!」

「――あれ?」

 可愛らしくも鋭いアルの声がやけに大きく鼓膜に響いて覚醒るが、視界を占めるのは知らない暗い天井。身体を包む柔らかな感触はベッドに寝ているからだと認識したとき、暗がりの中からアレックスの声が降ってきた。

「気がついたか」

 自分を心配そうに見つめてそう云うその表情のほうが心配に見えて。

「……大丈夫か?」
「それは我輩の科白だ」

 即答されて醒めきらない頭は反応が遅れてしまい、呆けたを見たアレックスは室内の明かりをつけた。途端に光が室内に充ちて眩しさに顔をしかめるが、おかげで直前の記憶を取り戻すことが出来た。


 ――――ただ、何かが抜け落ちている気がしても紗ほども手触りは無く。


「……寝ちゃったのか、な?」
「気絶という表現が一番近かろう。ドクター・ジョーイは単なる疲労だと判断されていたが、なんとも無いか」
 の言葉よりも先に、アルはアレックスのあいだに割って入りを覗き込みながらまくし立てる。
「本当にびっくりしたんだからね! あれは寝るって言うより本当、昏倒したんだから! 少佐も乱暴に扱ったらいけないっていつもより反応遅いしお医者さん家なのに病院に電話をかけようとするし!」
 先生の奥さんが来なかったら医者を呼びにここを飛び出しかねなかったよと付け加えたアルは嘆息してアレックスとを交互に見やった。
「……ごめん」
「……うん。でも顔色すごくいい。痛いとか、だるいとかない?」
「あ――。うん。何か……楽。身体軽い」
 言って起き上がると外はもう真っ暗で。
「まずっ、早く帰ろ――」
 ふかふかの上掛けをはだくと、下半身は下着一枚で。
「――――っ」
 思わずアルとアレックスを見るが、いつの間にか二人とも背中を向けていて。
「み……見た?」
「見てないよ!!」
「いや。婦人が衣服をそこに掛けているのは知っていたからな、そなたなら気づくと思っていた」
「あ……ほんとだ」
 確かにジャケットは壁に、パンツは上掛けの上に畳んで置かれていたので手にしてとりあえずパンツを穿いて二人に声を掛けた。
「どのくらい寝てた?」
「二十分ぐらいかな。病院はもうご飯の時間だね」
「なに、どうせ夕食は別にしようと思っておった」
「そうだったのか?」
「うむ。この前から予約してある」

「……本当にデートとして押さえてた訳ですね」













 本来、精神体には肉眼のような視界の制限は無く、また、肉眼で認識する世界とは全く異なる捉え方をするはずである。鎧を拠り所とするアルの視界もまた同様の認識になると思っていただったが、
「え? 見え方? 普通だよ」
「ふうん、変わらないのか」
 アルの返答はヒトの答えそのままだった。
 レ・プラタイアの特別室で、食前酒のミモザを飲み終えるぐらいで運ばれてきた洗練された料理を食す。前菜の蟹とビーツのミルフィーユは最初は濃厚な磯の香りが口腔を満たすが、添えられたグレープフルーツがのどに残る臭みを流し、旨みだけが舌の上にかすかな残滓を残していった。
「まあ、鉄兜を取るとか、集中すると血印の位置から外を見る感じになるけど、あれは『見る』って言うより『感じる』に近いなぁ」
「じゃあさっきは本当に見てなかったのか」
「あ、当たり前だよ! ……爪先だけ少佐の手の向こうに見えたけど」
 悔やむ色が混じる返事を聞かなかったことにして前菜を片付けると、一拍遅れてシルバーを置くアレックスが言った。
「嫁入り前の娘が、無闇に肌を露すものではない」



 食後の紅茶だったりブランデーだったりをサロンでめいめいにくつろぎながら娯しんでいると、アルがを見ていて。茫洋とも取れる態度で細巻きの葉巻をくゆらせたまま、声を掛けた。
「どうした?」
「うーん……ボクって場違いだなって」
「その腕も、足も、お前の意思を表現すかけがえのないものだろ、自信持て」
「今日の料理も食べれなかったし」
「今日始まったことじゃないだろ」

「……なんか、意地悪だ」

「いさかか度を過ぎているな、酒に酔ったか?」
 アレックスがを見る。確かにミモザに加え、フルボトルに仕上げのブランデーはにとっては悪酔いコースで、明確な意思を秘める眼差しは普段の半分ちかくまで瞼が覆い隠していた。

「現在を確かに生きているんだよ、アルは」
「でも、本当に生きてるって言えるのこれが」
「生きているさ。生は死への行程……誰の上にも等しく」
 恭しく掲げたグラスの中、赤いブランデーが赤い輝きを放つ。
「触れないし寝れないのに?」
「…………ひとつ、面白いことを教えてやろう。そのまま見ればお前は確かに鎧の大男だ。でも、私から視れば――十歳ぐらいの小さな男の子に見える」

「え」

「なんだと」

「アルフォンス・エルリックの魂の記憶がまとう外殻なんだろうな。肌は白かったんだろうが、ちょっと日に焼けた肌で、柔らかい金の髪を刈り上げて、手足は伸びやかだ。いまは目を丸くしている」
 葉巻の先端でアルを示し、口元に葉巻を戻す。

「わ……わかるの?」

「視たままを言っているだけさ」

「なんと……」

 アルだけでなくアレックスも腰を浮かせてを見た。視線を集める魔術師は意に介さずブランデーをゆっくりと口にして、アルコールの強さとともに舌を刺しのどを過ぎた後も鼻腔に抜ける香りに目を閉ざす。

「その身体は確かに涙を、肉を持たん……だが、本当のお前は、ちゃんと生きてる」

 一緒に居る時間は短くても、『アル』の表情の豊かさはすぐに分かった。

「誰も知らないわけじゃない。私は……知ってる」
……」

 アルはの側に寄り膝立ちになって続けた。

「ボクが……わかる?」
「ああ。すごーく嬉しそう」
「そっかぁ」

 そっと、鎧の胸板におでこをあて、贖罪を乞うようにアルに告げる。

「――ごめんな、最初から視えてた」
「うん」
「でも、信じるか分からなかった」
「うん」
「悩んでることも、知ってた」
「うん」
「でも、それは心を踏みにじると思ったから、言えなかった」
「うん……いいよ、もう、いいよ」
「エドの言いたいことも、なんとなく分かってる」
「うん……」
「恐くても、訊いてみな? きっと――エドは……」

「――っと」

 の手からくすぶる葉巻と、飲みかけのブランデーグラスを奪うと身体を預けたままのから寝息が聞こえた。

「寝煙草するなよなぁ、もう」




 特別室専用のエントランスから店を出たを抱きかかえたアレックスと、アルが車に乗り込み、夜更けのセントラルを病院に向けて車は走る。

 穏やかな寝息をたてて眠りこけるをアレックスはいとおしげに見つめ、頬にかかる髪をそっと後ろに流した。

「ん……」

 わずかに身じろぐだがアレックスの腕は相当ににとって広いのだろう、すぐに規則正しい寝息に変わった。

「よく寝てるね」
「昼間の疲れもあったのであろう。全く無茶をする」
「本当、こんなに小さいのに、パワーあるし、口うるさいし、元気だけど……」
「確かに芯はかなり強いだろう。だが、いつも強く在れることは、この若さでは困難なことだ」
「…………少佐って、の事好きなんですか?」
「好ましいとは思うぞ。良い軍人になるとも思っている」
「そうじゃなくて、告白したいなー、って」
「それは妻に迎える気があるか、ということか」
「いやそこまでじゃなくても……もういいです」


















(――――ドジ踏むんじゃないよ。全く。エドだからああいう風に言ってくれてるんだろうけどね、あたしらは信用第一なんだ。今度こそきっちり整備しておいで!)

 けして怒鳴りはしないが張りのあるピナコの声が耳から離れないのは図星だから。図星過ぎてウィンリィは体勢を余り変えずに汽車に揺られ、セントラルに着いた時には滞った血液と固まった筋肉が悲鳴の大合唱を上げた。

「っ――――あう――……お尻痛いぃい……」


 車両から吐き出された人波のなか、ウィンリィは凝り固まった臀部をさすりながら改札口へと向かった。


「まだ痺れてる……あいつらよくこんなのにしょっちゅう乗ってられるわね」

 歩くたびに肩に掛けた大き目の工具箱が金属音を立てて、行き交う人の流れをどうにかよけながら駅の西口に出たときは、流石に一息つきたい欲求に駆られた。
「はぁ……さすがに中央は人が多いわ。エドの奴『西口で目印が立ってるからすぐわかる』なんて言ってたけど目印って――――あ。目印……」

 果たして身長二百二十センチの目印がそこにいた。

「アームストロング少佐!」
「おお、ウィンリィ殿! リゼンブールではお世話になりましたな」
 折り目正しくアレックスが頭を下げ、ウィンリィも会釈で返して言った。
「いえいえ、エルリックのバカ兄弟がお世話になりました」

 レディファーストかフェミニストか、ごく自然にアレックスはウィンリィの工具箱を持ち、彼女の歩幅に合わせて歩き出した。エドには一度もされたことのない扱いに素直に嬉しくなるが、反ってエドの態度が、迎えに来ないことが腹立たしくてつい口をついて出てしまう。

「それにしてもエドの奴、こんな所にまで呼び出しておいて迎えにも来ないなんて!」
「仕方ありますまい。今は動けない状態ですからな」
も来ないし」
「……旅での疲れが出たようです」
 真実は宿酔であったが、『ウィンリィが来るまでには癒す』というの言葉をアレックスは信じて茶を濁した。
「それなんですけど、エドが動けないってどういうことですか? あいつ何も言わないんですもの」
「……いやまぁ、なんと言いましょうか…………ちと入院してましてな」

「入院?」

 歩みを止め、深く息をついてウィンリィは独りごちた。
「そう……あいつとうとう犯罪を犯して少年院に……」
「その院ではありません」

 ものすごく納得するウィンリィにアレックスは即座に突っ込むが、

「え……病……院?」

 負傷した事実を知り蒼白になるウィンリィを見て、アレックスは己の行為を悔い、すぐに言葉を変えた。

「なに、軽い怪我ですが大事を取っているだけです。皆が待っております……行きましょう」











 ようやく進み始めた捜索と、それに伴う復旧工事やら警備体制やら報道管制等の雑務に伴う承認の印を捺されるだけの書類が山積になった自分の席を視界の片隅で捕えながら、呑気な親友の声が耳に響いた。
「だからよ! うちの娘が三歳になるんだよ!」
 親ばか選手権があればブっちぎりで優勝しそうなヒューズの言葉に、部下たちの視線が背中に刺さってなかなか痛いロイ・マスタングは苦々しい声音で言い返した。

「ヒューズ中佐……私は今仕事中なのだが」

「奇遇だな。俺も仕事中だ。――いやもう毎日かわいいのなんのってよぉ!」

「わかったからいちいち娘自慢の電話をかけてくるな! しかも軍の回線で!」

「娘だけじゃない! 妻も自慢だ!」

「…………錬金術で電話口の相手を焼き殺す方法は無いものかなヒューズ」

「おーおー焔の錬金術師は恐いねぇ。――っと、錬金術師といえば、傷の男はどうなった?」

「まだ発見されていないが、かなり大規模な爆発で身元不明の死体も多数出てるからな…………或いはその中に。東部近隣での目撃情報も無いから、やはり死んだものとする意見が大勢を占めている」

「じゃあエルリック兄弟の護衛は解けるのか?」

「ああ。彼らが中央に居るのなら、中央の担当に判断を任せよう」

「その担当だがな、国家錬金術師を統制する上層部の奴らが傷の男に殺られて人員不足になってる」

「ほぉ……」

「マスタング大佐の中央招聘も近いって噂だぜ」

「中央か。悪くないな」

「気をつけろよ。その歳で上層部に食い込むとなると敵も多くなる」

「覚悟はしている」

「おまえさんを理解して支えてくれる人間を一人でも多く作っとけよ」

 核心を突いたヒューズの言葉にロイ・マスタングは無言で肯定と返した。

「だから早く嫁さんもらえ」

「やかましい!!」



「大佐。お電話はお静かに」

 受話器を叩き付ける姿にあっけに取られる中、リザ・ホークアイだけが冷静に突っ込みを入れた。








 中央軍部の通信室でほくそ笑みつつ受話器を置くヒューズに、通信記録担当は呆れ声でヒューズに声を掛けた。

「ヒューズ中佐……また家族自慢の電話ですか?」
「何? 君も羨ましい? うちの娘が三歳になるんだよ〜〜〜〜〜。写真見る? 見る?」
「見ません!」
 新人のころに愛想を良くしたらキリが無いことを熟知した記録担当はぴしゃりと閉ざす。
「プライベートな会話に軍の回線を使わないでくださいよもう……聞いてるほうがはずかしいったら……」
 しかし当の本人は愛娘の写真に幾度も口付け、彼女の言葉は届かなかった。だが彼女も負けずに去り行くヒューズに忠告をした。
「上の人に盗聴されたら減給ものですよ!」
「減給ごときで俺の愛は止められんのだ!」
 高らかに笑いながら通信室を出たヒューズだったが、廊下に一歩踏み出したところで大事なことを忘れていたのに気がついた。
「――あ、ロイの野郎にエドの入院との事話すの忘れてたな…………ま、いっか」












 「そんな!」
 自ら上げた声だけが病室に響き、居並ぶアルもも軍人たちも応えは無く。
 部屋の主人となるエドは――――全身に包帯を巻いた重体で。

「こんな大怪我で入院してるなんて聞いてないよ!」

 が声を掛けるタイミングを計っていると、

「いや本来はこのケガの半分以下だったのだが……」
「エド!」

 昨日の見舞いでエドに厚い抱擁をしたアレックスだったが、今日もまた出掛けにエドを襲っていたりして。


  事情を知ったウィンリィの眼差しもアレックスは上半身裸のポージングで受け流した。




 宿酔の解消に手間取りエドの治療ができていなかったは初めてウィンリィの前で治癒魔術を披露し、異界の技術にウィンリィは素直に驚嘆の声を上げた。
「へー、あっという間に治るんだ」
「まあ、本人の意思も影響するけどね」

「ここも治してくれりゃ退院できるのにな」
 懲りずにエドがわき腹を示してぼやくので、は小さくアレックスを指差して告げた。

「名実共にビックリショー人間と認定されるだろうなあ」
「またそれかよ……」

 全身に巻かれていた包帯の、もともとの箇所以外を解き終えるエドの姿を見たウィンリィは嘆息した。

「それにしても……少佐の分を差し引いたってひどい怪我じゃない」
「大した事ねーよ。こんなのすぐ治る怪我だ」

 投げた言葉は返らず、やや俯いて押し黙る。

「? なんだよ」

「……機械鎧が壊れたせいで怪我したのかな……あたしがきちんと整備しなかったから……」

「――――」

 普段のウィンリィならまず出てこない弱々しい口調と懺悔に誰も声を掛けられず、ウィンリィ以外から視線を向けられたエドは視線の意味を理解するまでに首を幾度も傾げて。

(そんなこと気にしてたのか……意外と可愛いとこあるじゃん)

 自らの素直な感情に照れたエド。気づけば多分に過分な言葉が口から漏れていた。

「べ、べつにウィンリィのせいじゃねーよ! 大体壊れたのはオレが無茶な使い方をしたからで、お前の整備はいつもどおり完璧だったしな!」


 ――――ネジの締め忘れに気づいてない?


「それに腕が壊れたから余計な怪我しなくて済んだってのもあるしよ! 気にすんなよ、なっ!」



 ――――そして結果オーライ?


 ウィンリィの目が光ったのは消して錯覚じゃないとは知った。


「そうね! あたしのせいじゃないわね! んじゃ早速出張整備料金の話だけど!」

(やっぱかわいくね――!)

 とたんに嬉々として珠盤を弾くウィンリィには感心しつつもエドの反応があまりにも素直で、アルの背中を小さく叩きながら声を殺して笑っていた。

「おまえなぁ、来たと思ったらいきなり金かよ!」
「当たり前でしょ仕事で来たもの! あんたがちゃんとなるまであたしがサポートするって決めてるんだから!」
「うむ! 腕も怪我もさっさと治して、早く元気なエドワード・エルリックに戻ってもらわねば!」
 巧くまとめるアレックスに突っ込みたいのはも一緒で、あんたが言うなと表情に出ているブロッシュの気持ちは良く判った。

「そのためにも栄養と休養をしっかり取る事だ!」
「わかってるよ!」

 苛立ちを混ぜたエドの返事に、ウィンリィはサイドテーブルに置かれたプレートにあるそれを見つけて小さく告げた。

「……牛乳…………残してる」
「!!」

 身を竦めるエドを凝視するが、エドはすぐさま顔を背けて、もう一度見据えても向き合う様子を見せないエドだった。そしてウィンリィに加え、もアレックスも視線を向けて来て、無言の脅迫からどこに向けても逃げ場を失ってやっと本音を吐いた。

「……牛乳…………嫌い」

 まさに子供の言い方にウィンリィは頭を抱えて怒鳴りつける。

「あ――――!! そんな事言ってるからあんたいつまでたっても豆なのよう!」

「うるせ――!! こんな牛から分泌された白濁色の汁なんぞ飲めるか――――!!」

 エドオリジナルの言い回しには二回目ながらやはり軽く吹き出し、マリアとブロッシュは声が出せない分苦しかったようで笑いすぎて悶死していた。

「わがままだぞエドワード・エルリック!! 早く怪我を治したいなら栄養はきちんと取らねばならぬ!!」

「牛乳以外の他の物で栄養とってりゃ問題無いだろ!!」

「だからあんたは身長が伸びないのよ!」

「なんだとぉ!?」

 そろそろ専用看護婦ジャネットが怒鳴り込んでくるかという時にアルだけが無言で病室を出て、ドアが閉まる音で牛乳論争終了と相成った。


「?」

「アル?」




 つねりあげられた頬の痛みも気にならないほど唖然とする二人を知らぬままアルは病院の廊下を抜け、逃げるように病棟を移動した。






「貴女が整備師さん? よろしくね」
「――あ、ええ、はい。よろしくおねがいします」
「貴女も可愛いわね。エド君モテモテじゃない?」
「そ、そいつは只の幼馴染で機械鎧整備師!!」
「はいはい。じゃ、終わったら呼びに来るから待っててね」

 予想だにしていなかった看護婦の存在とその容姿にウィンリィは飲まれそうになるが、に人となりを聞いてその嗜好に思わずこぼしてしまった。

「……からかってるって事?」
「そ。だから実害は無い。ていうか見てると面白いぞ」

 整備する前後に室内消毒を行うため、一行は中庭で作業が終わるのを待っていた。


 アルの恐怖は未だ拭えていないことには小さく嘆息するが、これ以上は兄弟の問題であり他人が踏み込んでいい領域ではなかった。微妙な肩透かしを食らったウィンリィもエドも牛乳の話題から離れてくれたので、は温くなった牛乳と買い足した分で煮出し紅茶を作って皆に振舞った。

「ちゃんと作ってもらったのってそういえば初めてかも」
「そうだっけ?」
「エドの分をちょっともらっただけだったわ。それにしても、おさんどんやらされてるわけ?」
「いやいや、好きでやってるだけさ」
「そう。ならいいけど……甘やかしちゃ駄目よ、すぐにつけあがるから」

「これ以上厳しくされたくねーよ」

「あんたはそれぐらいが丁度いいのよ……」








 目印を担ったアレックスも己の仕事に戻り、ようやく一息つくことができてたウィンリィは消毒を終えた部屋ですぐに機械鎧のチェックに取り掛かった。ベッドにうつぶせにさせたエドの機械鎧の外殻をはずして内部を見れば、予想通り肩のシャフトを支えるネジが無いためにシャフトそのものが過重に耐え切れず中ほどで割れていた。神経を伝達するコードに被害は無かったが……もし裂け口がコードを引っかきでもしたら、激痛がエドを襲ってその痛みは接続時に勝るとも劣らぬ事だっただろうと思いかすかに身震いした。自らの失態は最悪の事態を回避してくれていたことで口は良く滑り、シャフトを交換した所でエドの勝気な言葉が脳裏に甦ってつい言ってしまった。

「そういえば賢者の石が手に入れば、ばっちゃんもあたしも用無しだ! なーんて言ってくれたわよね」
「う……」
「そのくせまだ機械鎧のままだし!」
「うっせーや! 色々面倒なんだよ!」

「あっそ」

「まだしばらく此れとお付き合いだな――――アルもまたしばらくあのままだ……」

 ウィンリィの手が一瞬止まるとエドは枕を抱えなおして言った。

「アル……あいつ、最近変だ」
「変?」
「うん。口数少ないって言うか考え込んでるって言うか」
 そこで室内待機となったブロッシュが口を挟んできた。
「はっ! もしかしてオレが殴ったからショックを受けて!?」
「……いやそれしきでショックを受けるほど弱っちい奴じゃないと思う」

「んー。なにか悩んでるのかな」
 とりとめの無いウィンリィの言葉にエドはため息混じりでぼやいて。
「そっかー。ウィンリィにもわかんないかー」
「いつも一緒にいるあんたがわかんないんだから、あたしにわかるわかる訳ないでしょ」
はなんか知ってるか?」
 とうとう来たか、とは口に出さずにはあくまでもさりげなく応えた。
「さあ。心当たりはあるけど、直接本人に聞けばいいだろ」
「なんだ、知ってるなら教えてくれよ」
「だから直接アルに聞いてみな。もし違ってたら恐いし」
「う……まあ、そうだなぁ」

「そりゃきっとアレだね、恋わずらいだね!」
「色ボケ軍曹と一緒にするな」

 床に倒れて色ボケとつぶやくブロッシュを無視してウィンリィは告げた。
「よしっ、整備終了!」
「お、サンキュー」
 先刻までの不自由さが嘘のように機械鎧は再びエドの意志に従い、上体を起こして機械鎧が動くことの嬉しさに肩を回した。
「あ――やっと治ったぜこんちくしょー」
「あとは早く怪我を治しなさいよ!」
「へーへー」
 身に着けていたエプロンを仕舞うウィンリィに、整備のため脱いでいた病衣の上着を着込むエド。



「ようエド! 病室に女連れ込んで色ボケてるって?」


 ――――私服を着たヒューズの開口一番にエドはベッドから床に突っ伏し、皆が呆気に取られる中でマリアだけがドアの向こうで吹き出すのが見えた。

「ただの機械鎧整備師だってば!!」
「そうか整備師をたらしこんだか。やるな豆!」

 見事な切り返しにマリアとは床に突っ伏して息もできぬほど笑い転げ、エドは否定しても次に何を言われるか予想ができずただ悶絶するしかなかった。

「傷口開くぞ」

 誰のせいだよ、とは言えず、ベッドに腰を下ろしてエドはうめくように言った。

「――――ウィンリィ、このおっさんはヒューズ中佐」

 今までの軍人らしい軍人とは違う印象をウィンリィは持ち、握手を交えて自己紹介をした。

「ウィンリィ・ロックベルです」
「マース・ヒューズだ。よろしくな」

 どうにか立ち直ったエドはヒューズを見上げた。

「仕事抜け出して来ていいのかよ、しかも私服だし」
「へっへっへ――今日は午後から非番だ!」

「へー! 軍法会議所は最近多忙極めてて、休み取れないって言ってなかったっけ?」
「心配御無用!! シェスカに残業置いてきた」
「あんた鬼か」

 呆れ顔のエドをよそにヒューズは更に続けた。

「非番ついでにおまえさんの様子を見に来たってのもあるがもうひとつ。傷の男の件も情報が入ってな、もうじき警戒が解除されそうだ」
「本当に!? やっとうっとーしい護衛から開放されるよ」

「あ! ひどいなー」
「私達がいなかったらどうなってたと思ってるのよ」
「全くだ」

 ブロッシュとマリアが口々に突っ込み、が激しく同意の頷きを見せるとウィンリィはエドに詰め寄った。

「え、護衛って……あんたどんな危ない目にあってるのよ!?」
「う!! いやまあなんだ! 気にするな!」

 清々しいまでに動揺するエドにウィンリィは更に詰め寄り、堪らずエドは視線を外らしてしまう。

「大した事じゃねーよ!」

「…………」

 自爆とも誤爆ともいえる態度に不審の眼差しをたっぷりと注いだウィンリィだったが、ため息ひとつで切り捨てて。

「……そうね。どうせあんたら兄弟は訊いたって言わないもんね――――じゃあ、また明日ね。あたしは今日の宿を探しに行くわ」

 紋切り型で告げられてはエドもも引きとめようが無く、エドは頭をひとつ掻いてウィンリィに言った。

「軍の宿泊施設ならオレの名前で格安で泊まれるぞ」

「え――? 軍のってなんかおカタそう――」

 そこにヒューズが声を掛けた。

「そうだ! なんならうちに泊まってけよ! も来い!」
「でも、初対面の人に迷惑かける訳には……」
「夕飯の材料が……」
「気にするなって! うちの家族も喜ぶしよ! 材料はうちに持ってきて作ってくれよ! よし、そうしよう、それでいこう」

 言うなり工具箱を背負い、とウィンリィの手を取りヒューズはそのまま二人を引きずって去っていった。


「人さらいふたたび……」
「今日も病院食かぁ」
「…………あ」

 うなだれたエドの肩にブロッシュはそっと手を置いた。











 愛娘エリシアのためにテディ・ベアとよそ行きの洋服を二着、リボンなどの髪飾りとおそろいの靴、ネジ巻きのおもちゃ数点を誕生日プレゼントとしてとウィンリィにも荷物持ちをさせてヒューズはスキップしそうな足取りで家に帰った。道すがら誕生日と知ったも慌てて文房具店に寄り、大き目の画用紙とクレヨンのセットをプレゼントにして。元々夕食の材料は『閉じた空間』に仕舞って置いたので手がふさがることに問題は無かった。

 ただし、道中すべてが愛娘の話題で飾られる状況はそろそろ辛かったし、ウィンリィも聞き始めて十分で音を上げた。


 乗合馬車と徒歩でセントラルの市街地を過ぎると、すぐに立派な建屋が立ち並ぶ住宅街の中ほどにヒューズ家はあった。

「あら、かわいいお客さん」
 やや控えめな服装ながらもその美しさは隠しようの無い婦人と、
「パパおかえりー」
 婦人の足元から元気に飛び出した女の子にヒューズが飛びついた。
「エリシアちゃん会いたかったよ〜〜〜」
「やーん、パパ、おひげくすぐったい」

 親ばかを目の当たりにして呆然とするウィンリィと苦笑するに、帰宅の抱擁を娘と存分に交わしてからヒューズは婦人に声をかけた。

「前に話しただろ、ほら、エルリック兄弟」
「ええ」
「あいつの幼馴染ウィンリィちゃんと、兄貴の同僚。泊まるところ探してたから連れて来た」
 軽く会釈しあうウィンリィとに言を継ぐ。

「妻のグレイシアと娘のエリシアだ」

「お世話になります」
「よろしくお願いします」

「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」

 唐突な来客にもグレイシアは笑顔でこたえ、知らない人を見る興味津々のエリシアをそっと前に出した。嬉しそうでも気恥ずかしいのか声を出せないエリシアに、ウィンリィはしゃがみこんでエリシアに訊いた。

「エリシアちゃん、いまいくつ?」

「ふた……」

 エリシアが今日という日を再認識してくれるまで年長者たちは笑顔で待つ。

「みっちゅ!」

「やーんかわいい〜〜」
 ウィンリィだけでなくヒューズも同様に口走るのでグレイシアは親ばかと口に出してしまうが、蕩けるヒューズには全く効果が無かった。


「でも、いいんですか? 私達がお邪魔して」

 後込みするウィンリィの言葉におねだりをするエリシアを抱き上げヒューズは言う。


「祝い事はみんなで分け合ったほうが楽しいだろ? ようこそ、ヒューズ家へ」






 邸内に入るとエリシアは早速ウィンリィと遊び始め、あっという間に二階に消え、残った三人は取敢えず居間へ移動した。


「そうそう、こいつ料理美味いんだってさ。エルリック兄弟に作ってやるはずだった材料奪ってきたから、なんか作ってもらえよ」

「奪ってきたって……よかったの?」

 悪びれるそぶりも無い夫の言葉に、グレイシアは呆れ顔でに問うた。

「まあ、ヒューズ中佐の強引さには敵いませんから、あいつらには違う日に作ります。……でも、ご迷惑になりませんか?」
「そんなこと無いわよ。私が作った分じゃ足りないかなって思ってたし。何を作ってくれるのかしら?」

「魚料理と温野菜のサラダ風……ですね」

「お魚?」

「ここに」

 言ってまるで最初から持っていたといわんばかりに出したのは、四十五センチ以上の尾頭付きのスズキだった。

「うわぁ、すごいわね、高かったでしょ」

「そうですねー、でも材料費はエド持ちだから」

「……本当に良かったの?」

「大丈夫ですよ。あいつらに作る機会なら幾らでもあるから」

「うん。そう云うことなら期待しちゃおうかな」








「エリシアちゃん、お誕生日おめでとう!」


 生を享け、産まれた日の慶びを家族と、大切な人々で分かち合う。

 沢山の想いとともに食すことこそが何よりの糧となり、礎となる。

 一年目、二年目は曖昧だった記憶に鮮やかな彩りが加えられ、心のこもった贈り物に囲まれて。

 特別な日の格別の笑顔は永遠に記憶に残る。





 満腹になった子供たちが広い室内で遊び始めるころ、大人たちはとっときの酒で極上の肴をつまみながらとりとめの無い会話に興じる。


「パパ! パパがくれたねずみさん、動かないよう」

「あれー? 不良品だったかな」

 愛娘の懇願にヒューズは困惑顔で周囲を見る。生憎おもちゃ屋は近所には無く、機械工学に造詣が深いわけでもなかった。はずれをつかまされたことを一瞬悔やみつつも思案を巡らせたとき、

「エリシアちゃん。ちょっと見せてくれる?」

 ウィンリィが声を掛けた。


「やっぱり歯車が外れてる…………ここをこうして……」

 人体と連動する機械鎧に較べればネジ巻きのおもちゃは実に単純なつくりで、何の迷いも無い手つきでふたを閉じたウィンリィはネジを巻き、花柄のねずみのおもちゃを走らせた。

「はい」
「わぁ!! すごいすごーい!!」
「ほー。器用なもんだな」

「おもちゃのお医者さんだ!」
「あはは、違うけど似たようなものね」

 おもちゃの治療を契機にエリシアはウィンリィにひどく懐き、テーブルについて父と話し始めたので一緒に遊んでくれなくてもウィンリィの膝の上に座り一人でおもちゃをいじっていた。

「あいつの整備師やってるって?」

「ええ、同じリゼンブールの生まれで家が近かったっていうのもあって。小さい頃からいつも一緒できょうだいみたいなものですよ」
「あんなだから手間かかるだろ」
「手間がかかるって言うか心配ばっかり。たまに帰ってきたと思ったらおもいっきり腕壊してるし」
 奥様方のために紅茶を振舞っていたがそっとウィンリィの前にカップを置くが、それに気づかぬままウィンリィは続けた。
「今日も呼び出されてみればエドは大怪我で入院してるし、アルは何か悩んでるみたいだし」
 ヒューズも、椅子に腰を下ろし自分用のカップに口をつけるも何も言わず、ただ、ウィンリィの言葉を待った。
「……エドの機械鎧……半月くらい前に新しいのをつけてやったのに、今日見たら――もう、傷だらけでした。おまけに身体も傷だらけで……いったいどんな生活してるんだろう。だけど、何があったかなんてあいつら絶対言わないんですよ。元の身体に戻る旅に出る時もあいつら二人だけで決めちゃって相談もされなかったし――――ほんとうのきょうだいなら……旅に出ることも今日の怪我のこともきちんと話してくれたのかな」

 ウィンリィはそこまで言うと膝の上のエリシアの手元をぼんやりと見つめて。エリシアが視線に気づくより早くヒューズは言った。

「相談しなかったんじゃなくて、相談する必要が無かったんだろ」

 顔を上げるとヒューズはめがねを拭きながら続けた。

「ウィンリィちゃんなら言わなくてもわかってくれるって思ったんだよ、あいつらは」

「…………言葉で示してくれなきゃわからない事もあります」

「しょーがねえよなあ。男ってのは言葉よりも行動で示す生き物だから……苦しい事はなるべくなら自分以外の人に背負わせたくない、心配もかけたくない、だから言わない…………それでもあの兄弟が弱音を吐いたら――そん時はきっちり受け止めてやる。それでいいじゃないか?」

 いまだ未知の領域である側の心理を垣間見たウィンリィは返事に詰まり、形にならない言葉が宙を泳ぐ。

 そこへ、エリシアの友達が大挙してやって来て。

「エリシアちゃーん、一緒に遊ぼ!」

「なんだよー、エリシアちゃんはボクと遊ぶんだよ!」

「さっきやくそくしてたもん!」
「ぼくもしたもん!」

 宙に浮く言葉は相変わらずだが、微笑ましい光景にウィンリィは笑って言った。

「あはは、娘さんもてもてですね」
「――」

 めがねをかけなおした所である意味父親には禁句を耳にしたヒューズ。どこから取り出したのか愛銃のスライドを引いてドスを効かせ子供に言う。

「おい、小僧ども。ウチの娘に手ェ出したらタダじゃおかねえぞ!」

「ヒューズさんは行動で示しすぎ!」

「まああと二十年一緒に居るか居ないかだからなぁ。父親って」
 も未来の別離を予測する余計な言葉で飾り立て、ダブルを作ってヒューズに渡した。

「二十年? 短いから駄目!」
「その前にお年頃になれば彼氏もできるだろう」
「彼氏ぃ? 駄目駄目駄目ぜ――――ったいだめ!! ずっと俺と一緒! どこぞの馬の骨にはやらん!!」
「仮想敵国に耽るのはあと十年早い。ってか彼氏と父親は別だし、父親は別格だろ」
「別格でもやなものはやだ!」
 ダブルを一気にあおって駄々をこねる夫にグレイシアも嘆息するしかなく、お代わりを作るは思わず呟いた。

「奥方……二人目の計画立てません?」

「そうねぇ、でもまた女の子だったらこの人発狂しそう」






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