ラッシュバレーはヘレヴェル山岳地帯にある、ひとつの技能に特化した工業都市である。
 元々豊富な水量を湛えるゴードの河を利用した鉄鋼、金属、鉱石加工を生業とする者が多かったが、長期化した戦争、内紛が機械鎧の製造技術をこの地で飛躍的に発達させる要因となった。

「きゃ〜〜〜〜〜! 素敵〜〜〜〜〜!!」

 師であり祖母であるピナコも修行した地において、ウィンリィの興味は――――

「ゴッズの十一年モデル!! まさかこの目で拝める日が来るなんて……!」

 ブランド機械鎧を食い入るように見つめていた。絢爛たる宝石には目もくれずに。





「……」
「……まあ、そうだよね」
「……ウィンリィらしい」



 一気に暑いほどの陽気になったため上着を脱ぎ、同行者とスポンサー兄弟は彼女を見つめていた。




 ショーウィンドウに張り付いて離れないウィンリィを三人ではがし、メインストリートの露天機械鎧を眺めながら歩く。緩やかに、しかしついて離れないオイルの匂いに、ロックベル家と同じモノを捉えたが言う。


「しかしまあ、ほとんどが機械鎧関連の店ばかりってのは壮観だな」
「俄景気って名前は伊達じゃないってわけね……あ、面白い型」
「宝石加工も結構あるな。ああ、昔はそっちのほうが盛んだったのか」
「なに、は宝石が欲しいのかよ」
「へえ、良さそうなのあったの?」
「いやいや。加工するほうだよ、興味があるのは」
 苦笑するに、アルははっとする。
「あ……もしかして、作れるかもしれないの?」
「工房を貸し出す気前の良いあるじが居れば、だよ。まあ無理だろう。工房は自らの半身であり、世界そのもの。おいそれと他人が踏み入れて良い場所じゃない」
 歩みながら詩うように言うに、アルは大きな鎧の肩を落とす。
「そっか……自分の研究室を気安く貸す人は確かに居ないよね」
「なんか良い手無ぇかな」
「ひとつあるぞ。私がここに居を構えればそれで済む」
「え――、それはそうだけどやだ」
「西の火山帯行くって言ったじゃねえか」
「…………別に今すぐ別れようとは言ってないじゃない……」

 呆れるウィンリィに小さく笑う。単細胞の兄弟より二人で先を行くと、喧騒を生む人だかりに遭遇した。


 機械鎧装備者限定の腕相撲。人垣をかいくぐり、アリーナにでると円の中央には一組の椅子と机があった。
 机の上には乱雑に置かれる高額紙幣と小銭、腕組した巨躯の髭男が椅子に座り、そばで司会兼審判の男が声高に叫んでいた。
 そこへ、新品にしたばかりと言う青年が名乗り出て、防衛王者たる髭男との一戦が始まる。

「ウィンリィ、どっちが勝つ?」
「大きいほう。筋力増幅の加工が半端じゃないわ」

 ウィンリィの言葉通り、髭男は開始と同時に青年の機械鎧を握りつぶし、呆気なく防衛戦に勝利した。

「壊れた!」
「腕、壊れたね!」
「修理しなきゃな!」

 機械鎧技師達が瞬く間に破壊された機械鎧と青年を連れ去り、司会兼審判は次なる挑戦者を求める。

「さあ! この勝負に名乗りをあげる猛者は居ないか!? 勝てばこの掛け金は全て勝者の手に!!」

 あまりにも分の悪い状況に、観客は誰も動かない。ただ野次とざわめきは消えず、アリーナに現れたアルに司会兼審判は声をかけた。

「おおっと! そこの全身機械鎧のお兄さんはどう!?」
「え、ボク? ボクはいいです!!」
 あわてて両手を振り拒否するアルの下方、もう一人装備者が居たため言葉を続ける。
「じゃあそちらのお兄さんは――――OH! 失礼! こんな豆坊ちゃんじゃお話にならないね! さあ次の勇敢なる挑戦者はいないか!?」

 大仰なリアクションの司会兼審判に飛び掛らない分だけ、エドは成長していた。
 禁句を気にしたウィンリィとアルとはエドを気にかけるが、次の瞬間。


 机に両手を叩きつけ、椅子も壊れよとばかりに腰を下ろすエドが居た。

「おおっと――――!? 次の勇者はなんとも小さな少年だ! さあ、果たしてどちらが勝つのか!?」

「ちょっと……エド……!?」

 司会兼審判の言葉に観客は励ましとからかいと悲劇の野次を飛ばす。
 野犬さながらの唸りをあげるエドは机の下に手を置き、アルとが小さく呟く。見れるわけでも感じるわけでもないウィンリィだけが焦躁を浮かべた。
「あの馬鹿……!」
 止めに入らんとするウィンリィをがそっと制する。
「ウィンリィ、大丈夫だよ」
「え、でも……」
「まあ見てな」


「さあBET終了! 両者は準備いいか!?」

 お互いに無言で頷き。立ち上がる。机を左手で掴み、右手を触れ合わせるだけに。その上から司会兼審判の手が重なり、一瞬の静寂。

「レディ……ファイッ!!」

 鋼が机を叩く爆けた音と共に、エドの右手が王者の機械鎧を肘の付け根からもぎ取っていた。

「……は?」

「悪いな。今日は廃品回収が多い」
 青筋を浮かべながらも器用に笑い、もぎ取った残骸を握り潰した。






 敗者は技師達に連れ去られ、勝者であるエドの元に新たな人だかりができる。

「はっはっは。愉快愉快」
 鼻高々で居丈高なエドを見て、アルにこっそりとウィンリィは聞いた。
「……どうやって勝ったの?」
「錬金術で相手の金属をもろい物質に変えたの」
「あー、ずるい」
「うるせー。勝てばいーんだ勝てば」
「飛び掛らなかっただけましだと思えばいいんだろうな、この場合」
「何気にきついよ……」

「いやよくやった!」
「兄ちゃんすげーぞ!」
「大したもんだな」
「ねえ君、その機械鎧は誰が製作したんだい? この辺じゃ見ない型だね」
「あたしあたし」
「ほう君が」
「この構造は」
「打ち出し? 金型?」
「素材はどこで」

「へえ、左脚も機械鎧」
「シャーシの強度計算は」
「コードの材質」
「足出せ足!!」
「面 倒 臭 ぇ な ズ ボ ン 脱 げ や 小 僧 ! !」
「ぎゃ――――!! やめて――――!!!!」



「さすが聖地といわれる街ね! みんな勉強熱心だわ!」

「だからって公衆の面前でパンツ一丁にさせるかよ普通!! つうか笑うなら無言で地面叩くな! 痙攣すんな!」

 無地のトランクス(白)一丁のエドを見るたびの呼吸は停止し、声をあげられぬほどにおかしくて踞る。酸素を求めて喉は開くがすぐに笑いの痙攣に取って変わり、苦しいのにおかしい、おかしくて苦しいエンドレス以下略。

「あっはっは。大通りでパンツ一丁になった国家錬金術師なんてそうは居ないよ兄さん!」

「ああそうですねフンドシ一丁のアルフォンス君!」

 兄弟漫才に再びが堕ちたのを見て、エドは嘆息して脱がされたズボンを穿いた。

「ん…………あれ、あれ、あれ?」

 唐突に上腕を振り出すエドにアルが訊く。

「どうしたの兄さん」

「国家錬金術師の証……銀時計が無い……!」



 ベルトのフックからポケットへと垂れるあのいつもの鎖も、時計も、内布を引き出すがどこにも無かった。



「えぇええ――――!!?」




「どっかに落とした?」
「脱がされた時に誰も持ってなかったのかよ?」
「技師が五十人は居たからな、手から手へ……――――うん? 残滓が……移動しているな」
 精霊達に助けて貰って笑いから脱却を果たしたは、魔術師の表情で道の先へと視点を移動させる。変わり身の早さと探査機能に唖然としたアルがに問う。
「移動って……そう云うのも追いかけられるの?」
「強い意志を宿すものなら。空になった万年筆のインクとかは無理だ」
「誰もいらねーよ、んなもん……方向はわかるか」
「大体なら。しかし、あまり移動するという事になると、盗られたと思う」

 小走りで移動しながらラッシュバレーの街を行く。流石にウィンリィも溢れかえる興味は振り切ってエド達に続き、メインストリートから三つほど路地を越えたところで、が足を止めて言った。

「このあたりで限界だ。聞き込みしよう」
「わかった」




「やられたな兄ちゃん」
「そいつはきっとパニーニャだね。観光客をカモにしてるスリだよ」

 片目を鋼の装甲、眼球をレンズにする年老いた二人の機械鎧技師の言葉に、エドは確認のために問い返す。

「本当か?」
「その人、どこに居ますか?」
 アルの問いかけに、
「頼むよ。大事なものなんだ」
 エドの言葉に二人の老技師は腕組みをして唸る。

「そうさのう……」
「教えてやってもいいが……」

「「兄ちゃんの機械鎧、じっくり見せて」」
 エドは無言で機械鎧の手甲を刃に変えて突き出す。

「路地裏の行き止まり!」
「グロッツって怪しい古物商!」









「突入する?」
「後はタイミングを図って……だな」


 二人の老技師の言葉通りに存在したグロッツのドア越しに、エドが中の音を聞き取る。
「……動いてもいないじゃん。はずれを掴まされたかな? フタも開かないや……ネジ巻いてみようか」
「動かすな!!」
 勝手に身体が動いて、ドアを開け放ってエドはそう口走った。
 呆然とする老店主と銀時計を手にする褐色の肌の少女を見れば、驚いたのは一瞬で、
「……フタも開けるな……!」
 エドの言葉に少女はあわてた風も無く行動を始めた。
「やばっ」
 表情とは裏腹な声で言い、ポケットに銀時計を仕舞いつつ、脚で器用に繊細な柄の壷を足の甲に乗せ――エドに蹴り放つ。
「ほい、兄ちゃんパス!」
「のわ――!! それ80万もする壷――!!」
 白髪の店主の悲鳴に自然に身体が反応したエドはからくも壷を受け止める。
「ナイスキャッチ!」
 言いながら少女――パニーニャは開いていた窓から、隣家の屋根へと軽々飛び乗り、走り去る。
「あ、待ちやがれっ!」
「兄さん!」
「エド! アル!」
「二人を追う。挟み込むぞ」
 店主に壷を渡してエドとアルが続くと、残った二人はドアから店外へと出て行った。





「待 ち や が れええええええ!!」
「あははー。ここまでおいでー!」

 屋根の上の追走劇は街中の屋根をエドが錬成し錬成し錬成しつくすほどの派手な結果を残すが、入院で削られた体力は万全じゃない上に蒸気に脅かされるわ頭は踏まれるわ番犬に追い巡されるわと散々な挙句、窃盗犯であるパニーニャには結局一度も触れることができなかった。
 パニーニャは常人ではありえない運動能力を有しており、並外れた跳躍力と体力でエドを翻弄し、待ち伏せたアルの牢獄も自らの機械鎧の仕込み刃で切り捨て、一・五インチのカルバリン砲まで披露する。

 だが、獲物を狙うウィンリィの前には無力だった。そんな代物を見せられて、逃がせる訳がなかった。

 再び逃走を始めようとしていた矢先のパニーニャの手を掴み、ウィンリィは不敵に嗤う。

「逃げようったって、そうはいかないわよ」
「う……しまっ」
「でかしたウィンリィ!! その盗人離すんじゃねーぞ!!」
「ええ……逃がすもんですか……」
 低く笑い、掴んだまま腕を引き、パニーニャの両手を握り締めてウィンリィは言う。

「その機械鎧、もっとじっくり見せてくれるまで離さない!!」


「…………え?」


 
 追跡者二名と傍観者一名は遠慮なく大地とキスを交わす。ズッコケの体現として。彼らが知る必要があるのは一とゼロの間だったか。






「すごいっ、本当に、すごい作品だわ!!」
 手首を紐で縛られ、噴水のふちに座らせられたパニーニャを、正しくはズボンの裾を上げて剥き出しにした機械鎧を見つめてウィンリィは幾度目かわからない感嘆の声をあげた。

「サスペンションも信じられないぐらい素材も軽いのにこの強度、製鐵もすごいけどバランス設計が完璧。内臓武器の収納スペースと重量計算が」
 仕事、否。敢えて表現するなら趣味全開のウィンリィの機関銃のような言葉に誰も付いて行けずに、晴天の穏やかな日を味わっていた。

「いー天気だなぁアル」
「そうだね兄さん」
「ウィンリィ、眩しいなぁ……」

 後光も薔薇もカサブランカも背負って機械鎧を褒め称えるのはどうかと思うが。晴天の昼時と言うのに噴水の周りには通行人が誰もいない異様な空間になっていた。

「はぁ……堪能したわ」
 頬を染めてため息をついたウィンリィを見て、ようやく発言権を得たパニーニャが口を開いた。
「ねえ、この機械鎧の製作者を紹介しよっか?」
「本当?」
「スリの件を見逃してくれたらいいよ」
「うんうん、見逃しちゃう!」
「待てコラ!!」
「何でよ、ちゃんと返すよ?」
「戻ってくるなら良いじゃない」
 不思議顔のウィンリィとパニーニャにエドは激昂する。
「ふざけんな!! 一晩豚箱で頭冷やせ!」
「いやー、余罪が多いから一晩じゃ済まないし」
「開き直るな――!!」

「山道歩くから荷物は少ないほうがいいよ」
「じゃあ宿に預けて行くのがいいわね」

 和気藹々。簡潔なウィンリィとパニーニャに、アルは諦観の笑みを浮かべて告げる。

「兄さん、ああなったウィンリィはもう止められないよ……」
「…………あーくそ!」
 髪をかきむしり、エドはうなだれる。そこにのんびり咥え煙草のがエドの肩を叩く。
「おーい。地域住民の皆さんが呼んでるぞ」
「え――――」


「俺んちの屋根!」
「わしの店!」
「宅のジュリーちゃんを苛めてくれたそうね」


 陳情に居並ぶ地域住民を前にうなだれるエドと、肉親との距離を考え直したアルだった。


 ――――斯くて、荒らしに荒らしたラッシュバレーの住宅を元に戻すのにエドとアルは駆けずり回る羽目になり、錬金術師ではないとウィンリィとパニーニャは手近なカフェで彼らを待つ事にした。

 タピオカ入りのミルクティとクランベリーパイを添えて華やかな会話を交わす。荷物は結局の『閉じた空間』に仕舞い、エドのテイクアウト分も一緒に保管してあった。

「国家錬金術師の証の時計じゃ、そんなに価値は無かったなぁ」
「そんなに低いの?」
「質は良いけど、曰くありすぎ。あっという間に足が付いちゃうよ。国内にそんなコレクターが居るともおもえないし」
「たしかにね」
「でも見つけるの早かったね」
「状況が状況だったからなあ……いかん」

 危うく思い出し笑いが出そうになり、ミルクティーを流し込む。そんな彼女にパニーニャはウィンリィを見る。

「どしたの?」
「ああ、エドの機械鎧を披露したから剥いただけよ」
「――っ」
 吹き出して小刻みに震えだすを尻目に、パニーニャは予測を口にする。
「剥いたって……服?」
「そうよ。あいつ、右腕と左脚だから」
「……っ、……っく……」
 いよいよ顔をあげなくなってテーブルに突っ伏す。気持ちはわかるが腿を叩くな。関口弘か。

 そしてパニーニャは止めを刺す。

「裸の錬金術師?」



 疲れ果てて戻ったエドには誤解を解く余力は残っていなかった。なんかもう泣きたくなった。




 テイクアウトのキドニーパイは涙の味しかしなかったとか。








 天上天下唯我独尊善は急げのウィンリィとパニーニャに引きずられてエドは山道を歩く。照り返す陽光と熱を抱える山道にが魔術の風を送ってくれなければ日射病にかかっていただろうが、むしろかかって行動不能になりたいと思った。


 山に入って三十分ほどはウィンリィも元気だったが、次第に口数が減り、歩みが遅くなりがちだった。先頭を行く天性の持久力なのか何の変化も見せないパニーニャが振り返って二人を励ます。
「ほらほら、のんびりしてると日が暮れちゃうよ」
「う……るせー、そんなに早く歩けるか……!」
「あと一時間ぐらいで着くから」
「えぇ――、あと一時間も?」
 ウィンリィの泣きそうな声に、アルが声をかける。
「良ければ負ぶって行くよ」
「うーん。それは最後の手段にしとくわ。ていうか、は疲れないの?」
「いい鍛錬だ」
「……その一言で片付けられるわけ」
「しかし……なんでこんな山奥に住んでるんだ」
「機械鎧の材料に使ういい鉱石が出るんだって、前に聞いたよ」
「む、と言うことは製鉄もその技師が自ら行うのか?」
「元々鍛冶屋さんなんだって。おまけに人嫌いっていうのかな、無愛想でさ」



 更に三十分経過。


「うわー、高い」
「大丈夫? 怖くない?」
 アルに甘えて肩車(正確には腕)のウィンリィは鎧を撫でて言う。
「大丈夫よ。アルは平気?」
「ボクは全然。兄さんも疲れたら言ってね?」
「……おう……」
「無理はするなよ。鍛錬と負荷は違うから」
「つーか時計返せ……」
「案内する事で見逃してもらう約束だから、着くまでは返さないよ」
「…………その約束したのオレじゃねえっつーの…………」


 兄の意地とか背の高さとか込み入った心情が邪魔をして、結局アルの肩車の恩恵は受けずに機械鎧技師の家に到着した。ウィンリィも途中の吊橋は流石に自力で歩いたが、結局家のそばまでずっと肩車だった。


 途切れることない一定のリズムで鐵を打つ音が響く中、パニーニャは軽い足取りで作業場に顔を出した。

「こんちはっ」
「パニーニャ。お前、こんな山奥までこまめに良く来るなぁ」
 頭にタオルを巻いた青年が椅子を立ち、パニーニャに寄る。
「今日はお客さんを連れてきたんだよ」
「へえ、機械鎧の注文かな……ってうわでっか、ちっさ!!」
 引き合わされたアルとエドを見やって実に素直に青年は反応し、暴れだすエドの首根っこを掴んでアルは諌める。兄弟は綺麗にスルーしてパニーニャはウィンリィとを前に出した。
「機械鎧技師のウィンリィと連れの。ドミニクさんの機械鎧に興味があるんだって」
「はじめまして」
「はじめまして」
 きちんと会釈する二人を見、リドルは正直に口にする。
「珍しいね、こんな若い娘が機械鎧に興味があるなんて……」
「家も機械鎧の製作でやってますから」
「ああなるほど」
 そこに、臨月の妊婦がマグカップをトレイに載せて現れた。
「あらパニーニャ、今日はお友達を連れて来たの?」
「サテラさんこんちはっ」
 めいめいに会釈するウィンリィとを見て、サテラは言う。
「ちょうどよかった。今、お茶にしようと思ってたのよ」
「みんなも一緒にどうだ」
「わーい」
 パニーニャが諸手を上げる。初対面のやり取りに疑問を感じたウィンリィが小さく訊いた。
「この人がドミニクさん? 全然無愛想じゃないけど……」
「あははー、違うよ」
 苦笑するパニーニャに、青年が口を開く。
「オレはリドル。リドル・レコルト。こっちは妻のサテラ。無愛想なのは俺の親父のドミニクだよ」








「カルバリン砲てぇのはな――漢のロマンだ」
 野外に設置した石のテーブルと丸太の椅子に互いに座し、そう云い切る午後のお茶会のドミニクに、パニーニャは憮然として抗議した。
「ロマンじゃなくて趣味でしょ。女の子の脚にこんなもん付けるかなー、普通」
「うるせい! 俺の芸術にケチつける権利はお前には無ぇ!!」
「そうそう。芸術よ! 通常の機能に加えて武器内蔵! それでいて外観は損なわずシンプルに! 無駄の無い設計はまさに芸術だわ!」
「いけるクチだな小娘」

 技師というより職人同士の機械鎧の設計談義に、パニーニャの入り込めない世界になってしまった。お茶も飲みきって手持ち無沙汰になり、もうひとつのグループに視点を移す。


「お――――……」
「わ――――……」

 少年二人の間延びした声が上がり、その視線はサテラの腹部に注がれていた。

「このなかに子供が入ってるんだ……」
「うわ――感動〜〜〜〜」
 子供たちの態度にリドルは顔をほころばせて言う。
「あと半月ほどで生まれるんだよ」
「さすがに重くてしんどいわね」
 椅子に座るサテラが軽く息をつく。最も楽な姿勢は水中に居ることだが、一日中風呂に居るわけにもゆかず、生来の世話好きのため、リドルがやきもきするほど活動的だった。
「触ってみても良いかな?」
「ふふ、どうぞ」
 エドが手袋を外して左手でサテラの腹部に手をやる。触れるとなんとも言い難い感覚が沸き上がるが、決して不快ではなかった。
「お〜〜〜すげ〜〜〜、なんかよくわかんないけどすげ〜〜〜!」
「元気に生まれて来てねって、お願いしながら触ってあげてね」
 だが触れ方も解らぬ為すぐに手を離すエド。それでも、その表情は喜びに満ちていた。
「妊婦さんのお腹に触るの初めてだ」
「私も良いですか?」
「どうぞ」
 続き片膝をついても手をやる。

 遠い昔にも、こうして触れて、言祝ぎを施し、祝福した。

 幸い流れた命は無かった。誰もが願い、望み、祝福して――――

「……ア、?」
「あり?」
「随分長くない?」
 アルの言葉に我に返る。
「あ、すみません。お願いを沢山しすぎてしまいました」
「いいのよ、ありがとう」
 手を離して一歩下がる。産まれようとする無指向性の純粋な命に触れたせいだろうか、急激に世界とのパスが強くなり、目眩いがするほど魔力が身体に流れ込んできた。
「どした?」
 目ざとくエドがに声をかける。
「あー、ちょっと一服。影響が無いように向こうに行って来る」
「そっか」

 一歩歩くたび、アルの声が小さくなる。風下となる馬小屋の傍の樹には腰を下ろした。草を食んでいた一頭の馬がを見つめてきた。
「やあ。ちょっとお邪魔するよ。――――ふ、う」
 害意が無い事を知った馬は再び食事に戻り、は煙草に火を点ける。山道を登った肉体的な疲労が瞬く間に膨大に流れてくる魔力で打ち消されて行く。だが余りに性急で、久々に半分近くまで満ちる魔力の制御に酩酊感が沸き上がる。緩やかに登る紫煙を見上げ、木陰から覗く青空に目を細めて呟く。

「……いけるかな」

 煙草一本分の時間しかない。手早く済ませよう――――
























 ヒューズの負傷は当然ながら事件として扱われ、新聞記事の一面を飾っていた。対策本部が設置され、犯人逮捕に全力をあげるよう指示した大総統のコメントが載り、不安な社会情勢に治安維持法制定への危惧を仄めかす社説。
 地位のある人間が狙われた事で模倣犯の出現があるだろう。不審者とテログループへの牽制を急がなければ。

 容態は安定してはいたが、意識が回復するにはまだ早く、ICUからすぐ隣の個室に移った程度だった。負傷した状況から考えると再びの襲撃が無いとも限らず、個室の前には二十四時間体制で警備が敷かれており、軍の病院内でも異様な雰囲気を醸し出していた。

 グレイシアは今日もエリシアを連れて見舞いに来ていた。いくつかのチューブは減ったものの、バキュームと酸素は肺が負傷しているため外される事は無かった。一度壊死した肺の細胞は再生できずに他の部位を侵食するために、片肺の三分の二が切除されてしまい、退役は無いかもしれないが、事故前の体力は望めないと医師からの宣告があった。
「それでも……生きてれば、何とかなるわよね、あなた」
 幾分青白いがそれでも血が巡っている目覚めぬ夫の頬を撫ぜ、昨日の出来事を眠る父に話すエリシアを見つめた。

<……シア、グレイシア?>
「え……?」
 不意の呼びかけに、グレイシアははっとして周囲を見回す。しかし、声の主はどこにも居ない。
<私だ。だ。声には出さず、心の中で応えてくれれば良い>
<…………ええと、?>
<そうだ。ヒューズの事、ちゃんと護れなくてごめん>
<――――いいえ、貴女が謝る事なんてどこにも無いわ。むしろお礼を言わせて頂戴>
 かすかな苛立ちと大きな感謝の念がに伝わる。煙と共にため息をついては応えた。
<……わかった。ヒューズの具合を教えて欲しい>
<肺は片方、殆ど取ってしまったわ。他のところも縫合出来なかったところは取って。でも、取っても何とかなる箇所だけで済んだって先生が言っていたわ>
<――そう、か>
 現状での反遊離と治療魔術のかけ合わせでもぎりぎり救えた事に、は安堵の息を漏らした。
<早いぐらいの回復に、ちょっと驚かれてしまったけど、怪しまれてはいないと思うわよ>
<――――そうか。では、目覚めを促す魔術は……まだ早いかな>
<そんな事が今、できるの?>
<ああ、ちょっとした嬉しい出来事で、結構力が戻ってきた。アレックスを通さなくても、護りで足りる>
 半分まで減った煙草の灰を魔術で消す。斜陽が訪れる前の空が蒼いうちなら間に合う。
<どうする? 今すぐでなくて良いならセントラルへ訪れた時にするが>
<…………そう、ね、いまは……まだいい。起きたらきっとこの人はまた走り出すから>
<了解した。起こしたくなったら呼びかけてくれ>
<ええ。ありがとう>
<じゃあまた、連絡する――――>



 心話を終え、最後の一口を吸って魔術で吸い柄を消し、エドの元に戻る。

(グレイシアなら誰にも言わないだろう。ある意味裏切りでもあり、愛しい我侭でもある)

 愛する者が死に掛けて、すぐに送り出せるなど余人には出来ない事。


















 戻って見ればエドが再びパンツ一丁になり、ドミニクに機械鎧を診られていた。
「ふむ……クローム十七%、カーボン一%ってとこか」
 小さな金槌で装甲を叩き、音の種類、当たり方で材質を言い当てられたウィンリィは素直に希望を口にする。
「強度を上げてそれでいて軽くしたいんですけど」
「確かにこいつの身体の割には重い機械鎧だな。装備者に負担がかかるのは良くねえ。だからこいつ年の割りにちっせえんじゃねえのか?」
「ちっせ……いや待て! てぇ事はもっと軽いのにすればオレの身長は伸びるのか!?」
「可能性はあるな」
 ドミニクの言葉にエドの表情が輝き、自分に良く似た天使が舞い降りてラッパを吹いた。
「――うん。やっぱり決めた!」
 そしてウィンリィは意を決する。
「ドミニクさん、あたしを弟子にしてください!!」
「けっ、やなこった」
「…………もう少し考えてくれても…………」
「うるせい。弟子は取らねぇ」
 取り付く島の無いドミニクに、山吹色の菓子を持参してエドが寄りそう。
「そこを何とか……こう、ちゃっちゃとオレの身長が伸びる機械鎧を伝授していただけませんか、社長」
「帰れ、このミジンコ」
「みじ――――!!?」
「ドミニクさんお願いします!!」
「弟子なんざいらん!」
「そこをなんとか!」
「帰れ」
「みっ、ミジンコって言った! ミジンコって!!」
「エドうっさい!!」

 三者三様の口論に呆然とするリドルとサテラ、声を殺して笑うパニーニャとに、アルはただ一言。

「ズボン穿きなよ兄さん」

 アルの言葉でリドルがエドとウィンリィに声をかける。
「ごめんね、うちの親父ガンコ者だからさ、あきらめてよ」

「「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」」 

 異口同音で唸るあきらめの悪い二人に、ドミニクは再び言い放った。

「おう! さっさと帰れ!!」

 ――――と同時に暗雲が立ちこめ、落雷と同時に豪雨が山に降り注いだ。


「……………………帰れません」
 声も掻き消えるほどの雨量にリドルは苦笑する。
「ははは。雨が止むまで家でゆっくりしていきなさい」




 はサテラの手伝いをしにキッチンに向かい、エドとアルはドミニクへの依頼を粘り、ウィンリィはリドルとともに機械鎧について話し合った。――――だが、小一時間経っても雨脚は弱まること無く、叩きつけるように降り注いだ。

「雨、止まないね」
「ん――……やっぱり雨が降ると付け根が痛むなぁ」
 気圧と湿度変化により機械鎧と肉体の接合部が軋みはじめ、パニーニャは渋い表情で足をさする。
「ねえ、何時から機械鎧にしたか、聞いていい?」
 ウィンリィの問いに、パニーニャは応えた。

 ――――列車事故に一家で巻き込まれて。助かったのは両足を喪った自分だけ。
 ――――子供ゆえに保障を受ける知恵も無く、また周りにも手を差し伸べてくれるものはおらず。
 ――――物乞いで日々を過ごし。心は磨耗し、すり減って。

 ――――――――ある日、通りすがりのドミニクに出遇うまで、そうして生きてきた。

「いきなり連れてかれて機械鎧をつけさせられて……手術は痛いはリハビリはしんどいわで大変だった。――でも、両足で立てた時は嬉しかったなぁ。お日様が近くて、暖かくて。この足は生きる希望をくれた。立って歩いてどこにでも行けるっていう可能性をくれた…………だからあたしドミニクさんが大好き。もちろんリドルさんもウィンリィも機械鎧に携わる人みんな大好き!」
「そりゃどうも」
「なんだか照れるね」
 二人の技師ははにかみ、パニーニャも笑顔で返す。だが、すぐに渋い顔を見せて小さく言う。
「それにしても…………手術してくれた先生が後からさ、ドミニクさんの機械鎧の市場流通価格を教えてくれた時はおったまげたねー」
「あはは……」
「…………」
 技師たちも弱々しく笑う。ゴッズとはまた異なるブランドとして確立したドミニクの作品は、最低でも桁を一つ上げ五本は要る。
「それでそのおったまげた代金を分割で払いに来てるってわけね」
「うん。でも、絶対に受け取ってくれないんだよね、ドミニクさん。……受け取らない上に、何かにつけてメンテナンスだって足の調子を見てくれるしさー、申し訳なくて涙が出ちゃうよ」
「…………」
「パニーニャ……あのなあ……」
 パニーニャの考えは全うだ。だが、その行動は全うとは言いがたく、リドルの口が開くより先にウィンリィは苦い顔でパニーニャに言う。
「あのねー……本当に感謝してるならスリなんて止めなさい!」
「えー、でも、スリ家業でもやんなきゃ払いきれないし……」
「ドミニクさんが誠意でくれた両足よ。あんたも誠意で応えなきゃ駄目! 高い安いの問題じゃない、スリは犯罪なの! 死人みたいだったあんたをこんなに元気にしてくれたんだもの、例え一生かかっても、こつこつ真面目に返済する価値あるじゃない!」
「そ……それは……」
「あいつならきっとこう言うわね。等価交換だって!」

 パニーニャの目が丸くなる。何故、としこりのようにわだかまっていた疑念が、呆気なく消えて行く。

「…………そっかあ、そうだよね。こつこつ真面目に、か――――よし、スリはやめる! 地道に働いて返そう、うん、そうしよう!」
 口にするとなんとも気が楽。リドルにもサテラにもそれとなく言われても理解できなかった意味が、漸く自分の物になった。
「パニーニャも気付いてくれたんだね。親父も、きっと喜ぶよ」
「う……ごめんね? あたし」
「知らなかっただけだよ、でも、もう分かったんだから……後はあせらずに頑張ろうな」
 笑顔のリドルがパニーニャの頭を撫でる。
「うん、真面目にやる! さしあたって……何の仕事にしようかなぁ」
「得意な事からやってみれば?」
「うーん……機械をいじるのはあんまり……ネジを緊める程度だし……料理は……」
「ゆっくり考えなよ。そのうち向いてるものが見つかるから」
「うん。そうする……あ、そうだ、エドに銀時計返すの忘れてた」
 言ってパニーニャはポケットから銀時計を取り出し、ウィンリィが覗きこむのでパニーニャはウィンリィに時計を渡した。
「へぇー……これが国家錬金術師の証か……初めて間近に見るわね」
「え、あのちっさい子、国家資格なんて持ってるのかい!?」
「人は見かけによらないねー」
 言ってパニーニャは銀時計の蓋に指をあてて続ける。
「これ、フタが開かないんだよね。あいつ頑に開けるなって言うだけで、中に何が入ってるのやら……」
「開けるな?」
 ウィンリィの言葉にパニーニャはにやりと笑う。
「見られたら恥ずかしいものが入ってると見たね!」
「「ほほう!」」
 鼻息荒くする二人の技師。
「あたしの出番かしらね」
 七つ道具を指に挟み、ウィンリィは人の悪い笑みを浮かべて言う。
「あんたのそう云うとこ好きよ」
 切り替えの早いウィンリィにパニーニャも不敵に笑った。
 早速ウィンリィは手にした細身の六角レンチで接合部分を軽く引っかく。
「あんにゃろ、錬金術でフタを接着してやがるわね――――っと開いた!」
 軽い金属音と共に勢い良く蓋が開く。
「エドのお宝拝け――ん……」
 三人で中を見る。




 そこには――――ナイフで傷付けたのか「Don't forget 3.OCT.11」という文字と、04:01:55で停まった時計。




「忘れるな。十一年十月三日…………なにこれこんだけ? 何の事だかさっぱり」
 ウィンリィにはパニーニャの言葉が空虚に聞こえる。

 はじまりの。
 世界が終わり、始まった、あの日。


 ――――こんなところで、見つける、なんて。




 ウィンリィは蓋を閉じて、立ち上がる。
「これ、エドに返しといて」
「ウィンリィ?」

 目尻に勝手に湧いた涙を手の甲で拭う。
「……あたし、もう一回ドミニクさんに弟子入りお願いしてくる!」

 逃げたくない。向き合いたい。そばにいたい。一緒に行きたい。
 知ってしまった自分ができるだけの事をしたい。


 訝しむパニーニャとリドルを置いて部屋を出る。ドミニクの作業場に向かう途中で声が届く。

<ウィンリィ、やばい。サテラさんが産気づいた>
「――え? ?」
<ついさっき陣痛が始まった。痛みで動かせない、人手がほしい!>
「わ、わかった……!」

 突然の事態に決意が吹っ飛び、ウィンリィは駆け足でリドルの元に向かった。







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