ヒューズ中佐が面会を希望しているとフィリップらに話したアレックスは、中佐に連絡を入れた後、を伴ってホテル・インペリアルのスウィート・ルームに向かった。
 キャスリンが予想以上にを気に入り、ディナーを辞したことの代償に明日一日付き合うことで手を打ってきたのだが――――アームストロング家で過ごした時間や家族の態度は非常に危険な状態であり、先に呼んでおいた軍お抱えの車に乗ってから、すぐには普段の口調で言った。
「ものすごく誤解を与える行動になってるぞ」
「…………やはり、気付いていたか」
「当たり前だ! これじゃまるで彼氏の家に初めてお邪魔した彼女と変わらん。早々に説明しないと気がつけば披露宴はいつなの? って言ってくるぞ……?」
「むぅ。最初はあくまでも身元保証人だけの予定だったのだが」
「家族に会わせるって意味が真っ直ぐに受け止められたな。キャスリンなんか私をお義姉様扱いだぞ。可愛いけどそれは困る。とにかく、何とか頑張ってくれ」
「…………我輩はあまり困らんが」
「――――っ!?」
 アレックスの言葉に、手にした火の点いていない煙草が膝に落ちてしまった。
「といったらどうなるかと思ったが……」
「――ったく。意地が悪いことで」
 苦々しく言い返し、煙草を拾い上げて一服を始める。
「色々驚かされ続けたままでは、我輩も面白くない」
「変なところで意趣返しするな。趣味が悪い」
 それきりそっぽを向いてしまうの幼い反応に、アレックスは笑みを洩らした。煙草一本分だけ拗ねていただったが、火を消しながらアレックスにたずねた。
「これから会いにいく人について教えてくれないかな」
「うむ。マース・ヒューズ中佐という方だ。軍法会議所で勤務されているのだが、何かと世話になっている」
「…………で、なんで私のことを知った?」
「報告書にも記載してはいるが……先日のハッシュでの姿を見られていて、噂を聞きつけてこられた」
「――――なるほど」

 昼間の軍人監視の一件もそれなら納得できる。

「信頼できる人物だ。いずれ機を見て紹介しようとは思っていたが、状況を説明し、協力していただけるよう努めるつもりだ」
「錬金術師なのか?」
「いや。そうではないが、機知智栄に富み、豊富な人脈がある方でな。ナイフの投擲術には目をみはるものがある」
「ふむ」

 アレックスが乗り気なら、マリアのような事にはならないだろうとは思い、窓の外を見る。高層建築が多いが道の幅が広いため、午後の日差しが街を照らし――――
 あるビルの屋上に、闇を纏う存在が居た。

 それと視線があう筈が無い。ただ遠巻きに眺め、すぐに視界から消えた。










 ひとつところに落ち着けないエドがシェスカの複写が仕上がるまでの間、のんびりとしているはずも無く――と出会う原因となった、空間転移に関する文書を探して国立中央図書館に居た。
 錬金術の軍事転用が多いこの国では、軍事に於いて高速移動が可能になれば戦局で常に優位を保てるため、割と実用化への研究は多く行われていた。だが任意の二点の空間を繋ぎ、物質を移動させる技術は人体錬成と同じぐらい高度で、錬金術そのものが有視界およびショートレンジにおいて最も効果を発揮する技術のため、ロングレンジへの応用には限度があり、めぼしい情報は今のところ見当たらなかった。
 精霊に関する書籍もあたってはみたが、神話や伝承に多少の記述が存在するだけだった。
 たいした暗号化も無く、研究書の書架での空間転移に関する本をあらかた読み終えてしまったので、文芸書の書架にエドは移動していた。目に付いたタイトルの本を手にして流し読むが、役立ちそうな情報は見つからず、一息入れようと考え始めたとき、何も考えずに手にした一冊の本を読んで、その内容に目が留まった。


 【異なる空間はどこにでもある。ただ接点があまりにも小さく稀であるため、見間違えたり、幻と誤解してしまうことが多いため、普段はまず気付くことはないが――――ここに、興味深い事例がある。ノースシティ近郊に住む錬金術師が、ウェストシティのオペラハウスへと強制的に空間を転移させられたというのだ。状況としては突然錬成陣が足元に展開し、逃れることも出来ずにいたら、錬成反応の煙が晴れると見知らぬ館の中に立っていたという。人に尋ねてようやく現在地を知り、戻ってみると失踪として扱われていたので、錬成陣の発生場所である自宅の居間で検証を行うが――錬成陣も錬成反応による物質の変化も痕跡はどこにも無かったようだ。】


(――――似て、る)

 ページに指を挟んだまま表紙を見る。『奇妙な錬成』というタイトルが記されていた。出版元はセントラルに本社を置く出版社で、著者の名前はギルバート・ストレーベンとあり、エドは手帳に出版社の住所、連絡先と著者の名前を書きとめてからアルにその本を見せた。
「……これって、似てる気がするんだけど」
「だろ、キーワードは突然現れた錬成陣でいいと思う。解釈を広げれば神隠しとかでも合うとは思うけど、似たような話を探そうぜ。運がよけりゃ本人に会えるし」
「うん。わかった」

 目星が付くと作業効率が格段に上がり、予想以上に似たような話が多いことに驚かされた。年代こそばらばらの状態だが、収集した話をまとめると……年間で一人か二人、姿を消したままか見知らぬ地へ転移している計算になった。そして、理由なき失踪に最も多い共通点が、突然、光り輝く錬成陣が出現する。表現こそ多種多様だったが、同意義と捉えても違和感は無かった。



 閉館までにかき集めた情報はノートのほとんどを埋めるほどになったが、情報の真偽を確認出来ていないため、ホテルに戻ってから整理することにした。











 ――――戦争を良く行う国家は基本的に景気がいい。火器開発や兵器の特需産業の発達で重工業も潤い、武器開発の費用やそれに伴う諸費用に銀行は気前良く貸し付け、従業員の給料も上がり、青天井の需要に供給も戦争またはそれに準じた行為で充分に応える。また、戦時下にあっても無くても、自衛のためでも侵略のためでも軍備増強を行っている国家も同じで。
 軍幹部の御用達であるホテル・インペリアルもまた、軍需景気のさなか竣工されたホテルのため、十二階建ての外観からして石英石を磨き上げ、純白にしたほど豪奢だった。正面口に横付けすると軽やかにドアボーイが歩み寄る。洗練された動作でドアを開けたボーイはの手を取り、強引さを感じさせずに車から降ろし、アレックスに一礼する。
「アームストロング様ですね。お部屋のご用意が出来ております」
「うむ」
「ではご案内いたします」

 ウォールナットの重厚な回転扉を抜けると、淡いベージュの大理石――フィレットロッソ――だけでできた内壁で、正面にヴェネツィアングラスのシャンデリアが目を引く、三階までの吹き抜けのロビーが広がり、右手にクロークとフロントがあった。支配人らしい初老の男が頭を下げるに倣い、手の空いている従業員も頭を垂れた。
 二枚続きのマホガニーの扉が開くと奇妙な箱の中に通され、無言で続いて入るとボーイは10Fと書かれた釦を押して扉を閉め、レバーをおろした。すると床下に振動が走り、ゆるい気圧の変化で箱ごと上昇していることがわかって驚愕を覚えた。アレックスの袖を軽く引くと、彼は思い出したように口を開く。
「そういえば、エレベーターはてこの原理を利用して作っているが、実際に大小のベルトで上下する様子はなかなか面白かった。機会があれば見てみるといいだろう」
「ああ、そういうことでしたか……そうですね、機会があれば」
 上昇が緩やかになると再び振動。レバーを上げて扉を開けたボーイは廊下へと二人を導いた。
 毛の短い絨毯はきめが細かく、足音を立てずに進んでいると、一〇〇一というプレートのあるドアの前でボーイは止まり、軽くノックをした。
「失礼いたします。お連れ様がお見えになられました」

 すぐにドアが開け放たれ、銀縁眼鏡をかけた短髪の男が声をかけてきた。
「お、来たか」
「お待たせいたしました。中佐殿」
「いやいや、景色をつまみに先にやってたから」
「……」

 ボーイは失礼いたします、と一礼し、何も無かったように去っていき、ヒューズはにこやかに二人に言った。
「まあ入った入った」
 中に入るとまず二十畳のリビングとカウンター・バーがあり、大きな窓ガラスからはセントラルの町並みが眼下に広がっていた。見事な眺望には窓に手をやり、感嘆の声を洩らす。
「すごいですね、こんなに大きな町だったなんて」
「あれ、いつこっちに来たんだっけ」
 ドン・ペリを呑気に口にするヒューズ。ルームチャージ料など一切の支払いがアレックス持ちのため、心置きなくボトルを開けていた。
「昨日の夕方に到着したばかりです」
「そっか、――――オレはマース・ヒューズ。ヒューズでいい」
「……です。とお呼びください、ヒューズ」
 微笑を浮かべて会釈したを見、ヒューズはアレックスのわき腹を肘でつつく動作をしていった。
「大ー将ー? やるなぁオイ! このこの!」
「中佐殿…………」
「いやー、どんな娘かなぁって考えてたんだけど、いいじゃんいいじゃん!」
「ですから、彼女とはそのような……」
「照れるなって! おれもグレイシアと初めて会った時――――」
「彼女は錬金術師ではないのです。それどころか、この世界の人間ではありません」
「……………………は?」
 瞬時に固まるヒューズ。は窓際からアレックスの傍に歩み寄り、口を開く。
「一週間ほど前、原因不明の空間転移により――私はこの世界に来ました。最初に出会ったエドワード・エルリックの話によると、光輝く錬成陣が現れ、その時に、ということです」
「――――マジ?」
「はい」
 至極真面目にが答え、ヒューズは改めて疑問を口にする。
「錬金術師じゃ、無い?」
「魔術師です。御伽噺の魔法使いをイメージしていただければ近しいかと」
「ま…………まじゅ、つ??」
 口を動かすがうまく声にならず、驚愕の眼差しでを見る。ドレスのせいもあるが見目麗しきこの女性が、魔術師などといういかがわしいペテン師であると宣言する姿は実にそぐわなくて。
「…………俄かには信じがたいでしょうが、我輩も彼女の術を拝見して確信しております。彼女の技は――錬金術とは異なるものです。彼女自身に意図が無くとも、上層部が錬金術以外の技術の存在を知れば大事になるでしょう」
 アレックスの補足でようやく頭が回り、手にしたグラスの中身を空け、盛大な溜息と共に言葉をつむぐ。
「そっか……。だから、俺を先に引き入れようって腹か」
「中佐殿ならば信じていただけると思い、お話いたしました」
 上体を傾け、アレックスはヒューズを見つめる。この男の凝視に耐えられる稀有な男であるヒューズは肩をすくめてから二人に言った。
「――――で、俺にどうして欲しいんだ?」
「一介の錬金術師であるだけだと周知していただけないでしょうか」
「無害だって?」
「はい」
「それに対するメリットは? 等価交換だろ? ま、俺は錬金術師じゃないけどな」
 意地の悪い笑みを浮かべたヒューズの問いかけに、が答える。
「では、私の魔術をあなたのために役立てましょう。可能な限りご要望にお答えします」
「へえ?」
……!」
「アレックスは黙ってくれないか? ――どうも、なりふり構っていられない状況になってきてるんだ。利用できるものは利用するし、そのための犠牲もこの身であがなえるのなら出し惜しみはしない」
「――――」
 口調を変えたの印象にヒューズの笑みが止まり、アレックスはの口ぶりにただならぬものを感じてさらに言った。
「汽車の中ではそのようなことは言っていなかったではないか?」
「状況が変わった。傷の男以外の脅威がこの国には存在するようだ」

「なんと……」
「あー、だっけ? 何で知ってんだ……って、大将に聞いたか」
「ああ」
「…………で、傷の男以外の勢力が居るって何でだ?」
「昨夜、精霊を使役し……エドたちに危害を加えようとする意志があるものを探索したんだ。すると何かと戦い、傷ついている者が居るということが分かった。そいつはまだ息があって、人の居る所まで流すようにしたから、きっと生き延びただろう。ただ、とちらが傷の男なのか……そこまでの判断は今の私には出来ないが、少なくとも二つ以上の脅威がある。元の世界に還ることは当然だが、傭兵として生きてきたこの身は、誰かを守るために在る。その二つの目的を果たすためにヒューズの助けが必要なんだ」
 明確な意思を全身で表し、語るの姿にヒューズは思わず拍手を送った。
「オーケー。なんとも健気でいい感じだ。そのいじらしさで頑張っちゃおう」
「かたじけない、中佐殿」
「それに、傷の男以外の存在も気になるしよ」
「同感です」
 二人してを見るが、苦笑して彼女は言い返す。
「だから、どんな奴かはまだ分からないって言っただろ」
「いや、その逆。何で分かるんだ? 精霊って何?」
「えーと、精霊……まあ妖精とか元素とか、普通の人には見えないもので、世界はある一定の意志を持って動いているんだが、世界としての在り様の程度を保つために存在するものをそう呼ぶんだ」
「……へー」
「で、魔術師はその精霊の力を借りて世界の流れを知ることも出来るんだが、精霊との繋がりが充分でない今は、素性や容姿までは判断できない」
「つまり、前は出来ていたってことか?」
「特定の人物を探すにはいくつかの条件が必要だし、精度も落ちるが……可能だった」
「――――」
「諜報部が聞いたら発狂しそうな技術だなそりゃ……、大将、やっぱ怖ぇわ」
「我輩も初耳の話です。ただ、むやみに魔術を使うことは避けるように言っておりましたゆえ」
「なあよ、手の内を隠したままってのは無しにしてくれねえ?」
「ああ、そういうつもりは無い。魔術というのは、平たく言えば目に見えないものを扱う。物質化も出来るが、長じているのは情報そのものの取り扱いだ。だから」

<こんな風に意志の伝達を図ることも出来る>
「っ!?」
「む!?」
 突然、頭の中にの声が直接響き、二人の男は身を硬くした。
<心話、と呼ぶ術だ。ある程度までなら長距離での会話も可能になる>
「ど、どうやって話すんだよ……、独り言でもしろってのか?」
<いいや、心の中で直接相手に話すように思えばいい>
<……我輩の声が聞こえるか>
<そうそう、それでいい>
<くわー、マジで洒落にならね>
<できるじゃないか>

 心話を止めて、普通に声に出しては言う。
「……あとは結界かな」
「……今度は何だよ、結界って」
 脱力するヒューズはうめくようににいった。普通に会話することは意識せずに声が出てしまい、心の中だけで相手に話しかける行為は集中力が必要だった。
「目眩ましといえばいいかな。今も既に張っているが、任意の空間を変化させて異常が無いように見せ、さらに完全防音を施すことが出来る」
「密会、暗殺、隠密行動……それもまた使い甲斐があるな」
「魔術師ってのは用心深くてね」
 口端を上げては言い、ソファテーブルに置かれていたクリスタルガラスの重厚な造りの灰皿を手にした。
「用心深いもんだから、緊急連絡用とお守りを作っておこう――」
 ヒューズとアレックスが声を出せずに見守る中、は軽く目を凝らす。すると、灰皿だったものが瞬く間に飴のように歪み、長さ約五センチ、幅約一センチの二本の棒に変わった。
『アレキステアの流れのまま、ディズワイズの清らなるまま、グランダイトの硬きままに』
 精霊言語を口にするたびに棒に文字が刻まれ、文字の中から青白い光が溢れ、そして消えた。
「これを常に携帯していて欲しい。精霊の守りが在るから、生命の危機などを回避できる可能性が高くなり、手にして念じれば、魔術師でないものでも特定の相手に心話で呼びかけることが出来る。ただし、どちらとも一回限りだ」
 二人に手渡しながら説明するが、上の空というか茫洋とした表情で。
「…………どうした?」

「あ、ああ、サンキュ。なんか、あっという間だったから頭がついていかねー」
「我輩も同感です……すまんな」

「あとはまあ、精霊使役の攻撃、防御、治癒を扱う――――元々の力と比べると六割程度だが」
「なんでもアリ、って感じだなぁ。そんなことがばれたら、この世界の戦争が様変わりするかもな」
 軍人ゆえの率直な感想を口にするヒューズに、は続ける。
「だから、情報を正しく扱えるとアレックスが信じるあなたに私を紹介し、正体を明かした。それと昨夜気付いたんだが…………元の世界に戻れる確立はゼロに近くてね。信頼できる人とのパイプが欲しかった。この世界で平穏に生きていけるように」
「――」
 の言葉にアレックスは静かに、だが強く問う。
「…………還れるような算段を口にしていたではないか……」
「始めはな、そう思っていたよ。しかし、四つのうちの三つまで精霊と再契約しても六割しか力が戻ってこない。どうも私そのものが世界にとって異物と認識されている。認識の齟齬が修正されない限り、死にでもしないと戻れない」
「……なんと」
「さすがに齟齬は一介の魔術師じゃ修正できない。ていうかしたらこの世界が壊れる」
 口調は気楽だが、瞳に翳りが落ちるを見て、アレックスはかける言葉を失い、ヒューズもまた物騒な表現に息を呑む。
「と、まあ、今のが最悪の予測」
「は?」
「六割しか戻っていないのは事実だし、齟齬も在るが、この世界にも同じように強制的に空間転移を経験した人が居るはずなんだ。だから同じような情報を調べれば、何かしらの手がかりがつかめると思う。ただ……アレックスとヒューズの協力が必要だ」
「まあな、生死を問わず、行方不明者の情報は軍部で抱えている」
「一般には公開されないことも、我輩たちならすぐに調べがつきますな」
 ヒューズとアレックスの肯定の言葉に、は頷いて続ける。
「理由なき失踪、子供に多い神隠し――多分、その中にある」
「あんた頭いいな」
「必死なだけさ」
 本人は苦笑のつもりだったが、小悪魔的な笑みはドレスとあいまって、また新たな魅力として二人の目に映った。

 頭の回転の速さ、美しい外見、気丈な気性。なるほどアレックスの好みだとヒューズは思い、ますますくっつけてやりたくなったが、その前に言うべき事があった。
「エドとアルには還れないかもしれないって話、もうしたのか?」
「いや。色々ゆとりが無かったんでしてないよ」
「――――じゃあ、話さないままでいたほうがいいぜ」
「何故?」
「気にするからさ。一度てめえのなかに引き入れた奴に対しては、バカみたいにな」
「……分かった。確定するまでは話さないことにする」

「さて、話もまとまったし――とりあえず密会の乾杯といこうぜ」
 言ってグラスを二人に渡したヒューズは二本目のボトルを開けて中身を注ぐ。手酌で自らのグラスをシャンパンで満たし、軽く掲げて宣言する。
「各々の信念に、そして輝ける未来に――」


 一同にグラスを乾かし、早速おかわりを注ぐヒューズは残念そうに言った。
「あーあ。せっかく大将に春が来たと思って楽しみにしてたのによ、色気が無い話しかねえ」
「中佐殿…………」
「結婚はいいぞ!」
「妻帯者だったのか」
「娘が可愛いんだこれまた! エリシアって言って名前も可愛いんだがもうじき三つになるだがこの前動物園に行ったらリスやウサギと遊べるコーナーがあるんだけどさそのウサギをイイコイイコして撫でちゃう姿がたまらなくラブリーで!! ほらここなんかそっと気遣って抱きしめて」

 それから延々愛娘の写真を広げ、語るヒューズに付き合わされて――――

 親ばかに別れを言うころには日はとっぷりと暮れていた…………。








「ただいまー……」
 アレックスに付き添われてホテルに戻り、すだれを背負うに兄弟と護衛組が声をかける。
「あ、おかえり……って今日もすごい綺麗だねー」
 素直なアルの言葉にふへ、と背を丸めて息を漏らすに、エドは怪訝そうに言った。
「ずいぶん遅かったな?」
 ほえ、と顔を上げてからだるそうに答えた。
「ヒューズに会って……こちら側に引き入れた……」
 え、と異口同音に声を発する四人を無視して勢い良くソファに座り込む
「そのあと愛娘の話のほうが長くて……つ、疲れた」
「うあ、いい人なんだけどな、すげえ」
「ドレスは高いし、勘違いされるし…………」
 ソファにもたれかかって目の幅涙を流すに、マリアは苦笑を浮かべて言う。
「あらあら、泣いたらお化粧が落ちちゃうわよ?」
「もー落とすからいい……」
「……で、ドレス代っていくらだった?」
「――――靴やアクセサリーを含め六十万。アレックスがくれた小切手を使い切った」
 エドの問いに答えると四人は一様に目を丸くして、アルとブロッシュが口々に言った。
「うわ、たっかいね」
「給料二ヶ月分……」
「なんだ、自分で払わず我輩の名前を言えばよかったではないか」
 アレックスだけが平然と余裕の言葉をかけるが、は憮然として言い返す。
「んなことできないし、私ゃ基本的に小市民なんだよ。たかが服にそんな金かけるのがいやなんだ。自分が欲しいと心底思ったもの以外は」
「…………明日のキャスリンとの行動は休むか?」
「いや、誤解も解いておきたいし、金が無いのは知ってるから……そんなに高いところ行かないと思いたいきっと」
「……それとなく伝えておこう」
「助かる……」
 初めて見せた疲労困憊の姿に、マリアはコーヒーをに出した。
「ミルクは?」
「いっぱい欲しい」
「はいはい」
 ポーチから手にした煙草も心なしかしおれていて、編み上げサンダルを脱ぎ、備え付けのスリッパの上に足を投げ出して奇怪な溜息を盛大に洩らした。
「――――石の資料を手に入れて指針が決まったらすぐベスビオールに行こう。ハイソな方々をだまし続けるのも気が咎めるし、私の神経ももたない……」
「それはいいけどよ、何を誤解してるんだ?」

 素朴なエドの言葉に、は渋面で答えた。

「…………アレックスと私が恋仲にあるってこと」
「やっぱりね」
 マリアが嘆息してつぶやく。
「手際が良すぎる上に、つれてきたのが女性だもの」
「でもそうしなかったら怪しまれてたと思うから、仕方ないよ」
 アルの提言にアレックスも同意して言った。
「うむ。中佐殿にそれとなく触れ込んでいただくよう頼んである。父上の耳にも遠からず入ることになるだろう」
「どんな風にだよ」
「ただの錬金術師であると言うことにしていただくようにだ」
「……で、関係はどんな風にお願いしたんですか?」

「――――」
「…………」
 ブロッシュの突っ込みに無言になる二人。

「……言ってないのね」
「がんばれよおっさん」
 エドの無責任な発言にアレックスは即座に切り返す。
「うむ。エドワード・エルリックが見初めたということにすれば丸く収まるな」
「ああそっか、少佐はあくまでも一歩引いた形になりますねってえ――――!?」
 アルが同意しかけて慌てるとほぼ同時にエドは怒鳴った。
「何言いふらそうとしてんだおっさん!」
「うーん。真っ赤になって反論するって説得力無いっすね」
「セントラルにいる間だけの話だものね、問題ないと思いますけど」
 さらにブロッシュとマリアが呑気に言う。
「っだ――――! な・ん・でそーゴチャゴチャいいやがる!!」
 腕を振り振りエドが吠えるが、はそ知らぬ顔でコーヒーを飲み干して席を立って言う。
「さて、さっさと化粧落としてこよ」

「話きけやコラァ!」

 突っ込みはドアに阻まれ、には届くことは無かった。

「では我輩も失礼する」
「はい。お送りします」
 席を立ったアレックスにマリアが続こうとするのを片手で制し、に続いてアレックスは部屋を出て行った。

「いたいけな少年をからかう趣味がおありとは存じませんでしたよ、少佐」
 廊下に出たとたん、ドアに背を預けて笑いかけてくるに、アレックスもまた笑い返して言う。
「その少年の反応を楽しむ趣味があるそなたも同罪だと思うがな」
「役得を堪能しているだけだよ」

「――――できるだけ、気付いた事は話せ。我輩も気にかけているのだ」
「…………うん」
 歯切れの悪さにアレックスはの頭に手を置いて続けた。
「本当に還れないときは……我輩の家にくればよい。誤解したままで良ければ」
「それは有難いが厳しいな。小市民には」
「なに、保険として考えておけ」
「――――善処するよ」
「ではな。キャスリンへの忠告は伝えておく」
「頼む。……ありがと」





 一時間ほどたってから黒のタンクトップとカーキ色のシャツ、デニムパンツという格好でさっぱり顔のは戻ってきた。若さで瑞々しい肌は上気して、本人だけが知らないいろをまとって呑気に冷えたトマトジュースを口にしていた。
「っぁ、さっぱりしたー」
「普段は化粧はしないのね」
「ん、ああ。面倒だし。化粧水と乳液だけ」
「……そのうち面倒でも必要に迫られるときが来るわよ」
「そん時はそん時に考えるさ」
 苦笑するの頬をつまみ、しげしげと眺めてマリアはつぶやく。
「綺麗な肌ねー、ホントにお手入れしてないの?」
「あう」
「睫毛も長いし……いじってみたいなぁ」
「ひゃめれ……」
「あら、ブラつけてないの?」
「へんろくらひ(めんどくさい)」
「駄目よ、型崩れしてくるのよ将来」
 マリアの指から逃れては言い返した。
「……毎日身体動かしてるからいいの。マリアだってそうだろ?」
「そりゃあねえ、でも下着は大切よ」
「……苦しいからヤダ」
「サイズがあってないんじゃないの? ハッシュで測ってもらったでしょ?」
 小さくいくつ? とマリアが聞いてくるので、も小声で言い返した。数字を聞いたマリアは小さく驚きの声を上げて、に詰め寄った。
「何そのサイズ!? ほんとに?」
「……う、うん」
(うわあ、胸は勝ってもウエストで負けてる……)
 青い顔のマリアを下から覗きこんだ
「どうした――――ってギャー!」
「うわ細っ」
 腰をわしづかみにされては飛び上がり、マリアはあたり構わず撫で回す。
「うひゃ、やめ、くすぐったいって!!」

 嬌声が上がる中、男性陣は見聞きして居たいような恥ずかしいような複雑な心境であった。

「……おい、誰か止めろよ」
「ええ、無理だよ」
「いいなぁ……」


 数分後、ようやく開放されたは肩で息をしてうなだれていた。
「っせ……せっかく風呂に入ったのに……」
「うふふー。意外な弱点発見ね」
「昨日の事……何気にさり気無く根に持ってるな……?」
「何のことかしら?」
「――――なんでもね」
 お姉様のあしらいにはかなわず嘆息して煙草に火をつけて、ゆっくりと煙を吐き出す。
「ヒューズ中佐に会って、転移に関係しそうなことを調べてもらうことにした」
「何か分かったの?」
「強制転移をさせられた人が他にもいないか、神隠しなどの事件が無いか、行方不明、失踪者のリストをあげて生存者がいればその人に会って話を聞いてみようかと思う」
 ああ、とエドが声を上げて言を継いだ。
「それなら俺たちも似たような線で調べたぜ」
「うん。中央図書館で見つけてきたよ」
「……あったんだ」
「で、気になるのが……」
 エドが語ったのは、『奇妙な錬成』という本の一節にあった、強制転移を体験した錬金術師のくだりだった。
「明日にでもその出版社に行って、本人に会えるか調べてみようと思う」
「あ、明後日にしてもらってもいいか?」
「なんでだよ」
「……キャスリンと約束してしまったんだ。今日のディナーを一緒に出来なかったお詫びに、明日一日付き合うって。ご機嫌を損ねるわけにもいかないから、断ることができなかった」
「…………しょうがねえな」
「すまん。せっかく調べてくれたのに」
「ううん、すぐに会えるか分からないから、明日は出版社に行くっていう約束だけしてくるよ。ね、兄さん」









 翌日、朝食の時間よりも早くキャスリンはを迎えに来て――――戻ってきたのは夜十時過ぎだった。


「…………デザートのカロリーがメインディッシュより高かった……」
「うわ、さすが女の子」
「しかし……あのパワーを維持する必要があるからかも知れん」
「パワー?」









 この日のキャスリンの服装はさすがにカジュアルな仕立てではあったが、生地代だけで量産品が上から下までまかなえそうな素材のツーピースのスーツとお揃いの帽子を自然体で着こなしていた。は約束通り、アレックスが選んだドレスを着てみせたら、見立ての確かさに感心しつつも是非とも兄をドレス選びに付き合わせよう、と含みのある笑みをキャスリンが浮かべたので頑張れお兄ちゃんと思わずつぶやいたりした。


 昼食並みの朝食と夕食並みの昼食というカロリー満載なレストランのはしごに付き合わされて、胃腸からのストが起きる前には公園で一休みをさせてもらうことにした。
 公園の敷地内ではフレッシュジュースの移動販売があったので、グレープフルーツとストロベリーのジュースをそれぞれ買ってベンチに座って飲んだ。酸味のあるグレープフルーツでどうにか胸焼けをこらえ、なめるようにジュースを飲むにキャスリンは心配そうに言った。

「大丈夫ですか?」
「…………なんとか」
って食が細いのね」
「…………ええまあ」
 肯定といえば肯定の言葉を返したとき、不意に頭上が暗くなり、声が振ってきた。
「ねえ、君たち」
「はい?」
 愛想よくキャスリンが答えるが、途端に身をすくめてに寄り添う。
 後追いでが顔を上げると嫌味無く淀み無く爽やかに、羽振りは良さそうな身なりの青年二人組が目の前に居て、短髪の青年が口火を切る。
「僕らとクリスタルパレスに遊びに行かない?」
「間に合ってます」
「新聞の勧誘じゃないって」
 〇.五秒の脊椎反射でが断るが一拍遅れで長髪の片割れが突っ込んだ。
「今日、コヴェント・ガーデンの演奏会があるんだ。彼らの演奏がコンサートホール以外での演奏なんて珍しいと思わない?」
 再び短髪がにこやかに語りかけるが、は素っ気無く答えた。
「別に」
「のんびり公園で過ごしてないでさ」
「お二人でどうぞ」

 取り付く島の無いの態度に、ツッコミを入れた長髪の表情が強張る。
「……ずいぶんお高い態度だね」
「敬語も使わず名乗りもしない方には相応かと思いますが?」
「っ……」
「ちなみに今から名乗られても効果は期待できませんよ」

 容赦ない口調に二人組の表情が一変し、短髪の青年がの肩を掴んで凄みを利かせた。
「あんまり男をなめるもんじゃないよ?」
「そちらこそ見くびらないでいただけません?」
 ジュースを一気に飲んでからは肩にある青年の手首を掴み、一気に腕を回した。
「え」
「うわぁっ!」
 その場で一回転する青年は背中から受身も取れずに落ちて、目を回す。ひっくり返った青年に冷ややかな眼差しを向けては言う。
「礼をわきまえない振る舞いは見苦しいことこの上ないですね」
「っこ、この――――!」
 飛び掛ってきた長髪の青年に、キャスリンを庇いながら逃れようとしたとき、
「いけませんっ!」
「――へ?」

 驚異的な瞬発力で前に出たキャスリンはそのまま青年の手首を掴み、サンダルのヒールを軸にしてジャイアントスイングを二回転。遠心力で放物線を描き、茂みに放り投げた。

「うわすげ」
 地で声を漏らすに気付かずにキャスリンは声をかけた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ、キャスリンこそ、お怪我は?」
「わ、わたしは大丈夫です…………でも」
「どうしました?」

 照れくさそうにキャスリンは小声で言う。

ってお強いんですね……素敵です……」

 対処に困ったは愛想笑いでひとまず逃れ、イニシアチブをここで取れたようで、午後からのデートはわりとのんびりと過ごすことができた。





「やっぱりおっさんの妹だ」
「ジャイアントスイングって普通は足掴むよね……」
 ――――正確には脚を脇に挟み抱え込む。

「あの細腕でピアノを持ち上げて鍛錬するそうだ。上には上が居ると痛感したよ」


「ところで、その紙袋、何か買ってきたの?」
「下着。あとスーツっていうか制服っていうか。エドみたいに基本スタイルだけ決めて中を入れ替えれば持ち歩く服の量が減るだろ」
「それもハッシュでか?」
「まあな。ただドレスと違って毎日着るから二年で減価償却すると思う多分」
「多分かよ……」
「ドレス用のシルクのストッキングだぞ。ほれほれ」
「出すんじゃねえ!」





 余談だが、軟派組はキャスリンとを追っかけていた軍人連中に拘束されて三日間禁固刑に処され、キャスリンがアームストロング家の一員であると知り、結果として両親の事業に大打撃を与え勘当されたとか何とか。












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