇ?」
「あたしはいつだってやさしいわよっ」
A−08とラベルのついたネジをつまみながら、ウィンリィは棒読みで言い返した。
「――ああ、じゃあ詳しいことはまた電話する。――うん。うん、悪りィな」
受話器を置き、細く長い溜息をついて、エドは肝の冷えた電話をやり過ごした。そこに、白衣の天使から紅茶を分けてもらったブロッシュが声をかけた。
「彼女に電話?」
「誰が彼女か――――っ!?」
赤面して怒鳴った途端、輸血も充分に終え、縫合した箇所から鮮血が噴出した。
「ああッ、傷口がッ!! 看護婦さーん!!」
「あらあらたいへん」
「ああ……大きい川の向こうで母さんが手を振って……」
ちっとも大変そうに見えない足取りでナースがやってきて、緊急処置室にエドは運ばれ、年若いということもあって少し多めに縫合された。昨夜から二度目の縫合を受けたこともあって、せめて塞がるまでの一両日はと医師に諫言を言われ、血小板の量が多いエドも車椅子で移動させられることになった。ブロッシュに押してもらいながら病室に戻る道すがら、からかい甲斐のあるおもちゃを見つけたように、ブロッシュはニヤニヤ笑いを浮かべて、エドはたまらずブロッシュに言った。
「電話の相手はただの機械鎧整備師だよ!」
「なんだ、つまらないなぁ」
「つまらなくて結構!」
「彼女、いないの?」
「いらん!」
「は最初そうだと思ってたんだけどな――」
「っち、違う!」
なぜか、病室で目覚めたときのやり取りが脳裏に浮かんで。化粧っ気の無い、それでも、柔らかそうな肌と、瑞々しさをたたえた唇に思わず目がいってしまったことは誰にも内緒で。
「うーん。あやしい」
「怪しくないっ」
これ以上苛めると傷口が開きそうなので、ブロッシュは自分の話に切り替えた。
「オレが君位のころにはねえ、なんかちょっとした仕草に目が向いちゃったりしたよ」
「ふーん」
「声とか、指先とか、うなじとか」
「…………ふーん」
素っ気無いのはあくまで素振りで。
(そうか……やっぱり目が行くんだよな、普通なんだな!)
胸中で小さく拳を握ったりしていた。
緊急処置室から入院患者用の病棟に向かうため、手術室のエリアを抜けたところで、使われていない手術室の長椅子にアルが座っているのを見かけた。
「アル? なにやってんだ、そんなすみっこで。おーい、アル!」
「!」
声をかけられたことに気付いていなかったのか、アルは相当驚いたようで身を竦ませた。
「兄……さん」
「そんな所にいないで、部屋に行かないか?」
普段ならすぐに応えがあるはずのアルは、自分を見つめたまま、黙していた。
「?」
「ううん、なんでもない。……今、行く」
「? 先、行ってるぞ」
車椅子の車輪の回る音が聴こえなくなって、アルは対面に設置してある消毒用の流しにかけられた鏡に映る自分を見た。
その人格も記憶も兄貴の手によって、人工的に造られたものだとしたらどうする?
認めちまえよ――楽になるぜ?
この裡に宿る感情を全て吐き出してもこの身体は鎧に間借りしたままで。拠るものが無くなれば今度こそ消えてしまう。
生身の身体なら割ることなど到底不可能だった鏡は、今は軽く抑えるだけですぐにひび割れ、いびつな己を真っ直ぐに映し出していた。
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