遊び疲れて寝入る子供たちを父が背負い母が抱き上げ、ご近所も先ほど辞したヒューズ家では、ウィンリィの手を握って離さずに眠るエリシアに苦笑するグレイシアが手早く着替えさせて寝室に運んでいって。
後片付けを終えたが寝酒と称して飲み続けるヒューズに付き合わされていた。ただし宿酔の迎え酒は御免蒙りたいのでアイスティーを空いていたサーバーに注いで飲んでいた。
「スズキのパイ包み美味かったぜ」
「そらどうも。作り方はわりと簡単だから今後は奥方にお願いしてくれ」
「小骨はどうやって取ったんだ?」
「捌く時に一緒に取ることと、後は刺抜きでいい。まあ今日は時間が無かったからちょっとずるしたけど」
「……使ったのか」
「これでも料理のときはちゃんと手を使うからな。見逃してくれ」
「…………だな。魚をあんまり食わねえちびっこが結構つまんでたし、エリシアも喜んでたし」
子供たちがいなくなって初めて煙草に火を点けて煙を吐くにヒューズは苦笑を浮かべ、濃い目の煙を吐きながらはつぶやく。
「――エドとアルの想いは、誰にも触れられるものじゃない。例え、ウィンリィほどに近くても……」
「彼女だから信頼してるんだろ、ガキだから甘えてるっちゃあ、甘えてるな」
「ウィンリィは良く我慢してるよな。私ならとうの昔に吐かせてる」
「――――」
ヒューズの苦笑が止まり、グラスを置いてに言う。
「あいつら、研究所でなにを知った?」
「……研究所は賢者の石の精製もしくは製造が行われていた。おそらく、つい最近まで」
「…………」
「エドが闇の者にやられて、それ以上は大した情報は得られなかった」
「嘘だろ」
「どうして?」
「今にも殺しそうな目をしてるぜ」
「……そう、見えるか?」
「無闇に殺気を放つなっての」
意地の悪い――元第五研究所でラスト、エンヴィーに向けた時と同じ笑みを見せては応える。
「奴等はある目的のために生み出された人工生命。七つの大罪になぞらえた名を持ち、賢者の石も目的のための道具に過ぎない…………その目的が何なのか、全く読めないが」
「どれと、遭ったんだ? 奴らって事は複数だろう」
「色欲と嫉妬――そう、言っていた。計画はもう最終段階にあるとも」
「…………」
いやなのどの渇きを覚えグラスに口をつけるが中身はすでに無く、手酌で薄目の水割りを流しこむ。薫り高い酒も今は唯の水分でしかないが、ヒューズはの煙草を手にして言った。
「最終段階の話は、エドは知ってるのか」
「おそらく知らないだろう。知っていたらヒューズやアレックスに真っ先に伝えるはずだ」
「……じゃあ、逆に知らないほうが無難だな。あいつら本っ当、無茶やらかすから」
魔術でヒューズの煙草に火を点け、自分も一口喫ってからは肯定く。
「ウィンリィは整備のたびに増える傷でエドとアルの旅が尋常ならざるものだと感じてしまった。エドの整備師だからこそ、過分にクライアントに介入し知ることは許されないが……あいつらは幼馴染で、あまりに近くに居る」
エリシアが生まれてから断っていた煙草はきつく懐かしい酩酊感を呼び起こし、ソファに身体を預けて言う。
「まあ、その時は回りでフォローするしかねえだろ。――――口出すなよ」
「当然。そっちこそ探り過ぎるなよ。研究所に出入りが容易な存在って事は軍にも近い」
「定時で上がるようにしたいがなぁ、マジで人手不足だし」
「軍の待遇はいいんだろ? 何で不足してる」
「傷の男に結構やられたおかげで退役する奴が増えた……」
「騎士団……じゃなくて士官学校ってのは?」
「殻が付いてるひよこにはまだ委せられねえ仕事でよ、かといって切れる奴は参謀や通信に回される」
「中堅どころでも役職としては魅力に欠けるってとこか」
「戦わなくていいし事務と割り切ってくれればな、いいところなんだがなあ」
「時間給で雇ったほうが早いんじゃないか」
「軍事機密もあるから入隊しないと駄目。体制自体が少数精鋭がいいんだようちは」
「……そして現存の負担が増す、か……人事に泣きつけ」
「してるっつーの。シェスカが居なかったら一人過労で倒れるところだった」
「……定時で上がる道理は失くなったな」
頬杖をつき嘆息するとグレイシアがウィンリィと一緒に降りてきて、自分用の水割りとウィンリィ用のアイスティーをテーブルに置いた。
「あらあら、愚痴のお酒は美味しくないでしょう」
「その分つまみが旨い」
遠回しな夫の表現に妻はただ苦笑するしかなく、きれいに煙草を喫う姿のに感心しつつ声を掛けた。
「後片付けありがとうね。おかげでのんびりしちゃった」
「いえ。ベッドメイクまでしていただいて有難うございます」
「あたしも手伝ったんだから」
「うん。ありがとウィンリィ」
「二人は幼馴染なの?」
「いえ、エドの同僚で、休暇もかねてリゼンブールにお邪魔してから仲良くなりました」
「そうそう、はじめはエドが彼女を連れてきた――って大騒ぎだったんですけど、そう云うのじゃなかったし」
――――お互いの口裏合わせはアドリブながら見事ではあったが。すぐ後で顔を見合わせるなとヒューズは突っ込みたくてたまらなかった。しかしグレイシアは気づいているのかいないのか平然と受け入れ、エドが聞いたら断固抗議しそうな言葉を口にした。
「そう。会った事は無いけどそのエドワード君も勿体無いわねえ、こんなにいいお嬢さんがそばに居るのに」
「あいつは錬金術オタクですから、そういうのって本っ当――に、鈍いんです」
「……残念ながらエドは機微に疎いですね。アルのほうが余程細やかだ」
「そうよね、兄の分まで気遣いしちゃうし」
「で、どっちを好きなのかしらねえ?」
「……さあ……」
「少なくとも私じゃないでしょう」
「……お前ら……」
息ができずにわき腹が痙るほど受けまくったヒューズに、グレイシアはただ苦笑するしかなかった。
――――広いから一緒に入っちゃおうか、とウィンリィが提案したのは少々驚いた。
「うわー、ウエスト細ー」
「胸でっかいなー」
タイル張りの浴室は洗い場も全てサーモンピンクのタイルで統一された内装で。湯船に付かる習慣がこの世界にもあることは非常に有難いとは思っていた。
「って身体の洗い方豪快ね」
「撫でるだけでよくさっぱりできるな」
「髪の毛がちょっと痛んでるなぁ……」
「切るのが嫌なら卵パックかな」
「卵?」
「黄身だけを溶いて髪に塗って水で流す」
「うぇ、冷たそう」
身体も頭も洗い流し、長い髪をタオルで纏め上げて一緒に湯船に浸かる。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「エドの怪我の原因教えて」
「……搦め手で来るか」
嘆息してから湯を掬い顔を洗うと、意外なまでに真剣な顔でウィンリィは小さく言った。
「お願い」
「……背景とか細かい事情は言わないよ」
「いいよ」
「賢者の石がさ、あるかもしれないってところにいって、そこを警備する奴と戦って怪我した」
「……相手の人は生きてるの?」
「死んだよ。エドがやったんじゃないけど」
「――――そう」
「…………たぶん、これからはもっと怪我もする」
「……」
「それでもエドもアルも進むことは止めない」
「……知ってるわよ……」
「うん」
「が来るよりずーっと前から、あたしはあいつらの側に居たんだから」
「うん。ウィンリィが居なかったら、あいつらはもっと早くに絶望してた」
「え」
「今判っている賢者の石は、不完全で、しかも性質が悪い」
「なにそれ」
「人の生命を材料にする方法で作られてる」
「――――」
「エドもアルもそんな方法で作る賢者の石は欲しくない。でも、現実に存在している」
「そんなのって……」
「もし、もっと違う方法で賢者の石を作る方法が判って、エドとアルがそれだけに傾注できるなら」
「そう、したら?」
「私がすべての禍根を断ち切ろう」
「どうやってするのよ、そんなこと」
「この世界だからこそ魔術師は――錬金術では就しえないことをやれる」
「……なんか、恐い」
少しのぼせたは浴槽のへりに腰かけ、ウィンリィを見下ろし告げる。
「うん。ごめんな。ウィンリィだから、覚悟を知って欲しかった」
「……ずるいよ、そんなの」
「ウィンリィじゃなきゃこんなこと言わない」
「……って女の子泣かせた事無い?」
「フェミニストは自称してるのでございません。……内緒、だよ?」
「はいはい」
湯からあがり、グレイシアが貸してくれたパジャマに二人で袖を通す。ウィンリィはすそをひと折で問題なかったが、は三回折り返さないとすそを引きずる丈の長さだった。
「あははー、やっぱりじゃ大きかったねえ」
「栄養も摂取してるし運動も睡眠も十分にとったつもりだったんだが……なかなか伸びなかった」
「でも出るとこそれなりだし、特に腰細いじゃない」
「……メロンに言われてもなぁ」
「あー、ひどい! 結構気にしてるのに!」
「何故だ、豊かなバストは女性の象徴だろう、堂々としろ堂々と!」
「目測五十センチ前半のウエストに言われたくないわよ!」
「はいはい。ウチの人が鼻血出そうって言ってるからそれくらいにして頂戴?」
「…………何気に黄金律な奥方に言われてもなあ……」
「足して二で割ったら丁度いいかも」
二階客間のベッドはホテルと同じ訳も無く、ダブルがひとつだけで。
「あはは、あたしん家と同じだね」
「なんか懐かしいな」
「そう? ひと月もたってないじゃない」
行儀悪くベッドに飛び込むウィンリィは伸びをしてついでにひとあくび。窓を少し開けて壁にもたれたは家々のざわめきが殆ど無くなった住宅路を見下ろした。
「……いい家族だな」
「うん。こういう家庭を作れたらいいね」
「ウィンリィなら大丈夫だよ」
「もね」
「その前に佳い相手を見つけなければいかんな」
「どっかに落ちてたら便利よね」
「……とうの昔に誰かに拾われてそうだっていうか、エドが居るじゃないか」
「あんただって一緒でしょ」
「幼馴染と勝負できるほど根性は無いさ」
「え、じゃあ他に誰か居るの?」
「いないよ。ウィンリィは?」
「いないわね。エドも対象じゃないし」
「からかい甲斐はあるが対象じゃないんだよなぁ」
言葉遊びを繰り返すのにも飽きた二人は同時にため息をついた。
「旅に出たから収穫あると思ってたのに……寂しいわね」
「仕事一辺倒なままで成長してなにやってんだ」
再びのため息をお互いにつくとウィンリィは枕を抱きしめて仰向けになり、は携帯灰皿を取り出し一服を始めた。
「あー、もう止めよ。恋の話はお互い縁遠いってわかったし」
「うん。結構不毛だ」
苦笑を浮かべ煙を吐くにウィンリィは問う。
「あれ、香水つけてる?」
「そんな洒落た物……なんで?」
「なんか、いいにおい」
「ああ、この煙草だよ」
「へえ、香りがついてるんだ」
「そういう種類が好きだからね」
「でも煙くないのって……アレ?」
「うん。やっぱりマナーでしょ」
「お世話になりました」
「ありがとうございました」
翌日ウィンリィはと共にヒューズ家を出ることにして、グレイシアは二人を引きとめた。
「本当にいいの? 中央にいる間ずっと泊まっててもいいのよ?」
「ここ最近エドにご飯作ってないんで恨まれそうで……」
「そんなに甘える訳にもいきませんから、今日は自分で宿を……」
好意を柔らかく辞そうとした時、ウィンリィの手にエリシアがしがみついた。
「エリシア!」
グレイシアの諌める声にもエリシアは応えぬばかりか更にウィンリィの腕にすがり、離れまいとしていた。
「あらあら、すっかり懐いちゃって……」
「こうしてみると姉妹みたいだな」
エリシアの反応が新鮮なヒューズは笑い、も口を開いた。
「余程好かれたようだぞ、ウィンリィ」
「え……」
「おねえちゃん行ってらっしゃい。はやくかえってきてね」
まっすぐなエリシアの言葉にグレイシアも頬笑んで言を継ぐ。
「こりゃ今夜の宿も決まりね」
しゃがみこんでエリシアの頭をひと撫でして、ウィンリィはエリシアを抱きしめて言った。
「へへ。妹ができたみたいで嬉しい」
「あのね、おねえちゃんかいもうとがほしかったの」
「うん。あたしもほしかった」
「いっぺんにふたりもおねえちゃんができたよ」
「ふたり?」
「うん。ふたり」
「……てことは」
エリシアの発言に目を丸くするに、ヒューズは高らかに笑いながらの肩を叩いて言った。
「しっかりも員数だったんだな。食事は当分俺らに作ってくれや」
「そうね、あのパイ包みとか、他のお料理も食べてみたいし、教えてあげたいわ」
「……お世話になります……」
「今日午後から二人で出かけようよ。行って見たいお店があるの」
「へえ、どんな店だ?」
「ゴッズの中央支店よ」
「ゴッズ?」
「機械鎧の一流ブランドよ! すごくきれいなデザインなのに機能がすごいの!! あたしのあこがれよ」
「中央なのに支店なのか」
「うん。本店はノースシティなんだって。アイテムも充実してるってきくから、いい機械油が欲しくて」
「ふむ。機械油といえば、エドのメンテのことだが……就寝前にきちんと油をさす程度には成長した」
「うわ、本当に?」
「ウィンリィが大事に作ってくれた機械鎧だろ、作り手を侮辱するような使い方は感心しないって言った」
「…………なんかくすぐったい」
ヒューズと共に三人で昨日のルートを辿り病院に戻ると、マリアが笑顔で敬礼をしてくれた。
「こんにちはー」
「中佐、お疲れ様です。それに二人ともおかえりなさい。エドワード君がご飯が美味しくないってぼやいてたわ」
「――餌付けって感じねすでに」
「はは、今日はなんか作ってから戻るか」
苦笑するにマリアがささやく。
「炊き込みご飯リクエストしてもいいかしら?」
「かしこまりましたレディ」
「餌付けされてる……」
呆れ顔でウィンリィがドアを開けたそのとき。の表情が苦痛に歪んだのをヒューズは見て――――
「ボクは好きでこんな身体になったんじゃない!!」
アルの絶叫が室内に響き渡った。
「――――好きで……こんな身体になったんじゃない……」
こんな。力加減ひとつ間違えれば何もかも壊すような鋼のからだに誰が望んで。
こんな。寝ることも食べることも触れる事も泣く事もできずに笑うことも声でしか判らないからだに。
こんな。いつ繋がりが失せて消えてしまうかわからぬ危ういものに――――誰が変化を望む?
「あ……悪かったよ……」
エドは失言を悔いて俯き、そこで生まれた空白には痛みを無視して結界を張りウィンリィの隣に立った。
「……そうだよな、こうなったのもオレのせいだもんな……だから一日でも早くアルを元に戻してやりたいよ」
もとのからだ。それはすべてがリアルに在る世界で、そこに生きているエドの弱々しい言葉にアルは低く問うた。
「本当に元の身体に戻れるって保証は?」
「絶対に戻してやるからオレを信じろよ!」
「信じろって! この空っぽの身体で何を信じろっていうんだ……!!」
恐怖が、信頼が、疲弊が、希望が、絶望が。
は昨日よりも激しい痛みに拳を握り締めて必死に耐えた。
「錬金術において人間は肉体と精神と霊魂の三つから成ると言うけれど! それを実験で証明したという人がいるかい!? 記憶だって突き詰めればただの情報でしかない……人工的に構築する事も可能なはずだ」
「お前なに言って……」
「兄さん、前に、ボクには怖くて言えない事があるって言ってたよね」
アルの言葉にエドとウィンリィが身をすくめ、が口を開くより先にアルは続けた。
「それはもしかしてボクの魂も記憶も、本当は全部でっちあげた贋物だったって事じゃないのかい?」
ひときわ強い想いがに伝わる。こんなにも哭きたいのに、哭いてしまえば。
けれど哭けない身体は言葉でしか伝えられるものが無くてアルは畳み掛けるようにエドに言う。
「ねぇ兄さん、アルフォンス・エルリックという人間が本当に存在したって証明はどうやって!? そうだよ……ウィンリィもばっちゃんも皆でボクを瞞してるって事もあり得るじゃないか!! どうなんだよ兄さん!!」
――――エドの応えは朝食のトレイを打ち付ける行為だった。
宙を舞っていたフォークが床に落ち、エドはゆっくりと口を開く。
「……ずっと、それを溜め込んでたのか」
虚ろな態度、別行動。――――迷いは、何時からか。
あるいは。
「言いたいことはそれで全部か」
わりと響く鎧の音が頷きだと見なくても理解るようになったのはいつ頃だったろう?
「――――そうか」
どこで、間違えたんだろう?
いつから、無理させてたんだろう?
どんなことがあっても自分を責めるような言葉は無い、優しい、アル。
でもその優しさは真綿で首を絞められるように苦しくて愛しくて。
――――アルに恨み言を言われながら殴り殺されるのも厭わないのに。
思いのたけを受け止めたエドはそのままスリッパを履き、確かな足取りでも無言のまま病室を出た。
「エドっ……!」
ウィンリィの言葉も空虚な笑みを浮かべるエドにそれ以上はなにも出来ず、廊下に響いていたエドの足音が遠ざかるとウィンリィは俯いたたま工具箱を開けた。ウィンリィの行動が読めたは口を挟もうとするが、ヒューズの視線に気づいて踏みとどまり、結界の強化だけにとどめることにした。
言いたいことを言ったはずなのにひどく空しくて仕方無いアルに、ウィンリィはそれを手にしてつぶやいた。
「……カ……」
振り向いた瞬間のアルの頭上に、五十センチのスパナが振り下ろされた。
「バカ――――っっ!!」
会心の一撃をうけてアルは尻餅をつき、反響がやかましい頭部に手を当てることもできずアルは抗議する。
「いっ……いきなりなんだよ!!」
全力で叩きつけたせいで息があがり、落ち着くころには言葉よりも先に大粒の涙がいくつも頬を流れ落ちた。
「ウ……ウィンリィ!?」
幼馴染の涙にとことん弱いアルは慌てて名を呼ぶ。
「アルのばかちん!!」
「!!」
泣き止まないままのウィンリィの第二撃を食らった。
「エドの気持ちも知らないで! 何であんなこと言うの!」
「何で殴るんだよ! 理由も知らないのに!」
「あんたがエドにひどい事言うからよ!」
「兄さんのほうがひどいよ! ボクに言いたい事があるって、恐くても言えなかった事があるって!! でも何なのかちっとも教えてくれないし! いつもいつも不安で仕方無かったのに、兄さんは僕の身体をうらやんだりしたんだよ!」
「――」
かすかなの嘆息は二人には届かないがアルは更に続けた。
「そんな事も知らないで! いきなり殴る――」
「本っっ当バカよ! あんたは!!」
言いながらウィンリィは更に一撃を加え、激昂したアルは膝を立てて言い返そうとする。
「だから――――」
「エドが恐くて言えなかった事はね! アルがエドを恨んでるんじゃないかってことよ……!!」
そこまで言って、ウィンリィは自分の言葉の重さに、アルは言葉の意味に耐え切れなくなり床にへたり込んだ。
(きっと……アルはオレのことを恨んでる……)
(食べることも寝ることも痛みを感じることも出来ない身体にされて)
(信じていても……恐い)
(恐いんだ……恐くて……訊けないんだ……!)
「機械鎧手術の痛みと熱にうかされながらあいつ……毎日、泣いてたんだよ……それを……それなのに、あんたはっ……!!」
エドの気持ちもアルの想いも側に居るしか出来ない悔しさとすれ違う二人がどうにももどかしくて羨ましくて。ウィンリィはまた泣きながらアルの胸部を幾度も打ち付けた。
「自分の命を捨てる覚悟で偽者の弟を作るバカがどこの世界にいるってのよ!!」
強く握り打ち過ぎて痺れた手からスパナが離れ、床に転がる。
「……あんたたち、たった二人の兄弟じゃないの」
――――アルの頷きが立てる金属音を聞いて。
まっすぐにドアを指差してウィンリィは言った。
「追っかけなさい!」
「う……うん」
緩慢な動作にウィンリィが怒鳴りをあげる。
「駆け足!!」
「はいっ!」
走り去るアルを見送るも驚きと理解が追いつかずに声が出ないマリアとブロッシュには心話で呼びかけた。
<結界を張るのが遅れた――――警戒態勢よろしく>
半ば呆けながらも二人は頷き、は結界を広げて手近な窓からエドを感知した屋上に向かった。
防ぎきれない痛みが涙を誘うが、魔術師の意識を保つことでどうにか抑え込んで。
屋上の柵にもたれてエドは空を見上げていたが、視界の隅にが風に乗って飛び込んできたのを捕らえて、先と変わらぬ空虚な笑みを浮かべてと向き合った。
「……なんか、用?」
「ああ――」
言っては素早くエドの懐に入りデコピンをかまし、結構痛かったエドはそのまま踞った。
「ってー……」
「まさか禁句を吐くほど莫迦とは思ってなかったよ」
立ち上がりもせず、エドはそのまま呻いた。
「っせーな……なにがわかんだよ」
「――そうだな、解らんよ……何も」
「だったら…………いちいち口出すなよ……」
おでこを抑えたままエドは立ち上がり言葉を失う。
「…………わからないが……痛い」
は今にも零しかねないほどの涙を湛えてまっすぐにエドを見て言った。
「誰も、代わりは無いと判ってるのに、肝心なことを肝心な者に伝えないのは傲慢だ」
「…………」
「……今アルがここに来る。お前の行きそうなところは解ってるらしい」
背を向けては再び柵を飛び越え、エドの前から姿を消した。
「……ちぇ」
負け惜しみは初夏の風に流れ、再び柵に両肘をつくとアルの足音が聞こえて――エドの心は決まった。
人の行き来が多い中庭よりも屋上に居ると踏んだアルが屋上に出ると、洗いざらしのシーツがはためくその向こうにエドの姿を見つけて歩み寄るが、どうしても間合いを取ってしまい迷うままに声を掛けた。
「……兄さ……」
「そういえば」
言いながら軽く身体をひねってスリッパを脱ぎ捨てる。
「しばらく組み手やってないから身体がなまってきたな」
「へ?」
兄の意外な言葉にアルはあっけに取られるが、すぐに反論する。
「まだ傷が治ってないのに何言ってんだよ……わぁ!?」
唐突にエドはアルに向かって蹴りを放ち、アルは体勢は何とか間に合わせるが突飛な行動とエドの怪我を庇いながら必死に呼びかけた。
「ちょっ……待った! 待った、兄さん!!」
アルの声に耳を貸さないエドは更に打撃を加え、いったん離れて画策のためシーツの林に身体を隠した。
「傷口が開いちゃうよ!!」
――――肺はすぐに酸欠を訴えるし傷は響くし実際限界だったが、兄としての意地がエドを動かし、シーツをアルの顔面めがけて放り投げた。
「……っ!?」
視界が白に染まった瞬間、落としていた膝に生の気配を感じて――強烈な蹴りを食らってアルは派手な音を立てて床にひっくり返った。
現実を認識する前に、エドの確かな声が頭上から聞こえた。
「勝った!」
エドの勝利。それは紛れも無い事実で、エドが床に腰を下ろしながら荒い息をつきながらの言葉がまた聞こえた。
「へっへ……初めてアルに勝ったぞ」
「…………ずるいよ兄さん」
シーツをのけてアルが静かに抗議するが、エドはかまわずに転がって言い返す。
「うるせーや。勝ちは勝ちだ!」
すぐ上でエドの荒い呼吸が聞こえてアルはそれ以上声をかける気になれず、二人で流れ行く雲を眺めた。
「……オレたちよくこうやってケンカしたよな」
「うん」
「今思えばくっだらねぇ事でケンカしたよな」
「二段ベッドの上か下か……とかね」
「あの時オレ負けたな」
「おやつの事でいつもケンカしてたっけ」
「あ〜〜〜勝った覚えが無ぇや」
「師匠の所で修行中もケンカしたよね」
「やかましいって師匠に半殺しにされたからドローだろアレは」
「おもちゃの取り合いとか」
「ボクが勝った」
「オレがアルの本に落書きしたときもな」
「ボクの圧勝だったね」
「レイン川で遊んでた時も」
「オレ、川に突き落とされたっけな」
「ウィンリィをお嫁さんにするのはどっちだってケンカもした」
「え!? そんなの覚えてねーぞ!!」
「やっぱりボクが勝った。でも二人ともふられた」
「……あっそう……」
どんなことがあっても、二人はいつも一緒に歩いて、ここまで、来た。
「――全部、うその記憶だって言うのかよ」
「…………ごめん」
「イーストシティでお前言ったよな、どんな事しても元の身体に戻りたいって。あの気持ちも作り物だったって言うのか?」
「…………作り物じゃない」
「そうだ。絶対に二人で元に戻るって決めたんだ。これしきの事で揺らぐようなぬるい心でいられっかよ」
鋼のこぶしを空に掲げ、強く誓う。
「オレは! ケンカも心ももっと強くなるぞ! ……牛乳も……なるべく飲むぞ」
「はは――――うん。もっともっと強くなろう」
鈍い音を立てて堅き拳を打ち合う。
――――屋上の入り口で一部始終をと共に見守っていたウィンリィは、エドを起こすアルを見ながらヒューズに言った。
「やっぱり口で言わなきゃ伝わらないこともありますよね」
「――そうだな」
「いってぇ……痛くてむずかゆい……」
「無茶するからだよ」
兄の今は軽い身体を支え、アルが入り口に視点を向けると、
「こら馬鹿エド! なに暴れてんのよ! 傷に響くでしょ!」
ウィンリィが仁王立ちで怒鳴りつけた。
「げっ、見てたのか!?」
「あんだけ派手に暴れて気付かない訳無いわよ」
「医師や看護婦に加え私らの忠告を無視しまくって暴れるって流石になぁ」
呆れ顔のウィンリィとに、エドは傷の痛みも手伝って半べそをかきたくなった。
「ひでぇ……オレへの労わりや思いやりの心は無ぇのかよ」
「無いな」
「無いわ」
「ご、ごめんね」
「アルが謝る事でもないだろ、エドの心がけの問題だ」
「そうそう」
「でも、ボクのせいで兄さんの傷を悪化させたようなもんだよ」
「アルは優しいな」
「そ、そんなことないって……」
「オレの心配はいいのかよ」
「え、要るのか」
「アルー!! こいつら鬼だ悪魔だ!!」
とうとう泣き出し、すがりついてきたエドにアルは背中を叩いて言う。
「兄さん……それは言いすぎだよ……」
「じゃあ訊くが、いい加減本気で治す気はあるか?」
「オレは何時でも本気だっ!」
「誓うか?」
「いくらでもな」
魔術師の眼差しを確かに受け止め、エドはを見据えた。居心地の悪さを込めた眼差しを一分近く向けていたは不意に頬笑んで告げる。
「ふむ。頃合かな。時を隔て療してやろう」
「本当か!?」
「ただし、言霊の誓いを破れば……はらわたが失せるだけでは済まないと思え」
「…………わかった」
エドの言葉に肯きで応えるはそっとエドの病衣の上から傷口に手を当てて小さくつぶやいた。一瞬オレンジの光が淡く負傷した箇所で光るが、すぐに消えていっては手を離した。
「……うわ、もう痛くねえ」
「言っておくが完全に塞いだわけではないからな。細胞の再生速度を通常よりも早めているから――数日中にはほぼ塞がる」
「まじで!?」
「エドの年と使用した薬の効果ならまあ、誤差の範囲内で医師にも怪しまれることは無いだろう」
「いやった! サンキュな」
「まあ元々全治二週間だし」
「え」
「本来なら明日にも退院はできてたんだよなー」
「全治一ヶ月は?」
「重傷患者が翌日に普通の食事できるわけ無いだろ?」
「…………」
「あれ、兄さん知らなかったの? ていうか全治一ヶ月って何?」
「てめ――――!! だましたな騙したんだな嘘ついたんだな!?」
「言霊の誓いはどうした」
「――っ……むっかつく……!!」
「さてさて。マリアのリクエストにお答えするために買い物に行こうかな。ウィンリィ、一緒に行かないか?」
「うん、行く行く。ついでにゴッズも行きたいな!」
「了解。――マリアには夕食にスライドして良いって確認したから、先にゴッズに行って、ご飯食べて買い物してお茶しよう」
「デートみたいね」
「いいじゃないか?」
女同士で和気藹々と階段を下って行ってしまい、残された男たちの中で年長者のヒューズが笑いながらエドに言った。
「こりゃー五本は取られたな!」
「ったく、なんて女だ……」
「……すごいよね……」
「そうそう、オレのエリシアちゃんのたってのお願いでもウィンリィちゃんも中央に居るあいだはウチで寝泊りすることになったからよろしく」
「え」
「その代わり夕飯は作ってやるってさ。良かったなこの色男!」
「なんでそーなるんだよ!!」
「うーん。餌付けなのか青春なのか微妙だ…………」
娘のためにと大義名分を掲げてヒューズが帰ってしまうと、病室はとたんに静かになった。
アルは自分が手をつけていない書籍をただ静かに読んでいて声をかけづらいし、元々マリアもブロッシュも護衛軍人のため、食事と休憩以外は病室の中でも外でも信じられないほど黙したまま一日を終える。
差し入れの雑誌も薄っぺらな内容ではすぐに読み終えてしまい、かといって錬金術の本は普段のような集中力が保てずにすぐにページを閉じてしまう。
身体は、正直で。
「……オレ、けが人なんだなぁ」
「いまさら何言ってんの」
「弱いなってさ、とことん思った」
「だったら――」
「うん。強くなりたい」
の涙も、ウィンリィの涙も、不要にさせるために。
「……師匠のところに行こうか」
「そう……だね」
「殺されるな」
「仕方ないね」
「本当なら明日退院できるんだっけ、オレ」
「ジャネットさんが検温で来るときに訊いてみようよ」
「そうだな……って、まさか」
(まあ元々全治二週間だし)
屋上のの言葉が甦ると、エドはベッドに突っ伏してつぶやいた。
「病院ぐるみで騙されてたのかよ……」
「騙してたの?」
「そーじゃねえ? 怪我の治りも早いって言ってたくせによ」
「騙してないわよ? 本当に担当医師はそう判断したもの」
「え?」
顔を上げれば、そこには不思議顔のジャネットが居て。
「ちゃんと声をかけて入ってきたけど、二人とも気づかないんだもの……で、騙してたって?」
楽しげに微笑む姿に、エドはベッドの上で胡坐をかいて言う。
「入院期間、知らなかった」
「あれ? に言っておいたんだけど」
「――」
「エド君にもいつまで、とは聞かれなかったから」
「……」
胡坐を掻いたまま俯き、己の行動を思い出せば確かに訊いていない事に気づいて。暗雲を背負うエドにジャネットが付け足した。
「ああ、できるだけ脅かしておいてとは言われたわね。よっぽど大人しくして欲しかったみたいね」
「――――」
「…………」
の高笑いは聞こえない。聞こえないが――――口から漏れるハ行の音はなかなか止まらず。
「あの女……ぜってー仕返ししてやる」
「あらあら、物騒ね」
「さんざん脅かされたこっちの身にもなって欲しいぜ」
舌を出さん勢いのエドの悪態にジャネットは苦笑し、思い出したように口を開いた。
「それでも不思議なのよね、出血量から考えるとあの程度の怪我で済むわけ無いんだけど」
「……」
「良く内臓が失血で壊死してなかったなあって思ったわよ。ほんとに応急処置が適切だったのね」
「それって、マジ?」
「そうよ? そのままだったらICUで一週間……半月は寝たきりね」
――――彼女の言葉は、嘘じゃなかった。
「外国で医学を少し勉強したんだって、だからできたって言ってたわ」
「ああ……そうみたいだな」
「退院したらちゃんとお礼しなきゃね?」
「うん。――――オレ、明日にも退院したいんだけど、できる?」
「明日? うーん……ちょっと、診せて」
エドを寝かせ、患部の具合を確かめる。
「明日の回診で判断できると思うわよ。大人しくしててくれればね」
「本当?」
「多分ね。若いから回復早いし」
「よかったね、兄さん」
「おう」
「さてと、お仕事に戻りますか」
「その……ありがとう」
「どういたしまして。でも、一番に言う相手が違うわよ?」
「……う」
そっぽを向くエドにジャネットは笑いかけた。
「本当、若いっていいわね」
ジャネットが病室を去るのと入れ替わりにマリアとブロッシュが入ってきて、声を潜めて言った。
「本当に重傷だったんですね」
「それが……ってすごいなぁ」
「……おめーらも騙してたんだよな?」
再びハ行の音がエドの口から漏れ、逃げようとする二人の制服の袖を掴んで離さなかった。
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