「あー、またかよ! まだ傷口もふさがってないのに無茶すんなよな!」
 少年の諌める声に、彼は修練の手を休めて口を開いた。
「イシュヴァールの武僧は常に修練を」
「いいから顔拭け!」
 顔に飛んできた布を掴むと同時に、少年の言葉と、戸口の布を開くその人が見えた。

「客だよ」

 懐かしい、人に会えた。

「師父……!」



 家の周囲で見守る同郷の人々、少年と老人が見守る中、彼と彼の師父は対座して言葉を交わす。


「ご無事で何より」
「……お前も、よく、生き延びた」
「今までどちらに?」
「南の山間部に寺院のもの数名とな。東の大砂漠に逃げた僧もいるが、はて、生き延びておるかどうか……。南部も近頃、軍人どもの動きが慌ただしくなってきてな、とばっちりを受けぬよう、東に逃げるうちにお前の話を聞いた」
「――――」
「国家錬金術師を殺して回っているそうだな」

 彼は黙し、顔は上げなかった。彼の師父もまた、予想できた態度に言葉を続ける。

「たしかに我らの村を焼き滅ぼしたのは国家錬金術師だ。恨みたい気持ちは分かる。だが、お前のしていることは八つ当たりに近い復讐ではないか。復讐は新たな復讐の芽を育てる。そんな不毛な循環は早々に断ち斬らねばいかんのだ」

 あの、貧しくとも清く、ささやかながら、満ち足りた暮らしを蹂躙され、貧民窟での生活を余儀なくされている人々の前で、彼の師父は淡々と、しかし力強く彼に告げた。

「堪えねばならんのだよ」


 ――――しかし、もう。


 野心だけは強いヨキという男のはかりごとによって彼の居場所は失くなり、立ち去ろうとする彼に、彼の師父は静かに言った。

「兄が悲しむぞ」

 風が舞い、彼の右腕に克明に残る傷跡があらわになる。還らぬ日々に、彼は涙を亡くして、師父に言う。

「もう後戻りはできぬのです」



























 アルは、翌日になっても戻ってこなかった。
「エドと違ってそこら辺はしっかりしてる子だからね。……やはり、何かあったか」


「俺、ちょっと聞き込みしてきます」
 そう言ったメイスンが家を出て行って二時間。まんじりとしない時が流れる。



 精神体のみであるアルの居場所を突き止めるには、精霊の力を借りにくい。受肉した存在でない分、精霊たちからすると同類という認識になってしまうからだ。彼らからすればアルもまた、どこにでも居て、どこにも居ないものという曖昧な存在だった。
 魔術を駆使して行方を探る事はできるが――――ラッシュバレーで急激に回復した魔力は、いつまで保つか予測がつかない。イズミに初めて会った情報の氾濫のときも気付かぬうちに魔力を消費していた。
 無論、身体を休めていれば太源からの魔力をこの身は勝手に取り入れてくれるが……世界とのずれで予想以上の魔力を持っていかれてしまう恐れが、常にあった。

 だが、エドから聞いたトカゲの四肢を持つ男の存在と、ダブリスの町に漂う闇の残滓。

 望まざるとも、計略の渦中に立ち入ってしまったエドもアルも渡す気はない。ならば、この身を最大限に使って。

「イズミさん」
「なんだい、
「ちょっと気になったんですが、エドが国家錬金術師になったのは、いつ知ったんですか?」
「……錬金術師のネットワークだよ。国家錬金術師とは一線を画したものだけど、それでも目的があって軍の狗になるやつは、エド以外にも居るからね」
「……では、経緯は知らなくても、エドとアルの行動はそれなりに人の知るところであった、ということでいいですか」
「何が言いたい」
「エドとアルの行いは、決して良いものではないでしょう。だが――それを悪用せんと目論む輩がいないという確証も無い」
「本当に誘拐されたと?」
「可能性が高いです。私の術を使って良いでしょうか」
「……アルの居場所が分かるのか」
「長距離の移動が無ければ」

「……わかった。やってみてくれ」

 頷いて、眩ましと防音のための結界を張る。それから風霊ステアを喚んだ。

『世界に流れる風、赤き契りの片翼を示せ』

 イズミとシグには理解不可能な言葉のあと、風が部屋に満ち溢れた。

「……な」
「――」
 驚愕の表情のイズミを護るためにシグは肩を抱き、部屋の隅に移動する。しかし、頬に当たる風は強かったが、出窓に飾られた鉢植えの葉の一枚も揺らすことなく、を中心に渦巻いていた。

『このような正規の呪にせずとも良かったではないか、守護者よ』
『守護者と自覚して初めての高位魔術だ、失敗したくない』
『ふむ。この前の結界は高位魔術ではないのか?』
『――――いちいち細かいな。つか名前で呼んでくれ。守護者といっても不完全なんだ』
『承知した。ではよ、そなたの望む片翼はこの街に居る』
『それは分かっている。ここを起点にどう辿ればアルの元に辿り着けるか、道を示して欲しい』
『…………精霊を地図代わりに使うか』
『元居た世界では良く願っていたが、気に触ったか?』
『いや――――懐かしい。遥かいにしえ、我等を良く使っていた者を思い出した』
『だろうな。……悪いが時間が惜しい』
『承知。では、行くぞ』

 一瞬、風が凪いで――――再びの突風が束の間起きて、完全に無風になってから、はイズミを見て言った。

「わかりました。デビルズネストという歓楽街の店の中です」
「はぁ?」

 デビルズネストといえば、ごろつきの巣窟としてこの街では結構有名で。

「何でそんなところに」
「誘拐の線が濃厚ですね」

「…………あっさり捕まったのか、あの馬鹿」
「案ずる点が違うと思います……」


 聞き込みから戻ったメイスンも、アルの風体……鎧がその店に担ぎ込まれる目撃情報を得ていた。

「じゃあ、迎えに行きますか」
「俺はどうします?」
「店番よろしく」
「はーい」
「私もついて行って良いですか」

「……良いけど、無茶するなよ」
「イズミさんもね」

「――――じゃあ、ちょっと挨拶しに行こうか」
















 飛び込んだ南方司令部で、査定の手続きに必要な書類を作成してもらうのに有効査定期間を過ぎていたために思ったより時間がかかり、朝一番で申し込んだが書類が上がったのは昼過ぎだった。
「ったく……これだからお役所仕事ってやなんだよなあ……」
 最初に汽車で書き上げたレポートの提出のため、指定された技術研究局へと向かう。
「ここ、初めてなんだよな……お」
 軍人の通りが無くなり、道を尋ねようとしたエドは曲がり角に消えた軍服を追い、覗き込みながら声を掛けた。
「すいませーん、技術研究局ってど……」

 見上げたその目に、居る筈の無いアレックス・ルイ・アームストロング少佐の巨躯が飛び込む。

「…………おお!」
「                   」


 南方司令部に響く――――悲鳴に骨の折れる音。

 アレックスとともに執務室前で詰めていた南方司令部勤続八年のマーティ・サンドラスは後に語る。

 少年の絶望は誰にも測ることはできず、あの強烈なサバ折りは、格闘技の王者も耐え切れないだろう、と。


 アレックスに抱えられたエドはすぐに執務室にいる大総統の元に通され、迎え入れた大総統は扉のやり取りを知ると大いに笑った。
「わっはっは! 元気そうで何より!」
「はあ……」
 どうにか立ち直るエドの側らに立つアレックスは胸を張って言った。
「大総統の南部戦線視察に、我輩が護衛を勤める事になったのだ!」
「タイミング悪ぅ…………」
 子供の呟きは綺麗にスルーしてアレックスは言う。
「そう云えばおぬしは査定に来たのではなかったか?」
「あ、うん。期間過ぎてるから手続きに時間がかかるってさ」
「査定か。どれ、書類をかしてみなさい」
 エドがあっけにとられつつも書類を大総統に渡し、軽く目を通すこともせず、書類を手にした大総統は秘書官に言う。

「印を」
「はっ」

 あっという間に最高責任者の欄に署名と捺印をして。

「合格! これにて査定終了!」
「良かったな、エドワード・エルリック」

「…………なんつーいいかげんな…………」
 大総統の前で、エドは脱力のあまりひざまずくが、秘書官の咳払いに慌てて姿勢を訂し、少年の挙動を楽しんだ大総統はエドに言葉を投げる。
「君の各地での活躍を見る限り問題は無い。これからも期待しているよ、鋼の錬金術師君」
「はあ」
「ここでもまたひと騒動起しに来たのかね?」
「いえ、錬金術の師匠がダブリスにいるんで会いに来たんです」
「ほぉ、君の師匠となるとかなりの者ではないのかね」
「そりゃもう(色々と)すごいですよ」
「それほどの評価となると、是非、国家錬金術師への勧誘をしに行ってみたくなるな」
「いやー、やめた方がいいですよ――――行くなら一個師団全滅するぐらいの覚悟じゃないと……」




 蒼白になるエドの呟きは大人たちには届かなかった。 


















 日が落ちるまでの僅かな間は、春を売る女たちへ、かすかな休息と悲しみと誇りを与えて。接点を持たぬはずの錬金術師と、その夫に付き添い歩く少女――いや、女性への眼差しは届かぬもの、失ったものを見送る色が強く現れていた。
 彼女たちの視線を意に介さず、イズミは隣を歩くに声を掛けた。

「花街は見たことがあるかい?」
「貴重な情報源でしたよ。屈強な戦士も、褥では可愛いものだと姫たちが教えてくれました」
「……親御さんの教育方針は面白いね」
「傭兵としての自分には可能な限りの教育を与え、親としてはイズミ、あなたのように」
 不適に笑みを浮かべるに、シグが小さく笑って言う。
「そりゃあいい」
「返答に困るね、どうも」

 軽口を叩きあいながら花街を抜けるとすぐに酒と食事、そして安宿がひしめく界隈に出てきた。掻き入れ時はずっとあとになるため、仕込みに忙しいコックや日雇いにあぶれた人足、用心棒とおぼしき男たちがそこかしこに見て取れた。同じ世界には居ないタイプの女性が二人、どちらもとびきりの上玉と来ればそそられぬ筈も無いが、シグの迫力に男たちは手をこまねき、そのままもっとも奥まった路地裏へ三人が消えて行くのを見送った。


 ――――そして、目的地の入り口が見えたとき、四人の男たちがたちの前で道をふさいでいた。
「おや、随分とお早いお客さんだ」
「店は暗くなってからだぜ」
「それとも、うちの店を嗅ぎ回ってる物好きなやつか?」

「いいわぁあんたら。分かり易くて」
 男の凄みを鼻で笑い、イズミはぼやく。その態度にスキンヘッドの小太りな男が歯を剥いた。
「ぁあ?」
「責任者、どこ?」

 しかし全く意に介さずにイズミは男たちの間を抜けて前に進み、後に続こうとしたを、シグはそっと制した。

「待てコラァ!」
「シカトこいてんじゃねえ!」

 ――――言うが早いか、男二人は投げ飛ばされ、残り二人は地面に叩きつけられていた。

「ぬが…………」
 地面に叩きつけられていた小太りはよろめきながら起き上がり、もう一人は受身を取っていたのか、髪を逆立てた男がすばやく起きるとナイフをひらめかせてイズミに言う。

「やるじゃねえか……このおばはん!」

 禁句に軽く――そう、軽く苛立ったイズミは両手を合わせ、路地の壁に手をつけて。
 瞬く間に石壁から錬成した石の掌が禁句の主ともう一人を反対の壁に叩きつけた。
 プレスにへたり込む男たちをにらんで、イズミはゆっくりと言う。

「あんたら三下じゃ話にならないって言ってんの」

「手……手品師?」
「バカ、錬金術師だ!」
「おい、飛び道具もってこい!」

 一人が店内へ戻ろうとしたとき、入り口から新たな男が現れた。

「ンだぁーおめーら……ネズミ数匹、まだ始末できねえのかよ」

「ウルチさん!」

 ウルチと呼ばれた男は身の丈は三下よりも頭二つ分高く、体格も隆々たるもので、明らかに表にいた男とは格が違った。

「んん〜〜〜〜? 女! 女だ! 女、大好き!!」

 しかしイズミを見るなり、ウルチは劣情をもよおし、涎までこぼしながら怒鳴るように言った。

「そこまでだ女ァ! ウルチさんはそこらの奴とはちょっとちがうぜ!!」
 小太りのスキンヘッドは高らかにイズミに向かって言う。
「なんたってワニの血が入っちゃってるからなぁ!! 野獣だぜ、野獣!!」

「おねェさんよ……ここいらは俺みたいな物騒なのが多いからよぅ…………」

 熱い視線をイズミの胸元に注いだウルチは、指の爪を自らの意志で尖らせて飛び掛った。
「痛い目にあっても知らないよ――!」

 女は反応が遅れたのか動かない。痛めつけてから嬲ってやろうとシンプルなプランが胸中で完成したとき、シグの拳を頬が受けた。

「痛い!!」

「あら、あんたいいのに」
 見上げるイズミに、シグは唸りを上げて――――ウルチに突貫した。
「俺の女に色目使ってんじゃねえこの野郎!!」
 どかばこめきぐしゃべき。耳障りの悪い音をBGMにイズミは頬を染める。
「やだあんた、そんな大きな声で俺の女だなんて……」

(野獣…………!!)

 イズミの姿は全く目に入らず、男たちは驚愕と恐怖に涙が止まらなかった。
 ついでに傍観者と化したは夫婦漫才に乾いた拍手を送っていた。



 戦意喪失のウルチを顔面から掴むシグに、平然と隣に立ってイズミは言う。

「で? 誰に聞けば教えてくれるの?」






 ――――結果として、裏が取れたことは取れたが。

 尋問にその場で吐血して、それをそのまま顔面に浴びせると絶大な効果がある事が分かった。





 そのまま店内に入ると、従業員の女性が闖入者に一瞥を投げ、男たちが先頭を行くイズミを取り囲む中、はイズミに言った。

「アルはあのドアの向こう、地下に下って二階の一番奥の倉庫にいます。一応サポートしますから、適当に流してください」
「了解」

 階下から漂う闇の気配に、は淡く笑みを浮かべる。闇の者の気配は似過ぎていて判別がつかないが――――
(もし、エンヴィーかラストなら――――潰す)
















 ――――突入開始から五分で、イズミは目的地に着いた。




「はい、ちょっと失礼するよ」

 壁に扉を錬成して中に入る。その細腕には不釣合いな大きな手土産を手にして。

「おっ……おい」
「なんだ……てめ」

 扉近くの男二人の制止もかまわず、イズミはそのまま鎖で手首を拘束されて座り込むアルの前へ行き――――手にした男をアルに投げつけた。

「こンのばかたれが!! なに人さらいにあってるんだ!!」

 小気味良い音が室内に響く。

「ごごごごごめんなさいいいいい!!」


 本気でおびえるアルを見て、イズミにシグのことを伝えようとしたは取敢えずドアの前で静観を決めた。
 ひとつだけ感じる闇の気配も、エンヴィーでもラストでもない、楽しげに立つ一人の男にしかなかった。


「コラァ!! 俺達を無視してんじゃねえ!!」
「てめー何者だ!!」

「主婦!! だッッ!!」


 真っ当なイズミの啖呵に男たちは呆然とするが、すぐに怒号を上げながらイズミに跳びかかっていった。
 部屋の奥に立つ、薄笑いを浮かべる優男を視界の隅において、イズミは少し腰を落とす。



 ――――外見に惑わされる一人が手を伸ばして掴みかかろうとして、そのまま手首をつかまれて肘の関節を逆に極められ、息が止まったところで肝臓狙いの膝蹴りが飛んだ。崩れ落ちる男をクッション代わりに横薙ぎの棒を防ぎ、背後から拳を上げてくる男を高く投げて天井に叩きつける。振り下ろされた棒を飛びのきざまに避けて、ついでにその移動エネルギーを裏拳に込めて二人まとめて鼻を潰し、がら空きのボディに鳩尾への正拳突き、肘打ちで沈めた。

「ってめ……!!」
 刀を下げる男が抜刀してイズミに飛び掛り、それまでの奴よりは手応えがあるとイズミは感じ、降りかかる刃をやり過ごす。男が握りを直すと同時に拳を本気用に握り直して一歩踏み込み、男の脚を払った。運動法則に逆らえずにつんのめる男の首を狙い、肘と膝で挟むように打って、男は落ちた。
 そのまま刀を床に突き立て、無言で迫り来る尤も屈強な男の拳を化剄で受け、逆に捻り上げると同時に膝裏を蹴った。唸りとともに男が体制を崩し、その捻った腕を自らの腕で挟み、その付け根、背骨に膝を沈めて動きを封じた。



「おお、三分かかってない」

 乾いた拍手とともには室内に入り、イズミの傍に並んだ。

「え、も来てたの?」
「サポートで来たが、必要なかったな」
 の軽口にイズミはアルを睨み、再び悲鳴を上げてそれ切り口をつぐんでしまった。


 そして、ただ見守っていた優男が呆れ顔でアルの後ろに立ち、イズミに声を掛ける。

「おいおいおい、おねえさん、いきなりそりゃあないでしょ」

 男の声にイズミは立ち上がり、アルを挟む形で対峙した。

「あんたが責任者? うちの者が世話になったね。連れて帰らせて貰うわ」
 静かな、だが激しいやり取りにアルは交互に二人を見上げ、男は口を歪めて答える。
「そりゃあできねえ相談だ」

「あっそう」

 言葉と同時に出た右ストレートが男の顔面に鈍い音を立てた。
「…………ほんとに何もかもいきなりだな」
 しかし、男は平然と言葉を放つ。震える拳が触れる左の頬は、黒い膜に阻まれていた。
「――――」
「指、イッちまったんじゃねえの?」
 そう云って男は左手でイズミの拳を、まるで鋼の盾で払うような金属音をさせて弾いた。

「…………!!」
 抜いたイズミの手の甲から血がにじみ出す。

「師匠!!」
 アルの声に、は意識を切り替え、男は黒い膜を腕まで伸ばした左手を見せて言う。
「勘弁してくれよ。女と戦う趣味はねえ」
「…………えらく変わった身体してるのね」
「まぁな。ちょっとやそっとじゃ傷ひとつ付けられねぇぞ」
 膜が頬と腕から次第に消えていき、背後ではイズミにやられた男たちが起き上がり始めていたが、もう襲ってくる意志は見せなかった。
「――あ! 兄さん……兄さんは来てないんですか?」
「? まだ帰って来てないけど……」
 イズミとのやり取りに男は怪訝な顔でアルに言った。
「お前、兄貴は死んだって……」
「一言も言ってないよ!!」

「お前らどんな話をしてたんだ……」
「師匠、この人ホムンクルスなんです!」
「おまっ……いきなりバラすなよ」
「なっ……何を言い出す」
「だから!! ボク達が元の身体に戻るヒントを持ってるんですよ!! 兄さんに知らせないと!!」
「……本当にホムンクルス?」
 寝耳に水のイズミに、最初だけ強烈な殺気をみせたを一瞥して、男は怪訝な顔でアルに言った。
「なんだよ、お前肉体を取り戻したいのか? その身体便利でいいじゃん」
「いくない!!」
 アルの返事にイズミはさらりと言う。
「ああ。そいつボコって秘密を吐かせりゃいいのね」
「そうだけど――――うわ――!? 師匠怪我ひどいよ! 無理無理!!」
 イズミの右手の甲から絶え間ないほど血が零れ、アルは悲壮な声で師匠を止めに入る。
「そーだよ、俺、女いたぶるのいやだし、俺はこいつの魂の錬成とやらを知りたいだけだ」
「そんなもん知ってどーすんのよ!」
「もう面倒くせぇやグリードさん、この女斬っちゃいましょ――げふっ!?」
「ドルチェット――――!?」

 ドルチェットと呼ばれた男は再びイズミの左の拳で床に沈み、グリードと呼ばれた男はアルの首根っこを掴んで言う。
「ああもうゴチャゴチャと!! つまりこうだ!! 俺はこいつらにホムンクルスの製造方法を教える。こいつの兄貴は俺に魂の錬成方法を教える……どうだ!!」
「取引か……!」
 眉をひそめるイズミに、グリードは薄笑いを浮かべて言い返す。
「等価交換だろ? 穏便にやろうや」
「誘拐犯の言うこと聞けって? ふざけんじゃ」
「師匠!! お願いです! 兄さんを連れてきてください!!」
「アル……」
「――――お願いします。やっと巡ってきたチャンスなんです」

 俯いて言葉を投げるアルに、イズミはわずかな逡巡を見せてから、グリードに言った。

「あんたグリードって言ったっけ。私ら錬金術師は作り出す側の人間だから、こういうのは好まないんだけど――――私の身内の者にもしもの事があったら、その時は遠慮なくぶっ壊す」

 イズミの啖呵にグリードは肩をすくめながら肯定して。

「帰る。、行くよ」
「申し訳無いが、私は残らせてもらいます」
 それまで静観を保っていたの発言に、全員の視線が集まった。

「――――はあ?」

「なに、ちょっとグリードに聞きたいことがあるのと、エドが来るまで待っているとは思いますが……抜け駆けしないとも限らない。監視も兼ねておきますよ」
「だからってあんたが残るほうが危ないと思うんだけど」
「へえ、俺らに付き合ってくれるわけ?」
「まあ、返答次第では潰すがな?」

 ――――途端、途方も無い殺気がから溢れた。

「……?」
 イズミの声に、は瞬時に殺気を収めて小さく笑った。
「最初に見せた方法で身は護れますから、大丈夫ですよ」
「いや、どっちかっつーとなんでそんなにキレそうなのさ」
「ちょっとした縁が、グリードにありそうなんで。細かくは話せませんが」
「本気?」
「ええ」

「――――しょうがない。エドに迎えに行かせるから待ってな」
「はい」
 頷きながらはイズミの怪我を癒すために遅効性の魔術を掛ける。その行為はイズミ本人にも気付かれずに。

 そしてイズミは店を出て行った。女たちにつかまったシグとひと悶着起こしたようだが、あの夫婦喧嘩に割って入る者は無論ゼロだった。









「――――さて、お嬢ちゃんはどういうつもりで残ったのかな?」

 イズミが去り、会話の無い空間にグリードの声が響く。

「お前に聞きたいことがあるからさ。人払いを願えるかな」
「愛の告白?」

 グリードが茶化した瞬間、はセルセを抜刀して眉間に触れないぎりぎりのところで切っ先を止めていた。
 それは、グリードにも見えなかった、電光石火の行動だった。

「グリードさん!!」
「ってめぇ……!」

 憤る部下たちを片手で制してグリードはそのまま口を開く。

「三回は殺されるだろうが、それまでだぜ?」
「――――いいや、一つを残してすべてを還す。お前の身を成す命はひとつで充分だ」

 その、言葉に。

「お前、何?」
「魔術師だよ、闇の者」

 驚きを隠さないままグリードは刃越しにを見つめる。

(こいつ――――)

 もう薄れた記憶の中、鈍色の景色に――――

「どうする? 還すついでに脳をかき混ぜることもできるが、意志を尊重したい。返事を」
「つーかまんま脅迫だし」
「拒否権は一応あるじゃないか?」
 こんなときだからか、はひどく優しい声でグリードに言う。放つ殺気と声のギャップに、そそられた。

「いいぜ、上で飲みながら話そうや」

 グリードの答えに、はセルセを『閉じた空間』に戻す。

「ちょ……、なに考えてるの?」
 そこにアルの声がかぶる。はゆっくりとアルを見て、自嘲の笑みを浮かべた。

「お前たちでは出来ない事だろうな。何、取引の邪魔はしないよ」
「なにそれ……そんなんじゃ、全然わかんないよ!」
「出会った頃に言っただろう、この身は傭兵だと。お前たちの望まぬことでも、助けになることを許してくれ」


 そして、背を向けてグリードとともに扉の闇に消えて。

「……なんで……」
 意図が読めず、アルは呆然と呟く。

「――なぁ、あの姉ちゃん、何者?」
 ドルチェットがイズミに殴られた鼻をさすりながらアルに問う。

「ここだけの秘密にできるなら、教えてもいいけど、お兄さんたち口軽そう」
「――――あのなあ……あの姉ちゃんが自分で魔術師って言っちまってるし、俺らが憶測で話したら噂が一人歩きして尾びれのカーニバルだぞ? それでもいいのか?」
「そうねえ……とりあえず生卵五個一気飲みとか日課にしてそうだし」
 アルの中から、女の声が響く。
「してないよそんなの!!」
「ほれ、マーテルだって声しか知らなくてももう喋ってる」
「う……」
「知りたいなー。教えて欲しいなー」
「……絶対、内緒だよ?」







 
 
 
 一番奥まった特等席にグリードは乱暴に腰掛け、後に続くは向かい合わせのソファに浅く腰を下ろした。
「さて。何飲む? 上品なものはねえけどよ」
 座ったとたん、女が一人近付いて、グリードの手にゴブレットが渡される。
「酒は苦手でね、お茶を――――ああ、いや。私がご馳走しよう。キッチンを借りるぞ」
「へえ、ガキなんだな」
「下戸っていうんだよ」
 小さく笑って女に案内されるままキッチンに消える。

 5分ほど経って、が戻ってきた。どこから用意したのか、立派な茶器一式を銀の盆に乗せて。
「こんなのうちにあったか」
「自前だよ」
「どこに仕舞ってたんだよ。手品師かあんた」
「魔術師だといっただろう、刀を出したのと仕掛けは同じだ」
 良く蒸らした紅茶を、生のミルクを入れておいたカップに注ぐ。
「へー。いい香りだ」
「酒で舌が鈍ってなければ飲んでみろ。この店でも出したくなる」
「――――おい、水もってこい」
 背後に控えた女に言う態度に、は頬笑みを浮かべた。

「――うまい。マジで美味い」
 一口飲んで、軽く息をついてグリードは言い、控えた女にカップを渡した。
「――――本当に、これ紅茶なの?」
 カップを受け取った女は蕩然と呟き、他の女たちへカップを渡しに背を向けて去って行った。仕方なしには新たにカップを『閉じた空間』から取り出し、残った紅茶を注いでグリードに渡した。
「――――で、聞きたい事って何だよ。まさか紅茶の感想じゃねえだろ」
「まあな」
 煙草を取り出して火を点け、一口喫ってから続ける。
「お前の造物主について、知りたい」
「……俺じゃなくて?」
「一定の感情を特化させて大量の命を持たせるモノを作り出す奴の考えが読めない。魔術師としては思い切りの良さに正直羨ましくもあるが」
 結構すねた表情のグリードを無視しては言い、また一口喫う。
「何だ、結構あたり付いてんじゃねえの?」
「最小と最大の被害なら、な。どうなんだ、造物主は何を考えてる?」
「――――」
 冷めてきた紅茶を飲み干し、グリードは宙を見て口を開く。
「わかんね。俺ぁ百年ちょい前にあいつの元を出てったからなあ。ただ……どうも手前一人の欲で動いているって感じじゃなかった」
「ふむ。特定のグループ共通の目的があるということか」
「協力者はかなりいると思う。俺らより長生きしてっし」
「だろうな。一人で長寿を誇っても、できることはたかが知れている……そのためのお前たちだろう」
「誰に会ったんだよ」
「ラストとエンヴィーだよ。エンヴィーの口の軽さで存在に見当がついた」
「け、あの馬鹿は相変わらずか」
「――ふむ。いにしえからの術師……共通の目的……庇護の強さ……」
 咥え煙草で腕組みして天を仰ぐこと十秒。フィルタを奥歯で噛みながらは言った。
「無理だ。取敢えず目的は阻止する」
「結論早えなあ」
「いやまあ? 共通の目的を果たすのに最小被害でいいならお前たちを基礎にすればおそらく事は足りると思う。だが、最高の結果を完璧かつ安全確実に出すには最大の被害があるだけいい。そんな物騒なことは無視できん」
「…………ほとんど知ってるんじゃねえ」
「あくまでも推測だ。魔術師にも物騒なわざはいくつもある。大量の命を糧とするものも、無論」
「へえ。じゃあ、俺は殺すか?」
「造物主から離反したんだろ?」
「ああ。あんなところにゃ戻る気は無えよ」
「なら無関係だ。おそらくお前がいないことで奴さんの計画も完成まで五十年追加するようになる。それだけ長くなれば十分阻止できる」
「じゃあ、無罪放免でいいのかな」
「――いや、もうひとつ聞きたい。マース・ヒューズという男に心当たりは?」
「…………」
「お前たちが関わり無いならいい」
「……あるとしたら?」
「とりあえずぶちのめす」
「関係ねぇな。中央の仕事はラストが多い。あいつじゃねえの」
「今も情報収集はしているのか」
「そりゃまあ、迎えに来て欲しく無えからよ。逃げ回るのにも情報はいるさ」
「彼のことで何か進展はあるか」
「いや……おい、中央でちょい前に暴漢に襲われた中佐の話、進展あったか?」
 席の向こうに控える男たちに声を掛ける。すると、すぐに一人が立ち上がってこちらに来た。
「ヒューズ中佐の事件なら、目撃証言があったとかで、裏を取ってるようですよ」
「へー」
「…………なんだと?」
「線条痕からも拳銃の総洗いしてて、自分の銃を調査に提出すると謝礼が出るとかで、一般市民はそうとう協力したみたいです」
「さんきゅ、もういいぜ」
「…………まいった。手が早い」
 うなだれて大量の煙を吐くに、グリードは楽しげに言う。
「犠牲の羊があがるのももうすぐだな。等価交換だ。あいつにも茶、淹れてやってくれよ」

「ふん。相当な収穫になった。礼代わりにもっといいもの出してやるよ」
 煙草を消しては立ち上がって盆を手に取りキッチンに消えた。







「面白いね、魔術師って」
「あの刀を出したのも魔術かな」
「手品師で一発当ててなんか奢って貰えねーかなー」
「十六歳であの迫力出せるんならハッタリも難なくこなしそうだ」
「グリードさん気に入りそうだなぁ」
「ああ云う危ないの好きだもんね」

「……」
 やっぱり言うんじゃなかった、と、アルは激しく後悔した。噂ではないが尾びれがひらひらして見える。
 それに、自分の中から女の人の声が賑やかに聞こえるのはなんだか落ち着かない気分になる。

 を肴にした話がひと段落すると、アルの内部で監視役のマーテルがため息混じりに言った。
「お腹空いた。なんか持って来てよ」
「もうじきメシの時間……あれ、なんか今日の匂い、違うな」
 鼻を鳴らしてドルチェットが天井を見上げる。
「どうしたのさ」
「ん――、いつもと違う、すげえいい匂い」
 嗅ぎながらうっとりとするドルチェットを見て、アルは呟く。

「…………まさか」
「へ? ボーヤ匂いがわかるの?」
「ていうか、その匂いを出せる人……だよなあ……なんでそう誰も彼もサービスするんだか……」
 海よりも深いため息をつくアルに、その場にいた誰もが首をかしげた時だった。

「メシだぞ――」
「お、……ってえええ、お前が作ったのか!?」
 驚愕の声を上げるドルチェットに、は軽く睨んで答えた。
「上の連中には喝采を浴びたぞ。いらんか? 満漢全席」
「しかもグレードアップしてるし!?」
 アルの突っ込みには笑顔で答える。
「うむ。十人以上いればこその料理だ。いずれアルにも食べてもらいたいな」
「それはもちろんだけど……じゃなくて! なんでそうサービスするのさ」
「アルだって分かってるだろ? こいつらはそんなにやな奴じゃないって。だったら自分から居心地良くしてもいいじゃないか」
「――――もう。あんまり八歩美人だと兄さんも少佐もうかうかしてられなくなるじゃないか」
「はっは。そこでエドとアレックスを出すアル君には子猫を触れない距離においてあげよう」
「鬼――――!! ていうか何その仕打ち!? 本当に猫いるし!」
 近所にいる仔らしいぞ、と肩に子猫を乗せて楽しげに答えるはアルの兜を外して言う。
「えーと。マーテルだっけ?」
「そうだけど。あんたが魔術師?」
「アルは逃がさないから。ご飯食べてきなよ」
「あんたがそれを言うわけ……?」
「グリードと約束した。それじゃ駄目か?」

 一拍置いて、マーテルはアルの中から出て肩を鳴らした。兜を付け直すに、猫で遊び始めるアルを見て。

「あんたって見た目と全然違うね」
「制約や道徳が無ければ、お前さんたちと世界は近かっただろうな。魔術はもともとそう云う属性だ」
「ふうん。ご飯ありがと、後よろしくね」
「了解」

 そして子猫とアルとだけになって。子猫に煙が行かないように魔術で風を調整しながら煙草に火を点ける。

、知りたいことって、何?」
「秘密」
「分かったの、知りたいこと」
「ああ、大体は掴んだ」
「具合悪くなってないよね」
「ああ。そこら辺は問題ない」
「…………ねえ、何でそんなに感じが違うの? 殻だけ強くなって、中身は全然変わってないって、変」
「やっぱりわかるかあ……」
「魂だけだもん、ボク」
「なんかなあ、どうも世界そのものに喚ばれたっぽい。それが分かってからこの調子なんだ」
「兄さんも不思議がってた。離れてたときに何かあったんじゃないかって」
「あいつの直感スキルは空恐ろしい。最初に突っ込まれた」
「喚ばれたっぽい、てことは、完全には分かってないんだ」
「何をさせたいのか、それがすかーんと抜けてるんだ。まあそのうち分かるだろ」
「兄さんには言ってないんだよね、このこと」
「不確定だからなあ……アルみたいに細かく分かってないし」
「でも言っておいたほうがいいよ。不確定でも。自分だけ知らないなんて、きっと怒るし、悲しむもん」
「う――……だめ?」
「だめ」
「分かった。取引が終ったら言うよ」






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