一夜明け、あわただしい朝食を終えると、エドはアルと一緒に家の裏手で日向ぼっこに興じていた。兄弟の護衛役であるアームストロングは皿洗いを終えたも後から裏手に向かったため、家の中でピナコの雑用を手伝っている。
 朝から牛乳(の加工飲料。というか煮出し紅茶)を飲んで見せたエドにアルは驚きを隠せず、今もまだ兄に言って見せた。
「兄さんが牛乳に文句も言わずに飲んだのって、初めてじゃない?」
「…………昨夜も飲んだから、今朝は二回目だ」
「えぇ――、ホントに平気になっちゃったんだ」
 結構負けっぱなしの弟に賞賛された兄は図に乗って返す。
「ふっ、オレに不可能は無い」
「そうかそうか。では搾り立てをいってみるか?」
 アルの右側から声が聞こえたので顔を向けると、が楽しげに笑っていた。
「あれ、着替えたんだ」
 アルが目ざとくに言う。確かに昨夜のワンピースではなく、デニムパンツの裾を折ってタンクトップと薄手のシャツを引っ掛けた、活動的なスタイルだった。
「ああ。ウィンリィの服を借りた。上背が私よりあるので裾を汚しそうで怖い」
 確かにはウィンリィより少し背が低い。借り物を気遣うの物言いに、エドは明るく言った。
「そんなん気にすんなって。しょっちゅう油で汚してっから」
「……それもそうか。よく見れば染みが確かに多い。遠慮なく着させてもらうとしよう」
 エドとアルの前に胡坐をかいて座ったは、彼女の行動にわずかに眉をひそめたエドに言った。
「で? 搾り立てはどうする?」
「その話題から離れてくれ……」
 うなだれるエドに対してニヤニヤ笑うに、アルが訊く。
「ねえ、はホントに自分の街の事がわからないの? 名前じゃなくても、目印になる建物とか有名な人とかでわからないのかな?」
「あ…………」
「そういえばそうだな」
 気まずい表情になるエドをよそに、は普通に感心した。が、すぐに人の悪い笑みを浮かべる。
「なに?」
「いやいや。アルは実にまっすぐだ。こうも人の話をすんなりと受け入れてくれるとは」
「……違うの?」
「町の話は嘘だ」
 きっぱりと言い放ったにエドは慌て、アルは
「嘘なの――――!?」
 素直に反応した。
「アル、声がでけぇって……!」
 兄の意外な言葉にアルは訊く。
「内緒、ってこと?」
「そうだ。訳ありでな」
 アルに見つめられたはこめかみを掻きながら口を開く。
「実は……この世界じゃないところから来たんだ」
「この世界じゃないところ……」
「そう。錬金術ではなく魔術が台頭する世界から」
 困っているのか楽しいのか判別できない表情では続けた。
「喚ばれたのは丁度、私が学校から戻って――自室で昼寝をしていたときだった。原因は不明だが、次に目が覚めたらエドに起こされて、この世界にいたよ」
「じゃ、錬金術の失敗なんかじゃなくて」
「唐突に異なる時間と空間を飛躍してきたってことだ。私の魔術で戻れるかはまだ判らない。精霊との繋がりが弱いから」
「精霊?」
「この世界にもいる。火風地水という元素の精霊といえば判り易いかな」
「えーと、妖精みたいなものかな」
「どちらかというと精神体であるアルの状態に近いな」
「――」
「え、わかってた?」
 魂のみ鎧に定着させているアルの現状を看過されたエドは愕然とした。
「魔術は精神、魂魄、精霊を扱う分野だからな。それぐらいは普通なんだよ」
「へー。魔術ってどんなの?」
「見たいか?」
「うん!」
「ちょっと待てよ!」
 盛り上がる二人を制してエドは言った。
「こんな明るいところで使ってばれたらどうするんだよ?」
「心配ない。結界で判らないようにしてある」
 さらりとは言い、結界? と首をかしげる兄弟に応えた。 
「限定された空間。閉じた世界。その中で起きていることは結界の中にいる者にしか見えない。外から見れば他愛ない風景、状態にしか映らない――――今もただ日向ぼっこしているだけの姿としか見られていないよ」
「……マジかよ」
 つぶやくエドには続けた。
「さっきのアルの大声も誰にも聞こえてはいない。――ここにいるもの以外は、な」
「凄いんだね……」
「なに、世界が異なる分、私の魔術も十分ではない。せいぜい数人を囲み、声と姿をごまかす程度さ。……さて、魔術をご覧にいれようか?」
 昨日と同じに不敵に笑うに、アルはうなずいた。
「精霊とのつながりが弱いとさっき言ったが……その精霊と仲良くなるところを見てもらおうかな」
 目を瞑ったは、深呼吸をして、唇から不可解な音を紡いだ。
 低い、唸りに似た音が二フレーズほど流れた後、緑の光球が複数の周囲に浮かび上がった。緩やかにの周りを飛び交う光ははじめは警戒するようにつかず離れず、の周りをめぐっていたが、さらに三フレーズ繰り返すころにはの頬や髪の毛、おでこに触れて跳ね返る状態を繰り返して。まるで遊んでいるように見えた。
 そして――――光はエドやアルの体でもぽんぽん飛び跳ね始めると、の前の空中でひとつの光が止まり、そこに残っていた光が次々に一つ目に飛び込んでひとつに合わさってゆき、最後の光が飛び込むと――――
 光は形を作り、体長十五センチほどの人型を模した姿になった。
 がゆっくりと閉じていた瞳を開くとあの翠の色ではなく、より淡い萌葱色で人型を見つめ、やさしげに語りかけた。
『挨拶が送れて申し訳ない。我が名は…………ここより異なる世界より、大いなる力に導かれ相成った。気高き風の御子よ、以後お見知りおきを』
 今度は唸りではないが、まったく系統の異なる言語で話し始めたため、エドとアルには何を言っているかまったく解らなかった。
『ふむ。先だって炎の御子が黄昏に異なるものが招かれたと伝えていたが。そなたのことであったか。我をずいぶんと懐かしい音で喚ぶ故、つい興が乗ってしまった』
 対する人型からもと同じ言語が直接頭に響き、耳を抑えてもその声は弱まることは無い状態は幻聴を疑ってしまうが、アルも同じように耳に手を当てていたため、エドは何とか騒がずに済んだ。
『我が世界でも相当懐かしい手法でな。これで通じるとは……さても世の理とはなかなか洒落ている。こうして語る言葉も通じないのではないかと内心冷や冷やしていたが、杞憂であるともな』
 苦笑するに風霊は縦にくるりと回転してから告げた。
『……我らの常に扱うものでは無い言葉ではあるが……時に、他の御子にはまだ挨拶しておらんのか?』
『ああ。風の御子が初めてだ。相性のよい御子から声をかけさせてもらうよ』
 風霊はわずかに上昇してまた一回転。
『よかろう。相応しき地にて喚ばるということだな。その旨伝えておこう』
『よろしく頼む』
『我が名はステア。異界より来られし魔術師よ。我はそなたの助けとなろう。いつの日も風はそなたと共に在る。ゆめゆめ忘れることなきよう』
 風霊は空高く舞い、かすかに閃光を残して消えると――――後には一陣の風が三人を撫ぜて去っていった。

 声が出ない二人をよそに、は再び目を瞑り、そして開いた瞳の色はいつもの翠で言った。
「風の精霊と仲良くなるの巻、これにて終――了――」

 すげぇえ――――!!!
 すご――――いっ!!

 エドは飛びあがり、アルは驚きすぎて寄りかかった樽を倒しかけて声を上げた。
「魔術って凄いね! の世界は誰でもああなの?」
「いや、まったく使役しない者もいるよ」
「あの言語はなんていうんだ?」
「精霊言語という。昔々からの精霊との会話に使う言葉だよ」
「あのう〜って音は何?」
「…………一応精霊言語。文法も何も無いけど。音自体が言葉になってる。めったに使わないけどな」
「なんでだ?」
「ちゃんとした言葉としての精霊言語を使ったほうが、意思の伝達が確実ってことさ。ちなみに音は『我が声に応えよ』って意味。それを繰り返すだけだったんだ」
「ボクにも呼べるのかな?」
「アルなら呼べるかな。存在が近いから」
「ほんと?」
「…………でも魔術の勉強しっかりしないと――ああ、やっぱり無理だ」
「えー」
「錬金術という道を至ってはいないだろう。中途半端なままで別な術を使うのは駄目」
「……何で、解るの」
「精神体は肉体の枷がない分情報を掴み易いんだよ。魔術師にはな」
 いまだ錬成陣を描かないと錬成を行えないアルの状況を看過していると知れるの言葉に、エドは訊いた。
「じゃ、オレは?」
「ふむ……」
 翠の瞳に射抜かれた様な感覚がエドを襲う。不快ではないが、見透かされるようなまなざしに動けなくなってしまう。数秒、の視線がエドに注がれると、ゆっくりと口を開いた。
「……半ばより少し先って所だな」
「…………そっか。まだまだなんだな、やっぱり」
 嘆息するエドに苦笑を浮かべたは立ち上がって二人に言った。
「さて、結界を解くから、魔術の話はもうおしまい。今度は錬金術の話を聞かせてくれるかな?」
「……いいぜ」
「あんまり教えられることは無いけどね」
「なに、私とて道半ば。研鑽こそ上達の道ってな……はい解いたよ」
 ほんの僅か、オレンジの燐光がから立ち上り、すぐに消えると、確かに『何か』が自分たちの周囲から失われていく感覚を肌で感じていた。
 感嘆の声を漏らす兄弟に、は口端をあげて言う。
「判るように解いてみたけど……感じてくれたか?」
「ああ。空間そのものを何かが覆っていたのが消えていくのが判った」
「あとはの体が薄く光ってたね」
 兄弟の観察力に笑顔で答えるに、エドは訊いた。
「じゃあ、こっちの番だな。錬金術の基本は想像つくか?」
「兄さん……それってパン屋さんにお鍋を作るコツを教えてって訊いているようなものだと思うんだけど」
 アルのあきれた言葉ががエドに突き刺さるが、無視してまっすぐにを見た。
「――ヒントはあるかな?」
「ああ。オレとアルは錬金術で今の姿になった。これがヒントだ」
 エドの挑むような口調には頷き、対座する兄弟の姿を見つめた。
(錬金術を行った結果……兄は片腕片足を機械に。弟は精神体に……か。何かを得ようとして支払った代価ということか)
 風が穏やかに三人の間を滑っていく。番の鳥が近くの木の枝に止まり、さえずりはじめた。陽光はあくまでも柔らかく、初夏の心地よい陽が影を生み出していた。
 幾度目かの風がエドの頬を撫ぜて去って――――
「降参するか?」
「…………いや。大体読めた」
「じゃあ訊くぜ。基本は何だと思う?」
「実際に私のところでも通用する概念だが――――等価交換だろ?」

「ビンゴ」
 指を鳴らしエドは笑った。

「ではヒントとして扱われたので興味がわいたが――そこまでして求めたものを教えてくれないか?」
 話せないのなら無理は言わない、と付け足すだったが、眼差しは熱く、純粋な興味に彩られていた。
「……いいぜ。錬金術は一の物からは一のものしか錬成できないし、属性にも縛られるが…………四年前、死んだ母さんを元に戻そうと禁忌である人体錬成を行ったんだ。結果は失敗だった。そしてオレは足を持っていかれ、アルは身体全部を持っていかれちまった。すぐにアルの魂だけ右腕と引き換えにこの鎧に魂を定着させて――――今は何とかして元の身体に戻ろうとしているとこ」
 事実を簡潔に述べるエドワードを身じろぎひとつせず、黙して聞いていたは、かすかに嘆息してから言った。
「…………そうか。元に戻る算段に目星はついているのか?」
「一応な。賢者の石って言うマテリアル、術の増幅器があれば等価交換の意味を何とか曲げられるとは考えているけど……伝説みてーな代物だから、本物はまだ手に入れてないし、在り処もわからねえけど、ここに戻る少し前に、手がかりを掴んだ。たまにこうしてウィンリィんちに機械鎧のメンテナンスに寄ったりするけど、オレたちはずっと賢者の石を探して旅をしているんだ」
「……長い旅だな」
 感想を短く言って、はエドの黄金の瞳に宿る、確固たる信念があることを感じ取った。
「それでね、いろんな情報が入るのはやっぱり国家だし、信憑性も高いってことで、兄さんは国家錬金術師になったんだ」
「ふむ。全ての錬金術師が国家に属している訳ではないんだな」
「うん。国家錬金術師になるってことは、軍部の直属になるから、戦争があれば人間兵器として召集もあるし、なにより『錬金術師よ 大衆のためにあれ』っていう、錬金術のモットーに反して技術や情報を隠匿する傾向が強くて、普通の人は国家錬金術師をあんまりよく思ってないんだ。それでも便利になることが多いから、ボクも資格を取ろうかなって考えたけど、兄さんがもうオレが国家錬金術師になってるからいいって」
「そうか」
 弟を気遣う兄の優しい一面を知って、微笑を向けたにエドはおどけて応えた。
「ま、目的を果たすために、オレは機械鎧を手に入れて、十二の時に軍部の狗になったってわけだ。それでも国家錬金術師になるとメリットは凄いぜ。研究費として莫大な予算が組まれるし、様々な特権がある」
「一般人には隠された知識を手にできる、か」
「まだまだあるぜ、基本的に軍部の施設を見学できたり、軍部専用の宿泊施設も使用できるし保養所も結構あるから観光がてら行くこともできる」
「福利厚生も充実なんだなぁ……ひとつ気になることがあるんだが、いいかな?」
「ん?」
「中央集権国家だというのは理解できたが、頂点にあるのは軍部になるのか?」
「……まあ、実質はそうなるな」
「ふむ。それでは仕方ないな。軍属のものが有利になるんだ、文民が憤りのはけ口に求めてしまうのも道理だ」
「そーそー。よく見られがちだけど。哀しい宮仕えってやつ?」
 大仰にうなだれるエドにアルは明るく言った。
「それでも結構大佐に頼られてるよね」
「都合のいいように使われてんだよ……」
「だっていろいろお世話になってるじゃない」
「それこそ等価交換だっつーの」
 苦々しく言い放つエドに、首をかしげては訊いた。
「大佐?」
「えーと、オレの上司……だな」
「凄いエリートなんだよ。東方司令部の大佐で『焔の錬金術師』でもあるんだ」
「軍人で錬金術師なのか?」
「結構いるんだよ」
「…………」
「どしたの?」
「いや、なかなか興味深いな、と思ってさ」
 苦笑を浮かべるに、エドは言った。
「いろいろな分野の錬金術があるからさ、別に戦闘に特化してるわけじゃねえよ」
「……そうだな。あんまりにも違いが多いから驚いたよ」
 言葉を濁すの態度に、アルはさびしそうに言った。
「――ぜんぜん違うところに来ちゃったからつらいとは思うけど、ボクにできることがあったら遠慮しないで言って。ね」
「――――うん。ありがと」
 くすぐったそうに笑う笑顔は花のようで。その笑顔の裏側にある思いは、見惚れてしまった兄弟には知りようが無かった。
 一瞬でも見とれてしまったと自覚したエドは恥ずかしそうに言った。
「あの、さ。って何歳?」
「……へ?」
「ああ、ほら、昨日会ったばっかだし、名前はわかったけど、そういや年訊いてなかったなーって」
 取り留めの無いことを訊くエドに、アルはあきれた声で告げる。
「…………女性に年を聞くのは失礼だと思うよ兄さん……」
「なんでさ」
「……」
 深く息をつくアルを見やり、きょとんとしたエドには答えた。
「成人とされる十六だが。エドは?」
「十五だけど……成人?」
「ああ、こっちでは十六歳で成人として扱われる」
「へー、ボクは十四だけど、こっちでは成人は十八歳だよね」
 ああ、と頷くエドとアルに、は楽しげに言った。
「ふふーん。大人になると色々楽しいぞ。今までのしがらみが全て解禁。したい放題になる」
「色々…………」
「したい放題……」
 夢想に更け入る兄弟。
「もちろんそれに伴う責任もあるがね。自由は責務とワンセットだろ」
「あ、ああ。要は等価交換だってことだろ?」 
「そ、そうだよね、大人になると色々できるけど、大変なんだよね」
 何気に夢想から抜けきっていないアルとエドを見やり、はつぶやいた。
「エドが十五でアルが十四か……ふーむ」
「な、なんだよ、(ちっさいとか)言ったらコロス」
「ある意味近いが…………その、機械鎧の腕を見ても構わんか?」
「いいけど、なんで?」
「構造に興味があるんだ。私のところにはそんな高度な技術はないから、純粋に興味がある」
「お、おう。いいぜ」
 言ってエドはシャツの袖をまくり、肩の接合部が見えるようにして、はエドの機械鎧をよく見ようと近づき見つめた。
 むき出しの接合部は、滑らかな鋼の内側の中央に凹型に太いケーブルと接続するためのジョイントがあり、そこを囲むように二重のベアリングがはまっていて、表面には交差する位置で二つずつの小さなホールドが空けられていた。
「今、肩は動くのか?」
「分かりにくいけど神経は通っているから……ほら」
 エドの言葉を聞きながら機械鎧を見るとかすかに音も無く滑らかにベアリングが動いた。
「成程……何らかの技術で神経自体を接続、固定しているのか」
 感じ入ったの表情に、エドはくすぐったい感じがして、つい聞いてしまった。
「そんなに面白ぇかな」
「ああ。私の術は人体への作用も施すものが多くてね、そのために医学も多少かじっているから……うん。興味は尽きない」
 の眼差しがよほど真摯に映っていたので、エドはシャツの裾を掴んで言った。
「こっちまで続いてるんだけど、見てみる?」
 こくりと頷いたに応え、機械鎧を露にした。
 胸部、そして肩甲骨の三分の一を鋼で覆い、甲殻のようにジョイントが筋肉の流れに沿って作られていた。皮膚との継ぎ目には大手術を思わせる大きな縫い痕と再生で引き攣れた肉があちこちに見て取れた。
 目を背けることも、眉をひそめることもせずにはエドの胸元に耳をそばだてて言った。
「機械鎧の動力は筋肉になっているのか? 心音が聞こえるだけで他の音が何もない」
「ああ、筋電義肢って言って、筋肉を動かすときに発生する電力で動いてっか……ら」
 接近するとどうしてもの花のような匂いが鼻をくすぐり、エドは頬が赤くなるのを自覚していた。そんなエドを知ってか知らずか、じっくりと機械鎧をためつすがめつ眺め、感じ入った声では語った。
「擬似的に筋肉を構成し、意のままに動かすことできる機械鎧か……いやまったく見事だ。戻ったら是非研究してみるよ。こちらではいまだ単純な義手や義足しかないからな」
のところは珍しいんだ」
 意外そうな声音でアルが問う。
「珍しい以前の話さ。それは存在しない技術だ。……無い理由はまあ、それ以外の技術で治療しているからね」
「え、そんなことできるの?」
「私のところではそっちのほうが普通でね」
 ふと、エドはある可能性に気づいてに訊いた。
「――なあ、まさかとは思うけど、人体の治療というより、修復が可能ってことか?」
「あ」
 兄の意図に気づいた弟は声を上げ、はまじめに応えた。
「可能だ」
「じゃあ俺やアルは戻せるか?」
「――」
 一瞬何かを言いかけては口をつぐむのを見て、エドは小さくつぶやいた。
「……無理か」
「ああ。失った当時ならば可能だったかも知れないが……すまない。時間が経ちすぎている」
「そっか……」
 気落ちする兄弟に、は続けた。
「それとな……母君を錬成したときに――――『なにか』見たり、触れたりしていないか?」
「――――」
「……そういうのも、判るのか」
 うめくように問うエドに、は頷く。
「魂の情報ってのは喩えると個では決して完成できないパズルみたいなものでね、普通パズルはケースなり台紙なりに嵌められるが、情報をパズルに準えるとこのパズルは逆に台座が無いのが普通の人間なんだ。だが、お前たちにははっきりと、明確な台座がある。確固たるそれが。それを得ることのできるヒトは何らかの形で真実や心理に触れるか理解できていなければならない。だから訊いた」
 の言葉でエドははっきりと理解した。
 基本的な部分は酷似しているが――彼女はけしてこの世界には存在しない魔術師というヒトだと。
 エドの隔たりの心情は理解しえないは続けた。
「一度でも真理に触れたヒトの情報は、悪いが私には扱えない。簡単な怪我や病気には支障は無いが――――ごめんな。辛い事を聞いちゃって」
 うなだれた。魂の情報に触れるということは少なからず心を扱うということなのだろう、語尾を震わせて姿は先ほどの魔術師然としたものではなく、普通の少女のそれで、他人の内側を見たことを真摯に詫びた。
「いや、そんなに気にすんなって。他人に頼ろうと思っちまったオレが悪いんだ」
「……だが」
「あーもういいの、オレがいいんだからいいの!」
「――わかった」
 まだばつが悪そうな顔をしていたが、エドが噛み付くように言うので渋々承諾した。
 会話を打ち切るように鼻息を吐くエドを見て、アルはに言った。
「兄さんは生傷が絶えないから、きっと沢山治してもらうことがこれからあるから、よろしくね」
「――ああ、遠慮なく使ってくれると嬉しい。本人の意志が強ければ強いほど、効き目があるからな」
 アルの言葉にはようやく笑みを浮かべて答え、安堵したエドは一人ごちた。
「そうだな、ウィンリィがしょっちゅうスパナを投げてくるから、考えるとオレよく生きてる――――でェ!!」

 果たして頭上からスパナが降り、エドの頭を直撃した。

「あ」
 だけが声を上げ、アルはいつものことなので何も言わず、ただ声が降って来るのを待った。

「あんたがしょーもないこと言ってばっかりだからでしょ!」
 二階の作業場の窓から身を出し、ウィンリィは怒鳴った。
「まだなんも言ってね――――!」
「これから言うつもりでしょうがっ」
「そうだねぇ、きっとウィンリィの話になってたね」
 のんきにアルが言を継ぐのでエドは反論の機会を失ってしまった。
 ウィンリィは息抜きにエドにスパナを投げたようで、すぐに引っ込んでしまい、取り留めなく風と共に時間が流れた。

「…………確かに、生傷が絶えんな」
 吹き出したい衝動をこらえてが震える声で言った。
「いつものことだからねー」
 あくまでも平静にアルは兄を見て、エドは弟を睨み付けた。
「ってめ、余計なことを……!」
「まあまあ、じゃ癒そうかな」
「え」
 エドが理解し得ないうちに、はエドの頭に右手を添えて目を凝らした。すると頭部がじわりと暖まり、打撃による鈍痛も、皮膚が切れた鋭痛も波が引くように消えていくのが解った。すぐにが手を引いたので、そっと頭に手をやると、スパナを投げられる前と変わらない感触を感じた。
「すげ……ホントに治ってる」
「蘇生は無理だけどな、これぐらいなら造作も無い」
「いーなー。ボクのも治してくれたら遊びに行けるのになぁ」
「まあな。だが真理に触れているし、鎧に繋ぎ止めたエドとアルの契約が強いからな」
「オレの?」
「錬成したものとされたものは私から見れば一種の契約を結んでいる。そこに他の術者の介入は基本的に禁じられているし、下手に手出しをすればたいていが壊れてしまう」
「まあ、それもそうだな」

 魔術への興味は尽きないが、の世界そのものにも興味がわいた兄弟はに色々と聞いて、最初に驚いたのは、電気のエネルギーは実用化されていない状態で、ガスが主なエネルギー元になり、鉄道も用地の買収計画が持ち上がったばかりのため、移動手段は徒歩か馬になっているということだった。
 まあこちらの世界でも奥地に住む人々はの世界と同じような状態のため、汽車や自動車という移動手段を用いたときに驚いてもそれほど奇異には見られないだろうと兄弟は考えた。
 

 エドのために最速で作業するピナコとウィンリィのため、昼食はが担当した。川魚の燻製と緑黄色の野菜のスープパスタを皆で食べ、まったりと食後のお茶会を終えると――エドは暇を持て余し始めた。
 元々一つ処で落ち着けない性分らしく、大人しく座して異界見聞譚に耽るよりも実際に体験して見聞を広めたいようだ。アルフォンスをウィンリィに託し、を散歩に誘って出かけた。

 道々で出会う人には中央から来た同僚というふれこみにしていたが、一切の余地無く「彼女か?」又は「コレか?」と必ず、言ってくれた。
 道に等間隔で並ぶ電柱と張り巡らされた電線を見上げては感嘆の声を漏らし、駅を見に行けば汽車の姿に声も出ず、公衆電話には目を丸くして、思い切りはしゃぐことができたのは、最初に出会ったエルリック家の焼け跡に行った時だった。

「この世界は素晴らしい技術で支えられているんだな! 私の世界より2百年は先を行っているよ!」
 自らが癒した木の枝に登り、腰掛けたは瞳を輝かせて言った。
「……そんなに感激してくれると嬉しいような恥ずかしいような……」
 隣に腰掛けるエドは頬を掻いて応える。スペアの義足では登り難いため、石の階段をに魔術で作ってもらって上った。駅に立ち寄ったときに買った、硝子の壜に入ったジュースを喉に流しこんで町を見た。
 石垣で切り分けられた麦畑。隣接する牧場。サイロに溜め込むために纏められた藁の匂い。どこまでも穏やかに続く大地の営みを見守るように空は限りなく広がり、突き抜けるように澄んで。西の果てからゆるゆるとその色を朱に変え始めていた。
 ふと、足元に在る石の階段を見つめ、エドはに訊いた。
の魔術ってさ、実は錬金術に凄く近いものなんじゃないか?」
「んー、似て非なるものだと思うよ。私の魔術では、一度形あるものを作った場合は存在が固定され、物質として消滅させない限りこのままだから」
「オレの錬金術もそうだけど……あーでも違うかなぁ。元に戻せるし」
「……今はまだ錬成はできないんだろ?」
「腕が直ってないからな」
「…………直ったらぜひ見せてくれよ」
「おうとも。散々驚かされたからな。楽しみにしてろ!」
 エドの発言に口端を上げ、二メートルの高さから軽やかに飛び降りては言った。
「じゃあ帰ろう。ご飯の支度手伝いたいから」
「ああ」
 階段を下りたエドを後ろに下げて、は作ったばかりの石階段に手をかざして、口の中で呪文を紡いだ。
 途端、石階段は砂のように文字通り『消滅』して消えた。
「やっぱすげーな」
 数回魔術を見た程度だったが、錬金術とは全く異なる術にエドは何度目か忘れた感嘆の声を漏らした。



 家に戻る道すがら、は伸びをしてから首を鳴らした。
「いかんいかん。体が鈍ってる」
「そうか?」
「ああ。こっちに来てから鍛錬を怠っている。エドは組み手とかするのか?」
「うん。オレ達の師匠は『精神を鍛えるにはまず肉体を鍛えよ』が信条でさ。日頃から鍛えてなきゃならねーんだ」
「それは好い事だ。じゃ、エドの腕とアルが直るまでは一人でやっておくか」
 物足りなさそうにぼやくに、エドはひらめきを告げた。
「おっさんに頼めば?」
「アームストロングにか?」
「ああ。超肉体派だから。快く引き受けてくれると思うぜ?」
「成程。後で頼んでみよう」

 さんざ驚かされて少しばかり悪戯心がささやいたゆえの言動だったが――――エドは後悔する事になった。




 リゼンブール風に仕上げた――ピナコにエドの好物と聞いた――ホワイトシチューと、セロリとハムがメインのマリネ、肉団子とたまねぎとパプリカのあんかけ。
 シチューはピナコに指導を受けながら味の調整をしたというが、ピナコが作った時よりこってりとした感じが強いため、また違ったうまさだと感じてエドは綺麗に平らげた。平らげて動けなくなり、長椅子の上でうめき声を上げながら天井を見ていた。
「うぇー、もう食えね」
「…………そんだけ食べれば充分でしょ」
 ウィンリィのあきれ返った声が上から聞こえた。
「うんうん。あんな好い食べっぷりを見たのは久々だ。料理した甲斐が合ったよ」
 満足げに食後のミルクティーを口にするに、ウィンリィは問う。
って家族が沢山いるの? 大人数の料理に慣れてる感じがしたけど」
「――ああ、家族は母と弟二人の四人だが、相棒が大喰らいでね。よく家で食事をするが……プラス三人前作らないと間に合わない」
 苦笑するにポツリとウィンリィがこぼした。
「おかあさんだけ?」
「ああ。元々私は捨て子だったから、今の母は養母だ――あ」
「あ――――ごめん」
 はっとして謝るウィンリィにはあわてて弁解する。
「い、いや、気にしないでくれ。聞かれて思い出せたし、それに、気がついたときにはもう一緒に暮らしてたから。どうも生まれてすぐのときみたいで、気にしてないから」
「そ、そう? じゃあ、おかあさんの名前は分かる?」
 一瞬答えそうになってしまっただが、あわてておでこに手をやり、俯いたままつぶやいた。
「――――……ごめん、ちょっと頭痛い」
「あああああ、む、無理に思い出そうとしないでね? ゆっくりでいいんだから!」
 ウィンリィの気遣いに弱い声では言った。
「うん。ありがと」

 腹が苦しくて動けない状態は有難かった。に突っ込みを入れずにすんだから。


 夜間の鍛錬は近所迷惑に、もとい、人払いのために結界の中で行うことにした。ピナコとウィンリィに不審を与えないようにできる効果を添えて。
 街灯と月明かりが頼りの裏庭で、結界という二度目の魔術を目にしたアームストロングは、鍛錬のために相手をしてほしいと請われたと間合いを取って身構えて言う。
 もちろん上半身を露にして。
「錬金術の使用はよいのか?」
「無論無し。純粋に組み手をするだけだよ」
 半歩右足を引き、軽く腰を落として拳を握っては応えた。

「では――参る!」
「おうっ!」

 先制はアームストロングの軽い――と思うのは本人だけ――ジャブの連打。まともに受ければ腕の骨が砕ける前に千切れ飛びかねないので、化剄で受け流し、伸びきった瞬間の腕の下に見える脇腹を狙って打突を打ち込む。しかし腕の戻りと体の捻りでわずかに届かず、横っ飛びに逃れたの髪を掠めた拳が見えた。
 体勢を立て直すとストレートの連打という拳の瀑布が襲ってくるが、アームストロングの頭上を飛び越え、再び間合いを取った。

「今のは魔術か」
「いいや。風に乗っただけさ。魔術と意識して使うものじゃないが――だめかな?」
「いや。なかなかに捕まえられぬのも一興。そのままで」
「話が分かる……!」

 アームストロングにすればの拳は小石のように軽い。軽いが石は石であり、的確に動きを奪いに来る急所狙いの打突は鋭く、体が温まってきたのだろう、拳に体重が乗るようになってきていた。
 更に、風に乗る――と本人の弁だが――は、跳躍力も滞空時間も常人離れしており、こちらのタイミングを悉くはずれて逃れてしまう。
 空振りは著しく体力を奪い、焦りを生む。理屈では理解できても――
「うぅむ。こうも避けられてしまうとはなんとも厄介だな」
 唸るアームストロングには半身を下げて応えた。
「まあね。あんたほどじゃないが、規格外の生き物と日々格闘してきたから。コレぐらいのハンデは必要不可欠なんだわ」
 拳を再び交えながら問う。
「規格外の生き物とは何だ?」
「この世界にはいないようだが、生態系が全く違う生物でね、魔族とか魔物とか、呼び名がついてるよ。まあそーいう連中があっちでははびこっててね。私は相棒と一緒にいたいけな普通の人々の生活を支える傭兵として生活してきたんだ」
 離れて両者は間合いを取るが、すぐに全速力でぶつかり合う。
「まるで御伽噺だな……!」
「剣と魔法の世界といってくれ……!」

 低い体勢から拳を振り上げると、渾身の力で振り下ろすアームストロングの拳。

 ――――互いに寸止めで笑いあい、拳を収めた。


「うーむ。よい鍛錬であった。また拳をあわせようぞ」
「ああ。今度は制限なしでいこう」
 深呼吸で闘気を開放し、意識を切り替える。家に戻りながらは言った。
「冷たいハーブティでもいかがかな? 火照りが鎮まる」
「頼む」
「了解」
 頼りない街灯と月明かりを受けては微笑み、玄関口で呆然とする兄弟を見つけて声をかけた。
「――直ったら相手を頼む。楽しみにしているんだからな?」

 お茶を淹れるために先に中に入るを見送り、アームストロングはアルを抱き上げエドに言った。
「どうしたエドワード・エルリック」
「…………いや…………」
「む、アルフォンスもどうかしたのか?」
「…………ううん…………」
「?」







 床に就いたとき、エドとアルは同時に呟いた。

「師匠並に」
「強いかもね」




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