セントラルシティの市街地の居住区の通りに面した、割と大きな家がシェスカ・テイローズの自宅で、ロス、ブロッシュとともにエドとアルは玄関に設置された獅子がデザインされた呼子を叩いた。
「あれ――?」
「留守ですかね?」
 しつこいぐらいに呼子を叩いていたブロッシュが手を休めて言うが、エドは茜が差し入って来た空と、二階の窓を見上げてつぶやいた。
「明かりがついてるから、いると思うけど」
 周囲の家に聞き込みをしてきたロスが声をかけてきた。
「ここ数日、この家から人が出てくるのを見てはいないそうです」
 四人で顔を見合わせ、エドは玄関のドアを開けた。
「失礼しまーす……」
 思ったより暗かった室内に陽が入り――――
「うわっ、なんだこの本の山!!」
「本当に人が住んでるんですかここ!?」

 うず高く積み上げられた本。本。本。
 天井に届きそうなほど積み上げられ、人一人通るのがやっとの通路らしき隙間以外は全て本。
 人が住んでいるというよりは――本が住んでいた。


「シェスカさーん! いらっしゃいませんかー?」
「おーい!」
 ロスとブロッシュの呼びかけに応える者は無く、アルは嘆息して本の山を眺めた。
「とても人が住んでる環境には思えないけど……」

(……けて――)

「?」
 かすかに何か、聞こえて足を止める。

(だれか――――たすけて――――)

 音は崩れて重なり合った――――本の隙間から、女性のかすかな声が。した。

「に――兄さん人っ!! 人が埋まってる!!」
「なに――!?」
 兄を呼びながらアルは手当たり次第に本をどかし、エド、ロス、ブロッシュも慌てて後に続く。

「掘れ掘れ!!」

 …………数分後、救出された女性は意外に元気な声で礼を言った。

「あああああすみませんすみません!! うっかり本の山を崩してしまって……このまま死ぬかと思いました、ありがとうございます〜〜〜〜!!」

「…………どーいたしまして」


 とりあえず救出時に散乱した本を片付けてから、名前を聞くことにした。

「あなたが……シェスカ・テイローズさん? 国立中央図書館の第一分館で勤務されていた?」
 ブロッシュが職務質問を始めると、シェスカは笑顔で応えた。
「はい。私がシェスカです。私、本が大好きなもので、分館に就職が決まった時はすごく嬉しかったんですが……でも、本が好きすぎてその…………」
 徐々に顔が曇り、ロスが続きを促す。
「その?」
「仕事中だという事を忘れて、本ばかり読んでいたものでクビになってしまいまして」
「うわぁ……」
 アルの言葉に一気に暗くなったシェスカは、チェストに飾ってある写真を眺めて続ける。
「病気の母を、もっといい病院に入れてあげたいから、働かなくちゃならないんですけど……」
 手で顔を覆い、さめざめと泣き始めてしまう。
「ああ〜〜、本当に私ってば本を読む以外は何をやっても鈍くさくてどこに行っても仕事もらえなくて……そうよ、ダメ人間だわ社会のクズなのよう…………」
(大丈夫かよこのねーちゃん……)
 一縷の、いや駄目で元々の精神でエドはたずねた。
「あ――……ちょっと訊きたいんだけどさ、ティム・マルコー名義の研究書に心当たりあるかな」
 登録されたキーワーを呟き、海馬を辿る事、三秒。
「ああ! はい、覚えてます。活版印刷ばかりの書物の中で、めずらしく手書きで、しかも、ジャンル外の書架に乱暴に突っ込んであったのでよく覚えてます」
「……本当に分館にあったんだ……」
 回答の素早さに、詳細を語る紛れも無い証言にエドはつぶやき、
「……て事はやっぱり丸焼けかよ……」
 覆らぬ現実に弟とともに脱力すると、おぼつかない足取りで踵を返し弱々しく言った。
「ふりだしに戻る、だ……」
「どうもおじゃましました……」
 兄弟の落胆ぶりに、シェスカは恐る恐る訊く。
「あ……あの、その研究書を読みたかったんですか?」
「そうだけど、今となっては知る術も無しだ……」
 すだれと人魂を背負い込むエドに、シェスカは続けた。
「私、中身全部覚えてますけど」

「――――は?」
 突然振り向く兄弟の異口同音に、いえ、だからとシェスカは言い直す。

「一度読んだ本の内容は全部覚えてます。一字一句まちがえず」

 暗雲を祓う一条の光が兄弟には見えた。

「時間かかりますけど複写しましょうか?」
 諸手を挙げて兄弟は歓喜し、兄は感涙して叫んだ。
「ありがとう本の虫!!」
「虫ですか……」
 矜持には出来ない表現に苦笑するが、感激したエドが手を取り握り締め、読めないと思っていた本が読めると分かったときの喜びはシェスカは大いに共感できたため、一肌脱ぐことにした。


 複写できたら連絡をもらえることになり、大はしゃぎの兄弟は再びと合流するため国立中央図書館へと戻った。







 今年一番の早摘みの茶葉は、一杯目は何も入れずに、紅茶の香りとうまみを愉しみ、二杯目は砂糖を加え、三杯目から充分に蒸し、ミルクたっぷりで。
 アームストロング家の初代の武勇伝から始まり、政略結婚に反対した時期当主の愛の逃避行、マーシャルアーツの基礎理論構築の研究に一生を捧げた当主、現在のアームストロング家のお家芸の錬金術の始まりとなった当主の日課、政財界での華々しい活躍、etc.etc.
 アームストロング家の保証を得た後の、極上のティータイムの会話は全てフィリップの自慢話で終わった。
 軍人であるアレックスが仕事を放棄して、と常に行動できる筈も無いので、エルリック兄弟と共に行動することによって記憶が呼び起こされる可能性が高いと説明し、の行動を阻止しないよう釘を刺すことは忘れずに、アレックスとは夕食の誘いを辞して超特急で軍部の中央住民統括課に向かった。
 奥方と妹君との対面はの住民登録(仮)と身分証明書(仮)発行のため翌日に持ち越された。

「……良かったのか? あんなに忙しなくして」
 猫をすっかり脱いだはアレックスに問う。二人を乗せた車は本宅からすでに二ブロック離れた道を走っているので、ポーチに忍ばせておいた煙草を点けても咎める者はアレックスの視線だけだった。
「中央図書館の閉館時刻は午後五時。今はもう五時半だ。エルリック兄弟は追い出されている可能性が高い」
「ありゃ。そらやばい」
「仕方ない。先に二人を回収してから統括課に向かおう」
「だな」
「しかし、見事な化けっぷりだった」
「はっは、依頼人にゃ貴族もいるんでね、マナーは必須項目さ」
 蓮っ葉な喫い方で答えられると、とても同一人物には見えなかった。
「成程。しかし良く父上の長い自慢話を聞いていたようだが、それも身につけた技術かな?」
「いや、歴史学は好きな性質でさ、講義と思えばなかなかだぞ」
 新しいアプローチに、アレックスは軽く唸る。
「ううむ、勉学にしては内容が偏っているが……善処しよう」
「あ、そうだ」
 思い出したはアレックスを見あげる。
「あー、その、ファーストネームで呼んでもいいかな? 皆アームストロングだと混乱してしまう」
「…………喜んで。他人行儀ではなく、もっと早くにそういってもらえるとより嬉しかったがな」
「……なんか、結構」
「なんだ?」
「…………なんでもない。よろしくな、アレックス」
「こちらこそ」


 夕闇が濃くなったためライトを点すと、は光源の仕組みをアレックスに根掘り葉掘り訊き、中央図書館に到着するまで、素材の構成まで話す羽目になった――――


「遅いな」
「そうだね」

「遅いですね」
「そうね」

 待ちくたびれた四人+運転手の前に、一台の車が現れ、すまん、遅くなったといいながらが降りてきた。

「ったく、おせー……」
「待って……た……」

 中央図書館の正面に配置された照明と街灯がを照らし、その変わりように兄弟は言葉を失った。
「……えーと、、よね?」
 開いた口がふさがらないブロッシュの隣で、ロスは声をかける。
「――あ、うん。アームストロング家のご当主にご挨拶する前に、着替えたんだ」
 そのまま社交界デビューできそうな出で立ちではにかんで答え、
「とりあえず出るぞ。住民統括課って所に行くから、ついて来てだって」
 踵を返してまた車に乗ってしまった。

 ――――声の出ない四人は動くことが出来ず、先を行く車から身を乗り出してが叫ぶ。

「何してる! 早く来い!!」

 予想以上の大音声に四人は慌てふためきつつ後を追う。



 
「これはこれは、フィリップ様より言付かっておりました。そちらのご婦人の手続きでございますね」
 二時間前に終了していた業務を、の手続きのためだけに再開する中央住民統括課の課長は、揉み手でアームストロングを――やエドたちも――出迎えた。再び猫を被ったは静々とアームストロングの後に続き、課長のオフィスにあるソファに優雅に座り、書類を取りに行った課長がドアを閉めると、エドは嘆息してに言った。

「しっかし、良く化けたなお前」
「ほんと、すごい綺麗になったね」
「ふふ……」
 立てた人差し指を口元に添え、この場での言及を禁じて微笑む。化粧で印象が全然違い、子供っぽいしぐさがとんでもなく似合っていて、兄弟が見惚れる様子をソファに同席せずに起立していたロスはほほえましく思っていたが――――隣のブロッシュも鼻の下を伸ばしていたので、とりあえず踵で彼の左足を踏んづけた。
「ってぇ! なにするんすか先輩!」
「たるんでないでしゃきっとしなさい、しゃきっと!」
「…………すいません」
 ばつが悪そうに頭を下げると、課長が戻ってきた。
「いやあ、お待たせしました。こちらが管理用の書類で、こちらが携帯していただく証明証です」
 リビングテーブルに二枚の用紙を広げ、傍らに万年筆を置く。
「管理用にまずご婦人のお名前とお年、後見人の欄は少佐様、監督者の欄はええと」
 言いよどむ課長に、エドは身を乗り出して言った。
「オレが書きます」
「ええと」
「この方は『鋼』の錬金術師、エドワード・エルリック氏です」
 ロスの言葉に、課長は破顔して大仰に頷いた。
「あなたが……いや、ご高名は聞き及んでおります」
「……どうも」
 あからさまなゴマすりにぶっきらぼうに応え、、アレックスの記入を待ってからエドも監督者の欄に自分の名を書き記した。年齢がこちらの世界で成人とされる十八になっていたので手が一瞬止まってしまったが、見なかった事にした。


 名家の依頼を受けたことで何らかの優遇を約束されたのだろう、課長は始終腰を低くしたまま対応し、手続きは書類記入だけで終わってしまった。アレックスは司令部に行ってしまい、は監督者たるエドたちの車に荷物を移して滞在予定のホテルに向かった。
 その道すがら、は小さくつぶやき、自らの失念を呪った。
「どうしたの?」
 アルの問いに、苦々しくは答える。
「――クレンジング、買ってない……」
「クレンジング?」
「化粧は普通の石鹸じゃ落ちない素材で出来てるんだ、専用の石鹸で無いと駄目」
「へー、面倒なんだな」
「ここいらで開いてる店、あるかな……」
 日もすっかり暮れ、明かりがともる店舗は飲食店ばかりで、薬局らしい店は見当たらなかった。
「それならホテルにあるわよ、質は期待できないけど」
 ロスの言葉に胸をなでおろす。
「そうなんですか、……とりあえず落ちるならいいや」
「クリーニングもサービスであるから、そのドレスも預かってもらえるわよ」
「よかった。トランクに入らないから悩んでたんです」
 嬉々とするに、ブロッシュは聞いた。
「君はこれからどうするの?」
「……エドとアルと一緒に行動する予定だけど、明日はアームストロング家の方々とご挨拶を兼ねた会食があるので、別行動になります」
「…………なんか、すごいね」
 面々との会合によるの立場への影響力に、ブロッシュは感嘆の声を洩らした。
「アレックス……アームストロング少佐は懐の広い方で、感謝してます」
 の言葉に、ロスは眉をひそめて言った。
「あなたは何者なの? 少佐の恋人?」
 一瞬の沈黙。次いで爆笑。
「わ……笑い事じゃないわよ!?」
 についでエドもアルも笑い転げるので、ロスは言葉を変えた。
「いきなり現れて記憶喪失だか知らないけど、エドワードさんたちと一緒に行動するっていうし、少佐の後ろ盾を得るし、護衛するこっちは混乱してるのよ、ちょっとは説明があってもいいんじゃない?」
「まあ、言い分はもっともですね」
 ドレスにそぐわないことは知っていたが、腕組みしては頷く。
「じゃあ話して」
「ホテルに着いたら説明しますよ」
 苦笑するに、ロスはきっぱりと言った。
「信用できないわ。あなたがもし他国の諜報部員だったら、関連施設の情報をわざわざ教えたくないもの」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、はそんなんじゃない」
「そうですよ」
「お二方は黙っててくれませんか」
 ロスの厳しい言葉に、エドもアルもそれ以上の発言が出来なくなった。
「答えなさい」
「ふ――――」
「なにがおかしいの?」
 剣呑な雰囲気にがらりと変え、口端を上げては言った。
「本当に私が諜報部員なら、アレックスなりアームストロング家のご当主なりが感づいた途端に拘束されているとは考えられないか? まあ彼は確かに実直な人柄ではあるが、馬鹿じゃない。何も知らない、分からないで通せるのは幼子までだ――――それとも、私を信じたアレックスを信用できない?」
「馴れ馴れしく呼ばないで」
「本人の同意を得ているよ」
 銃を構えそうな迫力でロスはを睨みつけ、は涼しげに、どこか楽しげに受け止める。狭い車内で男性陣はただ、固唾を呑んで見守るしかなかった。
「…………確認するけど、どこにも属していないのね?」
「我が名に誓って」
 ロスが見たことの無い手つきで印を切る
「……いいわ。一旦は信じる。でも、そうでないときは覚悟なさい」
「甘受しよう」

「……こ、怖いよ兄さん」
「おおオレだって怖ぇよ」
「マジこわっ」

 震える男達と、冷戦状態の女たちを乗せた車はホテルに到着して、急遽追加された一室は、エドとアルの部屋の隣に用意された。
 備え付けの安い茶葉をどうにか美味しく淹れて、紅茶を振舞ったは、入り口のそばで起立し、湯気の立つカップを手にしてくれないロスに声をかけた。
「冷めると味が落ちるんだが」
「……まだそこまで信じてない――ブロッシュ! なにフツーにくつろいでるの!」
「え、うまいっすよ」
 隣の呑気なブロッシュの答えと、簡易キッチンや浴室へ続くドアにもたれるの意地悪な笑み。
「ここで薬物を仕込んでも意味無いだろう」
「なっ…………!」
 今度こそ腰のホルスターに手をかけてロスは身構え、両手を前に出しては謝った。
「嘘ウソ。あんまりガチガチだからさ、柔軟になっていただけたければ、とな」
「いいかげんにして!」
「先輩!」
 銃身を見せ、安全装置を解除する。
「まあ撃ってもいいけどね、――当たらないし」
 あからさまな挑発に、ロスは歯軋りする。エドもアルも、ブロッシュもの言葉に愕然とした。
「結界を張っているから、騒ぎになることも無い」
「結……界?」
!」
 ロスのいらえとアルの制止に、は楽しげに言った。
「生真面目な人柄だ。貴女に護衛の任を命令したのはアレックスだろう?」
「そうよ、――でも結界って何? 錬金術?」
「錬金術ではない。ここより異なる世界における魔術という技術の一つ。任意の空間において視聴覚への作用を施す、簡単に言えば目眩ましだ」
、やめろって!」
「そうだよ、悪い人じゃないとは思うけど、軍人だよ」
 兄弟の言葉に苦笑を浮かべて言い返す。
「エドもアレックスも軍人だぞ。そのアレックスが見込んだ人だ、理解してもらったほうが理にかなっている」
「でも……」
 言葉に詰まるアルを無視してロスは声を荒げる。
「結界とか、魔術って何なのよ?」
「御伽噺の魔法使いはご存知だろう、それに似た術の事さ」
「ふざけないで、ちゃんと答えなさい!」
「ふざけちゃいない。例えば――『雪花よ』」
 この世界には遣う者の無い言葉を紡ぐ。すると、気温が一瞬にして下がり、吐いた息が真っ白になり、空間に氷の結晶が出現する。
「どうかな、錬金術では基本的に対象に接触していないと実行できないらしいし、錬成反応による発光現象もない。こんな芸当は出来ないだろう」
 本当はもっとえげつない術なんだがね、と続けたに、ロスは鼻白み言い返す。
「そうかしら、錬金術にも色々あると聞いているわ」
「――そうなのか?」
 ロスの言葉にはエドとアルに聞く。
「あ――――まあ、似たような状況はオレにもできるぜ」
「うん……空気中の水分を調整することは出来るよ」
「そっか……じゃ、『ワイズ、出て来てくれないか?』」
 依石に語りかけ、水霊ディズワイズを喚んだ。の隣の、何も無い空中から水が溢れ出し、の背よりもやや低い程度の人型のような形状になり、水が絶え間なく流れる表面の、丁度顔に当たる部分に、目鼻のような窪みが生まれた。
「空気中の水分は未だ結晶にしているが、また新たに大量の水を発生させ、しかも人型にするという錬金術はあるか?」
『どうもー。はじめまして。僕が水の精霊でーす』
 ワイズは手のような部位をひらひらさせ、四人に声をかけた。彼らには理解できない言語が直接脳裏に届き、どうにか声を上げずにすんだ兄弟とは別に、ロスとブロッシュは声を上げる。
「な、なんなのこの声!?」
「え、先輩もですか? じゃあ幻聴じゃないんだ……!」
 混乱する二人を見て、ワイズはに言った。
『あ、やっぱり分からないんだ』
『精霊言語自体、この世界で確立していた可能性が低いなぁ』
『そんなこと無いよ? ただ本当に昔のことだから、忘れちゃってるみたいだね』
『成程』
 脳裏に響く音と、理解できない言葉をが発するタイミングは紛れも無く会話として成立しているそれで。
「な……なんなのそれ!?」
「なにって、水の精霊」
「お――お化け?」
 ブロッシュが震える指でワイズの足元――床を指し示す。フローリングの床は水の塊を置きながら、どこにも水によるしみができていなかった。
「水の元素精霊! 火風地水の元素は知っているだろう、その源たる存在だ。私が魔術で召喚した」
 お化けといわれて苛ついたが声を荒げると、エドが助け舟を出してきた。
のは錬金術じゃなくて、魔術って言う、異世界のものだ。リゼンブールで……オレの目の前に突然錬成陣が現れて、消えたとき、が居た」
「異世界の……」
「信じてもらうのは難しいけど、はこの世界に住む人じゃなくて、ボク達とは全く違うところから突然やってきたんだ。そこは、機械鎧も、電気も無い世界なんだって」
「電気が無い……?」
 兄弟の説明で、ようやく落ち着きを見せた二人に、は言った。
「与り知らぬうち、気がついたらこの世界に居て、元の世界に戻るための手がかりを探すために同行した、ということだ」
「そ……そんなことって」
「在り得ない? ……なんて事はありえない。私とて戻れるならとっくに戻っている。だが宮使国なんて国家はこの世界には無いだろう?」
「無いわよそんな国」
 吐き棄てるようにロスが答え、は苦笑する。
「だろう?」
「あのなあ、を引き込んだのはオレとおっさん――少佐なんだよ。軍にばれたら少尉みてーに拘束しようって連中が絶対居るからって」
「当たり前です、こんな危険人物、ほうっておけません……!」
「…………だからやめておきなって言ったのに……」
 アルの咎めに、頭をかいてはぼやいた。
「しかし……ああ、直接理解していただくことにしよう」
「え……」
『ステア』
 風霊を喚び、ロスとブロッシュの身体を呼吸できる程度に風で拘束させた。
「……なっ……なにこれ……!!」
「動けな……」
 立ちつくす二人の動きを封じ、二人に歩み寄るをエドとアルは見た。
「――私の記憶を視せよう。ここではない時間と空間に生きていることを、感じるがいい」
 両腕を上げ、二人の額に指を置く。

 キン、と張り詰めた弦が鳴ったような音がして、二人の額に触れた指先に淡いオレンジの光が点った。



 海辺の町はいつも穏やかで海/宮使国/ライやとグンとローヴェとの楽しい毎日家族/だけど生を脅かす脅威から守るために妖魔/同じように生きている人のために自分のスティアを連れて力を試すためにファルザスティア/シアと一緒に傭兵で稼いで仕事/たまに学校で講義をしたりギルドに行ってフォビドやフィーナと語らい魔術ギルド/学校/神殿に篭りきりのギオ爺に会いに行ったり風霊神殿/ギオじいちゃん/お気に入りの紅茶と煙草と多分生きていく上で全てがそこにあって。

 でも。そこにわたしはいない。――――――――ここにはシアがいない。


 指を触れていた時間は僅かなもので、オレンジの光はすぐに消え、は指を離し、風の拘束を解いた。
「これだけの情報を仔細にイメージして、他者に伝えられる能力がある者の存在がもしいたら、とっくに国家が動いていたはずだ。……でもな、視せた世界は私の記憶で、紛れも無い現実の世界なんだ」
 頭を下げては言った。
「頼む、協力してくれなくてもいい。信じて欲しい……!」
 拘束は解かれ、自由になってはいたが、ロスもブロッシュも動けなかった。何時まで経っても頭を上げないに、エドが声をかけるより早く、ロスが口を開いた。
「…………解ったわよ、信じてあげる」
「ほんとか?」
 顔を上げて問うに、嘆息してロスは言う。
「ええ、あれだけリアルに、しかも一度にいろんな人や……色んなものをみせられちゃ、嘘には思えないもの、そうでしょ、ブロッシュ」
「あ、うん。あれは君が見たものなのかな?」
「ああ」
「そっかー、だから視点が低いんだ」
 的外れな言葉に、笑みがこぼれる。
「面白い着眼点だな」
「え、あれって嘘なの?」
「本当だよ。今までの私の記憶の一部」
「確かにこの世界には無いものばっかりだったね」
「かけがえのない家族と、仲間。だから、なんとしてでも戻りたい……よね?」
「うん」
 決意を秘めるの眼差しに、ロスは微笑を浮かべて応えた。
「少佐があなたに肩入れする理由が、なんとなくわかったわ」
「……?」
「とりあえず、あれ、しまってくれない?」

 あれ、と指をさされたワイズはちょっとショックを受けて水の色を深くした。


 いじけたワイズを宥めて依石に戻し、氷の結晶を消して室温も戻してから、紅茶を淹れ直した。ロスとブロッシュにもソファに座ってもらった。

「大急ぎで戻りたいとは思わないが、十年計画にするつもりも無い。さしあたって――エドとアルの旅に便乗する形で同行し、最初の目的はラッシュバレーよりも西の火山帯、ベスビオール」
 ドレスを脱いでいないため姿勢は崩してはいないが、咥え煙草で話す姿は実にそぐわなかった。
「その……火山にどんな用があるの?」
 本性を垣間見て、眉をひそめたロスは問う。
「私の魔術は精霊の力を借りるが、この世界に来てから彼らとの繋がりが弱くなってしまってね、弱くなったままは嫌だし、魔術の精度も下がってしまう。だから契約――繋がりを元に戻す事が先決だ。精霊の活動がもっとも盛んな場所で再契約するのがいいから、炎は火山になる」
「…………はあ」
 生返事の二人に、エドが付け加えた。
「元の世界に戻るために必要ってこと」
「契約が済めば戻れるわけでもないがね」
 盛大に煙を吐き出しているが、不思議と煙たくは無い状況に首をかしげるブロッシュに、は微笑を浮かべて言った。
「煙も魔術で排煙してるから」
「……便利だね」
「さて、私の予定は話したけど、エド達はどうだったんだ?」
「ああ、実は――――」


「……へえ、突出した能力を持つ人だね、シェスカって女性は」
「複写が終わるまでは時間がかかるだろうから、明日は空間転移の情報が無いか探しに図書館に行ってくる」
「たくさんの本があるから、きっと手がかりが見つかると思うんだ」
「…………うん、悪いな」
「――とう」
 軽く感謝を口にしたの頭に、エドは手刀を軽く落とした。
「いて。なにすんだ」
「いちいち謝るなっつーの。嫌ならやってねえ」
「兄さんのはやりすぎだけど、ボクもそうだよ」
「わかった。じゃあ頼む」
 煙草を持っていなければその笑顔に魅了されるところで、エドは複雑な気分になった。


「それじゃ私たちは別室で待機しています。何かあったら声をかけてください」
 和んだ空気を味わったロスは、ブロッシュを引き連れて押さえておいた向かいの部屋に辞した。
 ドアが閉まってから、は大きく伸びをして唸る。
「あ――――やれやれ、せわしない一日だった」
「オレは寿命が縮んだ」
「ボクも……」
 苦々しくエドとアルがぼやき、は思わず訊いた。
「なんで?」
「あんだけ盛大に挑発して、信用されなかったらどうするつもりだったんだよ!」
「暗示をかけてた」
「……はぁ?」
「私の存在を不審に思わない作用を精神に施していた。言っただろ? 魔術は精神、魂魄を扱うことに長けているって。でも――やっぱりちゃんと言えば信じてもらえると思ったから」
 心を操ることが出来ると暗に言うの表情はどこか翳りを帯びて。追求をしづらくなったエドは伸びをして言う。
「なんか腹減ったなぁ、ルームサービス取るか」
「あ、いいね、メニューはどこかな」
 セサミオープンサンドのセットを注文して、ロスとブロッシュにも届けてもらうよう手配する。
「そろそろ結界を解こうかな」
「あれ、まだだったの?」
「聞かれちゃまずい会話がいつ出るか分からなかったからな――はい解いたよ」
 言ってはドレスの裾をつまみ、忘れていた事を思い出した。
「あ、クレンジング買ってこなきゃ」
 立ち上がり部屋を出ようとする。
「えー、もうその格好やめちゃうの?」
「……このまま居るのは結構面倒なんだけど」
「もうちょっとそうしててよ」
「なんで」
「綺麗だから」
 アルのストレートな言葉にその将来を予感させられつつも、頬を染めては頷く。
「……わかった」
 ボーイが来たときに頼めばいいか、とつぶやいて置いたままのトランクと、ドレスに着替える前の服や靴が入っている紙袋の中身を確認する。すると、見慣れぬ小さな箱が入っていたので開けてみると――――
「化粧品一式……あった」
「え」
「何時買ったんだよ」
「つうかドレス買った時についてきたらしい…………サービスいいなぁ」
「じゃあクレンジングいらない?」
「うん、小さいのがあるから、しばらくは」
 クレンジング以外にも化粧水、乳液、ナイトクリームが入っていて、携帯用のサイズは普段は化粧などしないにとっては充分な量で。期待できないクレンジングを買わずにすんだ。



 部屋の外に出ると廊下は他の部屋からの、階下からの雑音がかすかに伝わって来るが、相当騒がしかったはずのエドたちのいる部屋からはとりたてて目立った声や音も無く、騒ぎを聞きつけてホテルマンが廊下で待ち構えていることも無かった。

「…………確かに目眩ましね」
「え、どうかしたんすか先輩」
「……なんでもない。明日からの行動を考えましょう」
「了解っす」


 頼んでいないルームサービスはエドからの注文だと聞かされたが、の差し金だと理解した。



 トマトと蒸し鶏のセサミオープンサンドを平らげ、食後の一服を楽しんではいたが――――
「なあ、まだこの格好してなきゃ駄目か?」
 食事でグロスは綺麗に取れるしいい加減化粧も落ちてくるし、ドレスを着たままではくつろぐことも出来ないし。
「えー、まだいいでしょ?」
 延長を希望する声がアルから上がり、エドはそんなアルに突っ込んだ。
「こだわるなー、お前」
「だって、すごい綺麗じゃん、兄さんだってこういうの好きでしょ」
「――っ」
「おお、素直な反応」
「っせーな」
 頬を染めたエドに苦笑し、足を普段通りに組み直そうとして足が上がらないことに気付く。
「賞賛されるのは非常に嬉しいんだけどね、――さすがに疲れたから、本当に着替えたいんだわ」
「…………あ、ごめん」
「明日もこういう格好するからさ、それで勘弁して」
「え? 同じ服で行かないのか?」
「…………経済的にはそうしたいが……多分無理だな。大抵がその日に合わせたドレスに着替えるから」
「うぇ、金かかってしょうがねぇな」
「――明日が終わればそう何度もお会いすることは無いだろう。さて、お風呂お風呂」
 煙草を消し、カップを流しに置いてはトランクと紙袋を手にして続き間のドアを開けた。
「っておいこら! てめぇの部屋は隣だ! 風呂もそっちで入れよ!」
 先程よりも更に顔を赤くしたエドが駆け寄りわめく。
「おや、浴室がついている部屋なのか」
「あったりまえだろ! ていうか開けるドア違う!」
 エドの言葉を無視しては浴室へ続く部屋に入り、ドアの向こうに身体を半分入れたまま満面の笑みで言う。
「やだ」
「な――――」
 言葉を失うエドにはささやいた。
「鍵はついてないから」
「――って。なななにいってんだっ!!」
「ふふふーん。世の女性はどうだか知らんが、拘束具に等しいドレスを脱げなかったお返しだ」

 せいぜい悩め、青少年――――

 首まで真っ赤になり動けないエドと捨て台詞を残し、静かにドアが閉まる。
 無言になってしまうと音の伝わりがやたらと良くなり、衣擦れが、しばらく経つと水音がはっきりとエドの耳に入ってくる。痛々しいほどに赤くなり、動けないエドにアルは言った。
「…………兄さん、無理しないで散歩でも行こうよ」
「…………ぜってー行かねえ!」

 色々飛び込んでくる音や声や事態に――――エドは耐えた。









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