「はよー」
「おはよう……あ、それが昨日買って来た服?」
「そうだよー」
「いい仕立て……さすがはハッシュね」
「高そーなスーツっす……」

 翌朝、は今までのウィンリィから貰った服ではなく、ハッシュで購入したスーツを着て顔を出した。ムーン・ストーンカラーの詰襟風にアカデミー・ブルーのラインが入ったパンツスーツだった。黒いスクエアカットのシャツをインナーと兼用して着こなす姿は、足元もショートブーツに替えていた分だけ俄かに軍人じみて見えた。
「汚れが目立ちそうだな」
 エドが正直な感想を口にする。
「魔術で汚れは消せるんだなこれが」
「まじ?」
「でなきゃ昨日着てったドレスも、おととい特急でクリーニングに出してる」
「けど、さっき出してたよね、クリーニング」
「汚れは消せるけど、皺とかあるし完全とはいかないって。それにちゃんと洗いたいじゃないか」
「……それに、トランクに入らないもんね」
 実際、ドレス一着と付属品一式でトランクは一杯になってしまうのだが、は平然と言い返した。
「あ、それなら裏技がある」
「裏技?」
「道具はハサミ」
「…………切り刻む?」
 ブロッシュの突っ込みに苦笑を浮かべてから、は簡易キッチンから持ち出したハサミで自分の髪を、毛先から三センチほど切り落とした。
「この毛をベースに、自分だけの『閉じた空間』をつくるのさ」
「自分だけの……『閉じた空間』?」
「まあ見てな――――『色と時を流離。我が版図に収まれ』」
 詠唱を終えると同時に、髪の毛は何も無い空間に吸い込まれて消えた。
「で、このポーチ。――仕舞って見よう」
 軽くが目を凝らすと、手にしたポーチは一瞬にして消えうせた。
「うわ、消えちゃった」
「で――出してみよう」
 言葉と共にポーチがすぐに現れる。
「……すげー便利」

「沢山は入らないけど、ウィンリィにもらった服は取っておきたいから」

「…………手品師で食べていけるわ、あなた」

 マリアの突っ込みに一同は深く頷いていた。










 チャリング・クロス通りの角地に建つフォイルズ出版社は、三十年前の設立で従業員数が五十人に満たない中小企業で、ゴシップ多めで権威に弱く噂に強いタブロイド紙をはじめとする中高年向けの出版物が多かった。国家錬金術師に取材を依頼することは数多くあっても、国家錬金術師が会社を訪れることはめったに無く、しかも正式にアポイントメントを取ってくれたので――創業者にして現社長であるポール・フォイルズは満面の笑顔で一行を迎え入れた。
「ようこそいらっしゃいました! エドワード・エルリックさん!」
 事前に訪れたおかげでアルを『鋼の錬金術師』といつもの勘違いをされずにすんだエドは恰幅の良いフォイルズの熱烈な歓迎振りに気圧されつつもどうにか応える。
「あ、ああ、ども」
「いやあ、わが社の出版物について興味がお有りとは! しかも直々に来社いただけるとは光栄です! ささ、応接室にどうぞ。ギルバート・ストレーベンが待っております」



 エレベーターは無いため階段で、最上階である三階の奥にある応接室に通される。使い込まれた革張りのソファに、普段はぼさぼさだろうと察する茶髪をどうにかひとまとめにして、剃り残しの無精ひげが目立つやせた頬に愛想笑いを浮かべた男が座っていた。フォイルズが睨みつけると、男はゆっくりと立ち上がり、エドに話しかけた。
「ギルバート。こちらがエドワード・エルリックさんだ」
「…………はじめまして。ギルバート・ストレーベンです」
「エドワード・エルリックです。時間を割いてくれてありがとうございます」
 握手を交わしながらエドが言うと、ギルバートは薄い笑みを浮かべて応える。
「噂は色々伺っております。史上最年少で国家錬金術師になられた際も、取材を申し込んだんですが、あっさりと断られました」
「……あの時は忙しかったんで、取材はどこも断ってたんですよ」
「そうですか……」
「早速本題に入りたいのですが」
「ああ、そうですね」




 残りたそうなフォイルズを追い出し、結界を張らない代わりにマリアとブロッシュにドアの前に立ってもらって、エドはギルバートに言った。
「あなたの著書【奇妙な錬成】について聞きたいことがあるんです」
「ああ、突然……強制的に空間転移してしまった人の話を集めたものですね」
「その中に出てくる錬金術師に会いたいので、つなぎを取って欲しいんです」
「なぜ?」
「空間転移は実現していない技術です。眉唾物としても錬金術師が体験したことなら何らかの手がかりがあると思ったので」
「なるほど」
「今すぐ実用化にするとかではないので、教えてくれませんか」
「うーん」
「……お願いします」
 天井を見上げ、ギルバートは唸る。
「……言われたんですよ、実は」
「は?」
「いえ、出版するきっかけになったのもその錬金術師の話なんですが、『何年かかるかは分からないが、国家錬金術師がこの話を知れば自分を、そしてあなたの元を訪れるだろう』って言われて、その時はうちも錬金術に関する与太本はあまり出してなかったし、ネタがミステリアスだからオカルト好きには受けるなと思って出してみたら、一時ブームにもなったんでうちとしてはそれでよかったんですけど……まさかホントにやってくるとは」
「…………」
「国家として調査するなら研究員あたりが来るだろうと思ってたんですけどね」
「ほんとかよ、それ」
 敬語を忘れてエドが呟くと、ギルバートは楽しそうに言った。
「本当ですよ? フォビド・リプトンっていうなまりの強い錬金術師なんですが」
「フォビド!?」
 急にが声を上げて言った。
「へ? お知り合いですか?」
「いや……そんな筈は」
 額を押さえ、軽いめまいがを襲った。アルフォンスがそっとの背中に手をやり声をかける。
「だ、だいじょうぶ?」
「…………ああ……」
 を見やってからエドはギルバートに言った。
「フォビド・リプトンは俺たちのように国家錬金術師が来ることは拒んではいないってことだな」
「ええ。――――これが彼の住所です。今も変わっていないはずですよ」
 あらかじめ用意してあったのだろう、一通の封筒をエドに渡してギルバートは続けた。
「今度、正式に取材にうかがいたいのですが」
「どんなことで?」
「国家錬金術師を目指す人は多いですから。なるためのコツとか筆記試験のポイントですかね」
「――――セントラルに居るときならいいですよ」






 自伝を出すときはぜひわが社でというフォイルズのラブコールをあしらってホテルに戻るが、フォビド・リプトンという名を聞いてからまともに喋らないを案じ、アルはずっと彼女の傍を離れずに居た。ソファに背中を預け、決して顔を上げようとしないにエドもたまらず声をかけた。
「……おい、大丈夫か」
「気持ち悪かったら言ってね、お薬もらってくるから」
「……いや、大丈夫。びっくりして」
「ようやく喋ったね」
「ん……」
「どうしたんだよ、いきなり黙っちゃって」
 頭を振ったは結界を張ってから、アルに言った。
「――――同一人物では無いと思いたいが、私が知るフォビド・リプトンは魔術師だ」
「――え?」
「ついでに魔術ギルドじゃ上司みたいなもんだった」

「ええええええ!!」

 結界がなければ確実にボーイが飛んできそうな大音声で四人は驚きの声を上げた。

「うそでしょ?」
「だって……錬金術師だって」
「あんまり名前を売ってない奴なんだろうな、全然知らねえ」
「たまたま同名なだけじゃないかな」

「別人だと思いたい。この世界に来る直前まで……フォビドは元の世界に居たはずだ。次元軸の違う異世界は無意識下の領域を含めればそれこそ那由他……同じ世界、同じ時系列に存在する確率は無いも同じ」
 煙草に火を点けては言うが、瞳には不安の色が強く現れていて。アルはの不安を吹き消すように大きめの声でエドに訊いた。
「ねえ兄さん、ノースシティのどこだっけ、フォビドって人が住んでるところ」
「カーライルって町らしいぜ。あーくそ、こいつ電話引いてないってのが痛いな」
 一個人が電話回線を引く費用はセントラルで土地つきの一軒家が建つぐらいの値段であったため、エドの言葉にマリアは苦笑してしまった。
「じゃあさ、ベスビオールの後に行ってみようよ」
「……そうだな。直接会って話してみりゃあいいんだ」
「――――話……そっか」
 急に明るい声では言い、立ち上がって笑いかけた。
「そうだよな、話が出来るか確かめてなかった」

 理解できない四人はを見つめ、視線を浴びつつも気にもせずは目を閉じて小さく呟いた。


 黙した時間は一分にも満たないが、深く息をついては苦笑した。

「…………駄目だ。距離がありすぎて声が届かないや」
 力も足りてないなぁ、とぼやきを付け足し嘆息する。

「て言うか届くのか!?」
「直線距離でも二千五百キロ以上離れてるんだけど……」

 〇・二秒の兄弟の突っ込みには思い出した風に答えた。

「あ――、言ってなかったっけ。心話っていう魔術があって、心の中の言葉で相手と通じ合うことが出来るんだ」
「言ってねえよ!」
「そんなことも出来るの?」
「電話いらずっすね……」
「なんでも有りね……ここまでくると」

 言いたい放題の状況には怒鳴りたくなる気持ちを抑えて実践する。

<――こんな風にして言葉を投げかけることが出来るんだ……!>

 苛立ちの感情も込めた心話のため、感じたことの無い衝撃に四人は一斉に飛び上がった。

「ななな、何だ今の!」
「すっごい近くで怒鳴られたみたいだったね」
「うわ、まだどきどきしてる」
「……し、心臓に悪……」

「ああもう、むかつく……」
 慌てふためく様を見て興ざめしたのか、それきり心話をやめたは歯軋りで憤慨することしばし。あっけに取られた四人に背中を向け、あごに手をやってから勢い良く手を叩いて振り返った。
「とりあえず鍛錬だ! エド、アル、付き合ってくれ!」
「え、どこでする気だよ?」
「屋上! 結界張れば迷惑にはならん! つーかもう張った!」
「えー、セントラルの街を案内したいなぁ」
「あとだあと。『ステア』」
「っぎゃ――!?」
「ちょ、ちょっと!!」

 ステアを使って兄弟の身体を拘束し、そのまま風に乗って二人を引っ張る形で人間離れした跳躍で屋上に窓から上がっていく。

 残されたマリアとブロッシュは無言でお互いを見つめあい。

「…………お茶でも飲みましょうか」
「そうっすね」


 屋上なら職務放棄にはあたらないと考え、彼らが降りてくるのを茶菓子を買い込み食しつつのんびり待つことにした。








 リゼンブールでアレックスと組み手をしていたときは、ただ眺めていただけだった。
その後の手合わせで滞空時間が通常より長いと、攻撃するタイミングをそがれて空振り三昧になり、鋼鉄の機械鎧で攻撃しても化剄で流されてアドバンテージを奪えないままで。

 いまもまた、一拍だったり半拍だったり読みよりずれた状態で飛んでくる手足を何とか躱して、間合いを取ってエドは構えなおしていた。
 ジャケットを脱ぎ、Tシャツ姿で対峙するは二回つま先で飛び跳ね、二回目の着地と同時に瞬発力を効かせ飛び込んできた。右ストレートはあくまでもフェイントで右足で足払いを仕掛けてくる。垂直飛びで逃れるが着地する前に回し蹴りが飛んできて、腕を交差して防御し、相手の足を掴む。一瞬の体が硬くなったのでそのまま極めようと腕を絡めるが、捕まれたままで延髄を狙ってきたので手を離して迎撃に変える。関節を捉えて動きを封じるように見せて、膝蹴りを見舞うが膝頭に手を乗せ蹴りの勢いに乗って後方に飛びのき、空振りして終わった。
「っとにやりにくい……」
 頬を流れた汗を二の腕でぬぐってエドがぼやくと、二間の間合いをとるは微笑を浮かべて言う。
「性根と同じで真っ直ぐだからな。読み易いんだよ」

「普段はひねくれてるんだけど、スタイルは真っ直ぐなんだよね」
「うっせ」
 ギャラリーと化したアルの言葉に毒づいたエドは人差し指を立てて言った。
「滞空時間長いの禁止! いくぞ……!」
「了解」

 三段跳びで突進してくるエドは連打を仕掛けるが、あっさり化剄で躱されて、素直に返ってくると思っていた打突は連続するタイミングそのものがやっぱり予想よりずれていて、掠める程度でも当たってしまっていた。
「っ…………!」
 右目の傍をかすめて視界が一瞬ふさがってしまったそのとき、身体が宙に浮いた。

 投げ飛ばされたとき受身を取っていたのですぐに立てたが、コンクリートに打ちつけた衝撃は足に来ていた。体勢を立て直せないうちに左右に揺さぶりをかけるの攻撃に、言うことを聞かない脚が絡まり、もたつき足払いですっ転んで――――決め技はエドの伸ばした左腕の親指と垂直に、親指を空に向けた腕ひしぎ十字固めだった。

「ぐぁ――ギブギブギブっ!!」

 体格が似ている分だけ良く極まり、五秒でエドは悲鳴を上げた。


「あー、すっきりした」

 よりアグレッシヴな鍛錬でここ二日ほどの憂さ晴らしが出来た。爽やかな表情でエドの伸ばしすぎた筋を魔術で癒した。

「オレで遊んでストレス発散するなよ……」
 ホテルの備品のタオルを『閉じた空間』から出してもらい首にかけて嘆息するエド。かけられた技の影響で指先が痺れを訴えていたが、魔術によりすぐに引いたので動作を確認してから苦々しく言うと、アルが追い討ちをかけた。

「兄さん、心が強ければ腕ひしぎも耐えられるって言うよ」
「…………元の身体に戻ったら小便ちびるまでかけてやらあ」
「返り討ちにするもんね――」
「んだとコラァ!?」
 精一杯のガンを飛ばすエドの間に割って入ったは言う。
「はいはい、戻ったら思う存分やってくれ――――次アルの番な」
「え、するの?」
「エドに見稽古をしもらいたいし。体格が近いから参考になるだろ」
「ああ……でも、手が痛くならないかな……ボク、身体全部が鋼鉄だし」
「それは平気。硬化させる種類の魔術がある。手足を同じような硬度の膜で覆うから」
「ほんとに?」
「嘘言っても私の手足が腫れるし折れるかもだよ? ――ほら」
 言い終えると同時にの全身が淡い燐光に包まれ、燐光はすぐに消えた。
「…………本当に便利だしすごいね、魔術って」
「それだけ生きていくのに大変な世界で暮らしてたってことさ……じゃ、いくぞ!」


 自分なら攻撃一方になるところで素早くカウンターを受け流し、躱すだけのところで一歩踏み込むのスタイルは、確かに自分には無いパターンで、この見稽古は新しいスタイルを生み出すイメージトレーニングのいい材料になった。
(それにしても)
 お互いがお互いのアクションを先読みして先読みして裏の裏の更に裏をかいて。
 大技が出ないため見た目の派手さは無いが、流れるように技を掛け合うさまは舞踏のように見事で、思わず目を奪われる。

 アルの驚異的なリーチの掌底を逆手に取っては懐に入り、胸当てと腰の継ぎ目に手を入れて内股から足払いをして軽く後方に飛びのきまた跳躍する。狙いは勢い良く片足が上がってバランスを崩したアルの胸当てに――――風に乗って上空からのドロップキック。
「わ、わ、わ――――」
 けたたましい金属音と衝撃が屋上に響き、起き上がろうとする前に膝で肩を抑え込んで、アルの首元の隙間に手を差し入れたは嗤って言った。

「チェックメイト?」
「――――降参……」

 アルの言葉に、身体を離したは満面の笑みで応えた。
「瞬発力のエドに柔軟性のアル。足りないところを補えばもっと強くなるな」
「嬉しそうだね」
 起き上がったアルの鎧についた埃や汚れを魔術で消し去ってから言った。
「強い相手と戦うのは楽しいよ。手数が増えればどの局面でも後れを取ることはなくなるし、こうやって組み手をしてももっと手ごたえを得られるようになる。思ったとおりに相手を動かし、仕留める快感は知っているだろ?」
「うん。読みがあたるって楽しい」
「相手が強くなれば打撃力があるのはもちろんだが、先読みにも長けていることが多い。二人とも素養はあるが経験は浅い……そこを突かれたら苦戦必死だろ」
「そうだね、スカーと戦ったときは、ホント、そうだった」
「…………生き残ったのなら僥倖さ。次は無いと思えばいい」
 苦笑を浮かべ、『閉じた空間』からウィンリィにもらったタオルで汗を拭く。
「シェスカの複写が終わるまで、こうやって午前中は鍛錬に充てて、午後から遊びに行こう」
「じゃ、ご飯食べたら行こう! すっごく紹介したいお店があるんだ!」
「へえ? 何の店?」
「えへへ、内緒」
「…………」

 はしゃぐアルとは対照的に、エドの表情が暗くなっていたが特に気にしないでおく。




 …………出てきたときと同じに窓から戻ってきたらマリアにこっぴどくしかられた。










 ニールセン通りの大衆食堂、キッチン・オリビオは中央司令部まで歩いて十分の距離にある。ランチメニューが一律六百八十センズという安さを誇りながら家庭的な味付けで人気があり、十二時を過ぎた途端に満席になってしまうが、ランチタイム終了間際になると空いてくるので、の長めのシャワーを待ってから出かけた一行には都合が良かった。
 お抱えの運転手ではなく、ブロッシュがハンドルを握って店の横に車をつけて、一行は店に向かった。

「いらっしゃい。ってデニーじゃないか。今日はずいぶん遅いな」
 ウェイターで幼馴染のリチャードがブロッシュに声をかけ、ブロッシュはにこやかに応えた。
「今も仕事中なんだけど、腹減ったから食いに来たんだ」
「大丈夫かよ」
「平気平気。――――こっちですよ」
 ブロッシュが後ろを向いて後に続く集団に声をかけた。

 絹糸のごとき黒髪に映える白い肌に、泣き黒子が優しげな黒目の目元を飾り、凛としながらも軍服を折り目正しく着こなした妙齢の美女が現れた。落ち着いたアルトで彼女は言葉を紡ぐ。
「ここがオリビオね、いつもは混んでるから遠慮してたんだけど」
「これも役得っす。――あ、こちら、先輩のロス少尉」
「…………い、いらっしゃいませ」
「こんにちは」
 眩しい笑顔に見惚れそうになるが、職業意識でどうにか席に案内した。
「奥のテーブルへどうぞ」
「ええ、みんな行きましょう」
「はーい」
「おう」
「うん」

「――いらっしゃいま、せ」

 ロスよりも若い印象をうけるが、好奇心を翠の瞳にあらわし、背中まで流れるオレンジがかった金髪が店内に差し入る陽に透けてきらきら輝やく美人があとを追うように現れた。軍服に似たスーツを嫌味無く着こなし、リチャードに小さな笑みと会釈をしてマリアの後について行った。

 その後に続くちいさいのとでかいのは無視してリチャードはブロッシュに詰め寄る。 

「おいおいおい、美人二人引き連れて昼飯たぁ、どんな仕事だよ!?」
「それは機密事項だから内緒」
「えー」
「ごめんな」
「……ま、いいけどよ。残ってるランチは日替わりで豚のディアブロ風ソテーとフライのB定だからな」
「おっけ」
 リチャードの肩を叩いてからブロッシュはマリアたちのテーブルについた。

 マリアとはディアブロ風ソテー、ブロッシュとエドはフライのB定を、アルは食欲がないということで注文を終え、お冷を口にして店内を見回すはうれしそうに言った。
「いいねぇ、こういう食堂」
「そう? こういう内装はどこにでもあると思うけど」
 マリアの素朴な疑問に、は口端を少しだけ上げて返した。
「……似てるんだよ、こう……歴史を思わせるつくりが故郷の感じに」
「――そうだったの」
 ただ古いだけじゃねえかと言うエドの小言をアルが鋭く窘める。
「海沿いの街だからさ、魚料理も多かった。こっちはどうかな?」
「……無い、訳じゃないけど……少ないわね」
「そっか……」
 残念そうにトーンを落とすにエドが言う。
「確かにセントラルは魚料理は少ないけど、俺たちの師匠が居るダブリスは湖があるぜ」
「そうそう、結構大きな湖でね、魚がよく取れるんだよ」
 兄弟の言葉に瞳を輝かせては言った。
「湖か……ふむ。ダブリスは確かベスビオールの途中にある町だったな」
「そうだよ」
「ふむ。途中下車するのもいいかもな」
「え」
「魚料理も豊富だというし、エドとアルの師匠にも会うことができる」
 にとっては魅力的なプランを提案したつもりだった。
 が。

「ああああのな、師匠は旅行が好きで居ないことが多いから会えるかどうか」
「そそそそうだよ? ご飯食べに寄るのはいいけど、会えるかわかんないよ」
 とたんに挙動不審になる兄弟。は二人を見つめる。固まる二人。凝視。硬直。

「…………」
「……」
「――」

 冷や汗いっぱいの兄弟を半眼で見、失笑を漏らしては言った。
「成る程。そういうことか」
「あ?」
 あざ笑う態度が癪に障ったエドはさっきまでの行動を忘れて突っ込んだ。
「なにがわかったって?」
 エドの睨みをそよ風のごとく受け止め、胸ポケットから煙草を取り出しては言い返した。
「聞いたら後悔するぞ?」
「上等だぜ」
 火を点けて煙を吐く。ここでも魔術で排煙しているため煙はエドには届かないが、余裕のある態度がどうにも腹立しかった。間に挟まれる形になったアルは両者を交互に見やり、お互いに声をかけることを許さない雰囲気にあるため、肩を落として膝を見つめるしかなかった。苦笑いのブロッシュがマリアに懇願の色を含めて視線を送った。
「――二人ともおやめなさいな。、TPOを考えて頂戴。エドワードさんも、畏敬の念を持つことは大事ですけど、過剰反応はよくありません」
「はーい」
「…………わぁった」

 事態の収束に胸を撫で下ろしたアルとブロッシュは同じリアクションに苦笑を浮かべ、師匠の恐ろしさが骨身にしみているエドは、いまだ治まらぬ感情を抱えながら窓の外を見た。裏通りと交差する大通りを、黒塗りの高級車が三台過ぎてゆくのが見えた。どの車にもアメストリス国の徽章が掲げられていたが、徽章を掲げて走る公用車に乗ることのできる人間はただ一人しかいない。

「……大総統はお出かけみてーだな」
「へ? どうして判るの?」
「いま、公用車が走ってた」


「へー。どこ行くのかな」
「さぁな」



「いらっしゃ……わぁ!!」

 突然リチャードの驚く声がレジ前で上がり、声の方向へ視線を向けると――――

「やあ。ランチはまだ残っているかね?」

 アレックスを含む護衛の間から大総統キング・ブラッドレイが呑気に声をかけた。

「っだ、大総統……!」
 ブロッシュの声で我に返ったマリアはあわてて起立し、敬礼する。続いてブロッシュもエドも起立し敬礼をして、アルは敬礼こそしないが直立不動になるので、も煙草を消して、とりあえず席を立つことにした。


「あ……も、申し訳ございません。今日のランチは先ほど終了させていただきました」
 体が動けば土下座して言ったであろう言葉を、立ち尽くしたままでリチャードは大総統に言った。
「ふむ、それでは仕方ないな…………おや、少々、失礼するよ」
 ごく普通に残念がる大総統は、奥の席に敬礼するエドワード・エルリックがいることを見つけ歩みよる。さらに身を硬くしたエドたちに軽く手を上げて大総統は言った。
「食事中だろう、楽にしたまえ」
「は、はい」
 敬礼こそやめるが、誰も座らずにいる中、見知らぬ女性がごく普通にまなざしを向けてくるのに興味がわいた。
「おや、君は……」
「このご婦人が報告させていただいた錬金術師です。閣下」
 後ろからついてきたアレックスが大総統に提言する。
「おお、そうか。たしか……」
と申します。大総統閣下。お会いで来て光栄に存じますわ」 
 瞬時に猫をかぶって淑女の会釈をするに、大総統は笑顔で答えた。
「これはこれは。つらい境遇にあるようだが、しっかりしていらっしゃる」
「恐れ入ります」
「フィリップどのからも話は聞いております。その気があればいつでも言ってください。優秀な人材はいつでも不足しているから」
「直々にお褒めいただき光栄です。前向きに検討させていただきますわ」
 優雅に微笑むに、大総統はさらに笑みを浮かべて。
「いや、ランチは逃したがよい出会いであった。では行こうか」
 背を向け、店を出る大総統。アレックスも後に続くが一瞬だけ振り返りを見た。


 誰もが立ち尽くして動けない中、走り去った車に乗るアレックスに心話で語りかける。

<……唐突な訪問だな>
<うむ。前々よりオリビオのランチを所望していらしたのだが、視察の前に間に合いそうだったので向かうことになったのだ>
<ずいぶんと人当たりのいい方だな>
<普段はな。だが、四十代の若さで今の地位に登りつめたお方だ。ひとたび戦場に赴けば、鬼神のごとき強さと意思で敵を葬ってこられた>
<トップが強いのか>
<じき六十になられるということだが、最強の一であらせられるぞ>
<……わかった。サンキュ。仕事がんばれよ>
<ああ>



 大総統も食指を動かされたオリビオのランチは、B級グルメの上位に数えられる味で、大満足で店を後にした。







 次に、アルのリクエストで向かった先はペットショップ・イコだった。

「うーん。やっぱりみんなかわいいなぁ。もそう思うでしょ?」
「うん。すごいかわいい」
 生後四ヶ月前後の仔犬と仔猫と遊ぶことのできるスペースに、とアルは座りこんで、人見知りをしない仔犬や仔猫と戯れていた。エドとブロッシュは爬虫類コーナーでトカゲたちをからかって店員に注意されて、マリアは寮を出た後に買う予定と思う熱帯魚コーナーにへばりついていた。

「いつもは兄さんと行くんだけど、長居しちゃうから、あんまり付き合ってくれないんだよねぇ。僕、この姿でも気にしないでいてくれるこの仔たちがかわいくて」
「言葉を持たない代わりに真実を見る目を持ってるからな」

 猫じゃらしを巧みに動かし、三匹の仔猫をかわるがわる遊ばせていると、ショートヘアでハンサムな顔立ちの女性店員が近づいて来た。
「アル君、久しぶりー」
「コロナさん、こんにちは」
 コロナと呼ばれた店員はとアルを見やり、人の悪い笑みを浮かべて言う。
「やるじゃん、彼女連れてくるなんて。しかも年上」
「そそそ、そんなことないよ!」
「照れない照れない。いらっしゃいませ。店長のコロナ・イコです」
 営業スマイルでは無い笑顔で話しかけたコロナに、も笑顔で答える。
「はじめまして。です。ただし、友達ですよ」
「えー、そうなの?」
「そうです」
 あっさりと否定したを見てもそれほど残念がっていないので、コロナは苦笑するしかなかった。







「あー、楽しかった。また行こうね」
「うん。にゃんこもわんこも小さい時のかわいさは別格だからなぁ……ちょっと連れて帰りたかった」
 そうだよね、と同意したとたん、エドが鋭い声で言った。
「駄目。オレたちに生き物を飼う資格は無い」
「そ……そうだけどさ、でもきっと楽しいよ?」
「だめったら駄目。ただでさえしょっちゅう生き物拾ってきちゃ、里親探す羽目になるんだから」
「……しょっちゅうなのか」
「小さい町なら一匹で済むけどよ……セントラルみてえに大きいところだと一ヶ月いたら三匹ぐらい」
「……すごい確率だな」
「だってだって、雨が降ってたりお腹空かせてたりすっごくかわいかったりするんだよ? 放っておけないよ」
「そのやさしさはその時しか出てこねぇっつの」
「そんなことないもん!!」
「ともかく! 猫でも犬でも定住できるまでは飼うの禁止! いいな!」
「…………はぁい」


 アルが肩を落として渋々承諾したとき、の目にある看板が飛び込んで思わず声をあげた。

「ちょっと停めてくれ!」
「は、はい」

 ゆっくりと減速し、車を路肩に寄せて停める。
「どうしたの? 急に」
「ん――、武器がほしいなと思って」
 言って後方の看板を指差す。
「あれ、武具を扱ってる店じゃないかな?」

 示した看板には銃と軍刀が描かれていて、マリアは頷く。
「ええ、そうだけど……まさか」
「ああ。術が使いにくいから、護身用に一振りほしいな」


 『閉じた空間』にしまっておくから目立たないよとは微笑んで付け足した。




 銃器類と軍刀が飾られた店内は思ったより明るかった。
 ただし、やや狭く作られた出入り口は厳重に警備され、ボディチェックをしてからやっと入ることができた。購入前に身分証明をするため、軍人と国家錬金術師の来店は退役軍人の店主にとって他二名――アルと――の存在にも不信感は持たなかった。
 古風な鉄球から最新式の銃まで幅広くディスプレイされた店内の片隅にあった軍刀に、は目を引かれた。
 刃渡りは約六十センチ、ナックルガードつきのグリップを含めると一メートルにも満たない全長。黒光りする刃紋は惹きつけるようにの心に焼きついた。
「それが気に入ったかい、お嬢さん」
「……ええ。試し斬りをさせていただけますか?」


 別室にだけ通され、試し斬りの材料として束ねた藁が三本、突き立っていた。
 屈強な店員に手渡される、豪奢な装飾を施された鞘に納まる軍刀をじっくりと眺める。店員が出て行った鉄製のドアの隣には、防弾ガラスの向こう側、エドたちが興味津々でこちらを見ていた。

 けして大きくは無いの手に、グリップが吸い付くように馴染んだ。鞘から抜き、左手を添え、正眼に構えて―――― 一本目は袈裟懸けに、二本目は横薙ぎに、三本目は返し刀で藁を斬った。

「む……」
 店員がかすかにうなりをあげ、エドたちは剣技の美しさに声も出なかった。

 軍刀を鞘に収めた時、集中していたとはいえ、予想以上の汗が全身から吹き出た。

 ある確信を持って、は店員が開けてくれたドアから別室を出た。


「あんた、なかなかの使いっぷりだったようだな」
 店内に戻ると、店主は無精ひげを撫ぜながらに話しかけた。
「……切れ味といい、握りといい……無銘の剣ではないですね?」
「ご明察。先代の大総統閣下の飾り刀を下賜した代物だよ。お亡くなりになるそのときまで傍らに置いていらしたそうだ」
「なぜ、そのようなものが商品に?」
「元大総統夫人から直々に手放したいとさ。詳しくはいえねぇけどな」
 飄々とした語り口だが、目は笑っていなかった。
「…………では、これをいただきましょう」
「ほんとに買う気か?」
「商品だとおっしゃったばかりじゃないですか」
「――――まぁ、いいけどよ」

 桐箱に丁寧に収められた軍刀を、友人のように大切に胸に抱いて。価格は箔がついてなかなかに高値だったが、エドから貰った分で十分に足りた。

 車に乗り込んですぐに、『閉じた空間』にしまいこんだ。
「あ、ちょっと見たかったな」
 興味津々のアルの言葉に、は意地悪く笑って答えた。
「だーめ。私に馴染むまではデビューさせません」
「えー、何その馴染むまでって」
「私のところじゃ、買ったばかりの剣は最低一晩は人目に触れさせないようにするんだ。たくさんの人に囲まれたままだと、誰が使い手か、主が分からなくなってしまうからね」
「ふうん、そういうものなんだ」
「ああ。だから明日のお楽しみね」
 うん、と素直にうなずいたアルに続き、ブロッシュが的確なハンドル捌きを見せつつ口を開いた。
「それにしても剣の扱いがうまいっすね、斬った藁の断面がきれいに平らになってったすよ」
「そうね、軍刀の扱いも手馴れていたし」
 マリアも感想を口にすると、エドもそれに続いた。
「だよな、武術全般身につけてねえか?」
「ギルドは学校も兼営しててね、そこで一般教養から戦略まで勉強するんだ。あとは実戦だな」
「いやあ、まさに文武両道っすね」
「褒めてもお茶しか出せないよ……って、そうだ。お茶っ葉買いたい」
「まだ買うのかよ?」
 あきれ返るエドにぴしゃりと言い返す。
「じゃエドは美味しい紅茶は要らないんだな」
「うっわむかつく!」

「マリア、この辺でお茶屋さんあるかなあ?」
「ちょっと遠いけどあるわよ」
「じゃ、寄ってほしいな」
「了解っす」

「っだー、無視すんなっつの!」




 結局総合食品専門店のハロッズではアールグレイとダージリン、アッサムの茶葉とティーポット等茶器一式を買いこんで、大満足のをはじめとした一行はディナーの直前にホテルに戻った。大量の買い物も軍刀と同じようにすぐに『閉じた空間』にあらかじめ入れておけば、持ち歩く荷物の数に増減が無いように見えるので怪しまれないという効果があることをエドは知った。
 ついでにめちゃめちゃ便利だとも思った。








 購入したばかりのダージリンを振舞ったところ、大好評を博して夜のお茶を終えた。お休み、と挨拶をして自室に戻るは、禊をしてから結界を張り――――軍刀を『閉じた空間』から取り出し床において、対座する。

 ――――唇から漏れる言葉は、精霊言語。


『エステリアの守人よ、残された思いを我に示せ』
 すると、軍刀を白い燐光が包み、音も無く刀は自らの身を立てて静止した。

『刃に宿るのは彼方よりの方か、それとも此方か、お聞かせ願えまいか』
 の問いかけに燐光はかすかに明滅し、その身を震わせる。

『案ずるな、もとよりこの身は異界の者。矜持を恥じ入ることは無い』
 思案するように燐光は光を収めていたが、急激に膨れ上がり、自らの輪郭を光に消した。

『――――承知した。その言葉に偽り無ければ、成就する助けとなろう』
 の真っ直ぐなまなざしを受けて、燐光は時をおかずに消え、力なく床に倒れた。その軍刀を手にして、鞘から引き抜くと、空を一閃して刃を見つめてつぶやく。


「エステル・ユーリガー……銘は『セルセ』と名付ける。共に、目的を果たすまで」









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